……ちくしょう。
 イライラしてしょうが無かった。
 ……仇?
 仇、だって?
「……そんな無意味な事、誰がするかよ」
 思わず言葉になって飛び出したその台詞には力が無い。今まで頭の中を支配していた行き場の無い激しい感情が、その言葉と共に外へと流れ出てしまったかのようだった。
 ――過去は選べない。選べるのは、未来だ。
 そんな事。
 言われなくたって……。
 ……くそっ。
 いつの間にか、街外れまでやって来てしまっていた。人通りがほとんど無くなっている。それに気付き、ふと顔を上げると、目に飛び込んできたのは荒れ放題のまま放置されている大きな屋敷の姿だった。人が住まなくなってもう何年も経っているだろう事がありありと分かる荒れっぷりだが、手入れをきちんとしてやれば、ここ、イスライアでも一、二を争うほど立派な屋敷に生まれ変わるであろうと思わせる、どっしりとした佇まいである。
 ――ボールドウィンの屋敷。
 イスライアに住んでいて知らない者はいないだろうと思われる程、有名な屋敷。
 その屋敷に突き刺さるような鋭い視線を投げつけ、フェリルは口の中で小さく何かを呟いた。
 もう一度、射るような視線で屋敷を見上げた後、元来た道を歩き出そうとくるりと踵を返す。
 その道の先に。
 青い髪の少年が一人、楽しそうな笑顔を浮かべて立っていた。


「運命ってヤツはさ、面白いものだよね」
 そう、思わない?
 フェリル=ドゥエイン?
 そう言いながら少年が歩いて来た。フェリルは、少年から目を離さないように二、三歩後ずさる。
 前に会った時とは、雰囲気が違う。コイツは、こんなに感情を表した表情をしたり声を出したりするヤツじゃあ無かった。
「……何の、話だ?」
 慎重に言葉を返したフェリルににっこりと優しく笑いかけ、ラグナは足を止めた。彼との距離は、ほんの二メートル程しか無い。
「だから、運命の話さ。君はここで生まれてここで死んだんだろう?そして、生まれ変わった。フェリル=ドゥエインとしてね。そんな君が、もしかしたらまたここで死んでしまうのかもしれない。……全てが始まって、終わる場所。充分、運命ってヤツを感じさせるじゃないか」
「何の話だか、さっぱり分からねぇな」
 つ、と汗が滴り落ちた。
『お母さんに、そっくりだね』
『僕も、ライカンスロープだから』
 ……こいつは。
 こいつは、俺の正体を知ってる・・・・・・・・・
「……一体、何の用だ?」
 こんな、自分よりも若いと思われる子供が何故知っているのか。それが気にならないわけでは無い。だが、ここで相手の話に巻き込まれ、それを指摘されるのがたまらなく嫌だった。
 思い出したく無い過去。
 聞きたく無い名前。
 問われたラグナは、ちょっと小首を傾げて見せた。
「うーん……。何の用だったかな。えーっと……」
 そうやって額に手を当て、用事を思い出そうと必死になっている姿は、何処にでもいる少年のそれ。もしも、彼と今初めて出会ったのならば、フェリルはこの隙に少年を置いてさっさと姿を隠してしまうところだったろう。
 だが、残念ながら、ラグナと会ったのは今が初めてでは無い。その上、彼の力量まで知っているというおまけ付きだった。
 じりっとまた少し、後ろに下がる。
「……あ。そうだった」
 ぽんっと手を打ち合わせ。らしくないその姿に、フェリルは思わず一言突っ込んでしまったり。
「お前……本当にこの間のと同一人物か?」
「この間のって……失礼だなぁ。正真正銘、同じだよ。一応、僕の名誉の為に言っておくけど、今が普段の僕、だよ。というわけで、改めてよろしく」
「別に、よろしくなんかしたくねぇよ。むしろ、このままさようなら、ってのはダメか?」
 普段のって何だよ、と聞きたいのは山々だったが、その質問は何とか飲み込んで口には出さなかった。質問して、もしもこの間はトランスしてたからーなんてほいっと答えられたらそれこそこの場から逃げ出したくなってしまうから。
「うーん、今は、ダメだなぁ。それじゃあ、仕事が出来なかったって、僕が怒られちゃうからね。そ、今日は、仕事の話で来たんだ」
「……この間だって、仕事だったんだろうが」
「何か、君だってこの間と雰囲気違うような気がするんだけど。それに、この間はそっちから勝手にやって来たんじゃないか。……ま、いーや。あのさ、バティーラ=ドゥエイン、僕達に協力するように説得してくれない?」


「――は?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。あまりに唐突過ぎて、その言葉の意味を理解するまでに時間が掛かる。
「何度行っても、協力してくれるって言わないからさー。それに、その度に死人が出てるんだよね。あの人、馬鹿みたいに強い上、躊躇いが無いでしょ?だからさ、君から説得してもらえれば、被害も無し、確立も高いで良いかなーって事らしいんだけど」
 何か、頭が痛くなって来た。
「……そりゃ、俺が説得を引き受けた場合、だろ?そんなモン、引き受けると思ってんのかよ」
「ううん、思ってない」
 にっこりと即答。
 遊ばれているような感じがして、イライラする。今日は厄日かよ、とぼそっと吐き捨ててみたり。
「それに、もし引き受けてもらったとしても、バティーラ=ドゥエインが説得に応じるとも思ってないよ。だから、もう一つの方法」
 少年は、楽しそうに目を細めた。
 ――自分の為に、妹の名前を授けた人間が死んだら、少しは考えてくれると思わない?
 ひゅっと風を切る音。
 充分に間合いを取っていたはずなのに、その音はすぐ間近で聞こえ。
「ふざけんなっ!!ンで俺があいつの為に殺されなきゃならねーんだよ!!」
 ぎりぎりでラグナの爪をかわし。その速さに、変身する隙が無いと見て取ったフェリルは、服の内側に隠し持っている絞殺具ギャロットを取り出すともう一度大きく間合いを取る。
「元々、バティーラ=ドゥエインに殺されてる運命だったじゃないか。そう、君が持ってるソレでさ」
 ラグナの方は、すでに竜人に変化している。例え、変身出来たとしても、竜と虎。どちらの能力に軍配が上がるかは、歴然としていた。
 正攻法なら、負ける。
 それも、これ以上ないって程、完璧に。
 ……それなら。
 ぎゅっと、絞殺具ギャロットを持つ手に力が入る。
「だから、良いんじゃない?死んでるはずの人間なんだから、僕達の為に死んでくれたって」
「……ホント、フザケタ理論だよな。お前やっぱ、ムカつくわ」
 チャンスは、多分一度しか無い。
 だが……そのチャンスまで、このままの姿で持ち堪えられるか?
 鼓動の音が、うるさいぐらいに頭の中に響いている。
 焦らしているのか、それとも機を伺っているのか。ラグナは中々攻撃をしかけてこようとはしない。奇襲とも言える、最初の一撃以外、フェリルが取った間合いのままで喋っているだけだ。
「ま、僕の理論を分かってもらおうとは最初っから思ってないよ。たださ、訳も分からずに殺されるのは嫌かなって思ってさ」
 言ってみれば、僕なりの情け、ってヤツなのかな。
「月並みな理由なんだな。それにな、一応言っておいてやるが、そんな理由なんざ聞かされたって納得出来るヤツは俺じゃなくてもいねぇと思うぜ」
「うん、僕もそう思う。でもまぁ、もしかしたら中にはそういう人もいるかもしれないでしょ?死ぬ間際になって、どうして死ななきゃならないのってうるさく聞かれるのは面倒だしさ」
 ま、そーゆーわけでね。
 ほんの少し、少年の足が動いたのをフェリルは見逃さなかった。
「そろそろ、役に立ってくれる?」


 ちっと微かな音を立て、フェリルの右頬が裂ける。首を薙ごうと狙った一撃をスレスレでかわした結果だった。息をつく間もなく、左から同じように伸びてきた腕を今度は自分の腕を使ってブロックをする。予想以上の強烈な衝撃が身体を襲い、数歩たたらを踏んだ。
 人間のままってのは、予想以上――。
 その衝撃の大きさに内心ほぞを噛みながら体勢を整え、ラグナを睨みつけた。
「今日は、魔法は使わねぇんだな」
「ああ……アレ」
 アレ、と言いながら繰り出された蹴りを避け。
 ぱさりと、真紅の紐が地面に落ちた。三つ編みにしていた金髪がゆっくりと解ける。
「アレはね、大人数用なんだ。一対一の時は、この方が都合が良い」
「ま、分からねぇでもねぇ、か」
「使ったら使ったで、一瞬で終わるんだけどね。その方が、楽だったかな?」
 さらりと怖い事を言う。フェリルは微妙な笑みを浮かべ「そうかもな」と言った。
「変身さえさせなきゃ、簡単に勝てると思ったか?」
 今度は、ラグナの攻撃を力に逆らわずに綺麗に受け流し――
 たんっという軽い音を立て、フェリルの姿が彼の視界から消えた。目の前にあるものは、ボールドウィンの屋敷の塀、ただそれだけ。
 ひゅん、と微かな音を立て、細く丈夫な糸がラグナの首に絡みつく。
「実戦慣れだけはあんだよ、俺」
 その声は、背後から聞こえてきた。きりきりと糸が首を締め上げる。
 少年が小さくうめいた。
「ホントは、聞きたい事が山ほどあるんだけどよ。お前は何かヤバい。情報は、別のヤツから聞かせてもらう事にするよ」
 かくん、と少年の膝が折れ。
 切れ切れの擦れた声で、少年が言う。
「……他の人が、知ってると、思う?どうして僕が、君が、リオ=ボールドウィンだって事を、知ってるのかって」
「――ッ!!」
 一瞬の動揺。
 それを、ラグナは誘ったのだろう。
 ほんの僅かな締め付けの緩みを、彼は見逃さなかった。
 絞殺具ギャロットを持つ両手が、強烈な力で払われる。尻尾の一撃から間発を入れずに放たれた回し蹴りを不安定な体勢で受け止めようとし――
 支えきれなかった。
 身体の中に響いた鈍い音。続いてやってくる激痛。
「……ほら、やっぱり捨てきれて無い」
 その声は、初めて会った時と同じような、冷たい響きを持っていた。
 ……違う。
 思い通りに動かない右腕を押さえ、フェリルはぽつりと呟いた。
「違う?何が違うって言うのさ。今、手を緩めなければ、君は勝てたじゃないか。リオ=ボールドウィンである事を捨てきれてさえいれば、勝てたじゃないか」
「――違うッ!俺は……ッ!!」
「……どっちにしろ」
 妙に楽しそうなその声は、耳元で聞こえた。
 ふわりと風が髪を持ち上げて行く。
「いー加減、死んでくれる?」
 今までとは比べ物にならない速さで閃いた竜の爪が、フェリルの身体を切り裂いた。


 ゴウッ!!
 突然の突風が、二人の間を通り過ぎて行く。触れたら引き裂かれそうな鋭さを持つその風に、ラグナは舌打ちをしながら距離を取った。
「……ったくもゥ。何やってんのサ、フェリルちゃんってば!」
 その台詞と共に姿を現したのはエリザだった。普段は見せる事の無い、鋭い視線でラグナを睨みつけている。
「アタシはね、可愛いコは基本的に好きなんだけどサ。アンタは嫌い。覚悟しといた方が良いわよォ、アンタ」
「覚悟?一体何の――」
「もちろん、アタシを怒らせた事に対しての覚悟サ。フェリルちゃんの仇、きっちり取らせてもらうからねェ!フーちゃん、ルーちゃん、盛大に暴れちゃって良いわよォ!!」
 エリザの呼び掛けに応え。
 ラグナの両側を、さっきにも増した凄まじい勢いの突風が吹き荒れる。徐々に迫ってくる風の壁は、お互いに逆方向に吹き荒れているようで、巻き上げられた小石や枯葉などがそれぞれ反対方向に吹き上げられ、風の中を踊っていた。
 このまま両方の壁に接したなら、身体が引きちぎられる。
 あの女、予定外だ。
 壁の向こうにいる、フェリルとエリザを見やる。何らかの防御手段があるのだろう。二人の周りにはこの突風は影響していないようだった。
「……後一歩だったのに」
 また、怒られちゃうじゃないか。
 暗い光を灯した瞳で二人を見つめたまま、彼は呟いた。ちっと音を立て、羽が風の壁に巻き込まれそうになる。
「今日の借りは、返させてもらうよ――」
 必ず、ね。
 決意を込めた言葉。
 それを残して、ラグナの姿は柔らかな光に包まれた。


「……逃げられちゃったわねェ。もう良いわよォ、フーちゃん、ルーちゃん」
 さほど残念そうな響きは持っていない。エリザの声に応えて、局地的に吹き荒れていた突風はぴたりと止んだ。
「フェリルちゃん。フェリルちゃん、聞こえる?」
 フェリルは、屋敷の塀に身体を預けて目を瞑っていた。左肩から右脇腹にかけて、何本も大きく切り傷が開いている。胸の辺りを押さえているのが、傷を押さえているようにも、はだけた服を押さえているようにも見えた。足元に血溜まりが出来ている。
「……仇って……。俺はまだ死んじゃいねぇよ」
 ぼそっと不機嫌な声でフェリルが言う。エリザは、そんな彼女の傷の具合を確かめながら、「今のところはネ」と怖い答えをあっさりと返した。
「でも、放っといたら出血多量でホントに死んじゃうわよォ。早く、お医者さんのところへ行かないと」
 ケインがいたら、回復魔法使えるんだけどねェ、とエリザは困ったような顔をした。
「ケイン?そんなの、真っ平御免だね」
 ぎゅっと押さえている服を握り締めたのを見、エリザはため息をついた。
「フェリルちゃんねェ……。アンタが女のコだって事なんざ、アタシ達は最初っから知ってたんだよォ?今更、そんな意地張る必要も意味も無いのサ」
 そりゃ、ケインは知っていて当然だろう。自分の過去を知っているのだから。
 だけど。
 だけど、何でこの女にまでバレてるんだ?
 そんな気持ちが、顔に表れたのだろう。エリザはにっこりとウィンク一つ、「女の感ヨ、感」と言った。
 その顔を見ていたら。
 何だか酷く力が抜けてしまった。
 塀にもたれたまま、ずるずると座り込んでしまう。
 ずきずきと身体中が痛い。
「全く。散歩に出てみて良かったわァ。シーちゃん、ルーちゃん、ケイン探して来てくれる?」
 その声に応えて出現したのは、何ともとぼけた顔をしたまん丸な身体の生き物(?)が二匹だった。バレーボールに糸みたいな細い手足をつけたような容姿のその生き物は、きゅーと鳴いてそれぞれ飛び去って行く。
 呆然とその生き物を見送っていたフェリルに、エリザは見た事無かったかしらァ?と得意そうな笑顔を浮かべて言う。
「あのコ達はね、風の精霊シルフなのよォ。目がつぶらで可愛い顔してるのが、シーちゃん。さっきアタシ達を風から守ってくれてたのがこのコなのよォ。ちょっととぼけた顔してるのがルーちゃんで、何か企んでそうな顔してるのがフーちゃん。可愛いでしょォ?」
 ……風の精霊シルフ
 ……あんなのが?
 …………………………。
 絶対、嘘だ。
 しかも、名前が安直すぎるし。
「ちょ、ちょっとフェリルちゃん!しっかりしなさいよォ!!」
 何だか無償に理不尽さを感じながら、フェリルはゆっくりと目を瞑った。

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