フェリルが目を覚ましたのは、襲撃から丸三日経ってからだった。
 質素な白いベッド。宿の部屋の、開け放たれた窓。そこから入ってくる気持ちの良い穏やかな風。
 その光景に軽い既視感デジャヴを覚えながら、彼女はベッドの上に身体を起こした。ずきりと右腕に鈍い痛みが走る。顔をしかめて押さえた右腕は、動かせるようになってはいたもののまだ治り切ってはいないのだろう。真新しい包帯が巻いてあった。どうやら、自分が受けたダメージは魔法の力を持ってしてもすぐに回復するようなチンケなモノでは無かったようだとフェリルはため息をつく。
 ……何だかな……。
 無償に居心地が悪かった。
 ベッドから降り、壁に掛かっている鏡を覗く。鏡の向こうから、一人の綺麗な少女がフェリルを見つめていた。
 長い真っ直ぐな金髪。緑色の、意思の強そうな光を灯す瞳。固く引き結ばれた唇。ゆったりとした形の寝巻きを着た上からでも分かる程、はっきりとした身体のライン。
 リオ=ボールドウィン。
 もう、何処にも存在しないハズの少女。
 鏡の中の少女が、何か呟いた。
「……あらァ、フェリルちゃん、目が覚めたのねェ」
 だが、現実に聞こえてきたのは部屋に入ってきたエリザのそんな声だった。いつも通りの甘ったるい話し方で言い、両手一杯に持った紙袋をテーブルの上に置く。
 フェリルはすっと静かに鏡から離れた。だが、それを見逃すエリザでは無い。
 彼女は満面の笑みを浮かべてフェリルに近付くと、まるで値踏みでもするように上から下まで見回した。迷惑そうに睨みつけるフェリルに構わず、一人で勝手にうんうんと頷いている。
「うーん、何だかんだ言っても、フェリルちゃんもやっぱり女のコよねェ。絶対美人ちゃんだと思ってたものォ。アタシの目に狂いは無かったわァ」
 鏡を覗き込んでいたのを何だか勘違いしたらしい。思いっきりわざとらしくため息なんぞついてみたが、エリザは全くお構いなしである。持って来た紙袋を漁るのに夢中になっていた。
 ベッドに腰掛け、そんなエリザをじとーっと見つめていると。
「ほらほら、フェリルちゃん。こんなお洋服どうかしらァ?」
 紙袋から引っ張り出したのは、女の子用の洋服。色もデザインも可愛らしい、町娘のお出かけ用ファッションと言ったような服である。それを自分が着た時の事など、想像もしたく無いとフェリルはげっそりとする。
「ああでもォ。こっちの方が似合うかしらねェ。折角、スタイル良いんだしサ」
「……一人で盛り上がるのは結構だけどよ。俺はそんな服、着る気はこれっぽっちもねぇぞ」
「だって、今まで着てた服は汚れてるし破れちゃってるしで困るでしょォ?そのままじゃ、自分で買いにも出られないわよォ?」
「何とかなるだろ。そんな事より、ケインは何処だ?」
 エリザの言う事には確かに一理あると思ったのだが、そこで頷いてしまってはずるずると彼女のペースにはめられてしまう。そうなったら最悪、着せ替え人形状態にされてしまうかもしれないとフェリルは思い(そんな事、考えただけでぞっとする)、話題を変えた。
 エリザは少し不満そうに口を尖らせたが、「隣の部屋にいるわよォ」と答える。それを聞いて、フェリルは寝巻きのままの格好で部屋を飛び出した。
 隣室の部屋の扉を蹴破るような勢いで開け。
「あんたに言っておきたい事がある」
 叩きつけるような強い語調でそう言った。椅子に座っていたケインは煙草の煙を一度吐き、視線だけをフェリルの方へと向ける。
「まだ、怪我は治りきっていないだろう。無茶はするな」
 そうして、彼が言った台詞はこんなものだった。
 すぅっと息を吸い込み、ケインの不思議な光をたたえた瞳を真っ向から受け止めてフェリルは言う。
「仕事は降りる。それは前に言った通りだ。でも俺は、今まで通りあんたに着いて行く。俺の目的とあんたの目的は、目指す場所が一緒のような気がするからな」
「この間は、俺とは違うと――」
「そうだよ、違う。目的地が同じなだけであって、目的が同じなんじゃない。そこは勘違いするな」
 ケインに皆まで言わせず、ぴしゃりと言葉を被せた。それが逆に、彼が言おうとした台詞を肯定しているように感じて気分が悪かった。
『ほら、やっぱり捨てきれて無い』
 ……違う。
 突き刺さるような冷たい口調で言ったラグナの台詞がフィードバックする。
 違う……?
「俺は……」
 俺は、あんたが言った目的を捨て去るために行くんだ。
 強い決意を込めた言葉。
 戸口に立ったまま、フェリルはケインにそう告げた。


「何やヒマやなぁ〜」
 ぽーっと間延びした口調でエルゥが言う。
「ヒマだね〜」
 負けず劣らず間延びした声で返したのはティルだ。宿のベッドに寝転がりながら、ごろんごろんと本当にヒマそうに寝返りを打っている。エルゥはエルゥで、ぽかぽかしている窓際で上の瞼と下の瞼がくっつきそうになっていた。
 彼等がアムネードに着いて四日。忙しかったのは着いた日一日だけで、その後はずっとこんな感じである。他のメンバーはそれぞれ町を見て歩いたり、ベオはコーネリアスと積もる話があるとかで毎日出歩いているのだが、ティルは猫に会いたく無いと言い張り、エルゥは砂が羽の間に入るから出歩きたくないと言う理由で宿にこもっているのである。
 いー加減に今日などは、出掛けるフィリエラに「不健康じゃの」と言われてしまったのだが、お互いにこれは何と言われても譲りたく無い。お陰で、今日も一日中ごろごろしている羽目になっているのだ。確かにこれは不健康だと彼等も思う。
「かーーーッ!ヒマやっ!!ヒマ過ぎやっ!!こんなヒマならわいは死んでまうでッ!!銃弾がわいを殺すんやない、ヒマと貧乏がわいを殺すんやっ!!」
「じゃあ、ジャンケンでもする?」
「もう何回やったか分からへんやないか。ジャンケン、しりとりは当っ分お目に掛かりたく無い」
 あっち向いてホイも付け加えたるわ、とエルゥは不機嫌な声で補足する。
「そーだよねー。もう一生分やった感じ」
 自分で言っておいて、こちらも苦笑いだ。結局、そこで会話は途切れてしまう。
 ――と。
 こんこん、と扉がノックされた。仲間が帰ってきたのなら、わざわざノックをする事もあるまい。二人は、誰だろうと不思議そうに顔を見合わせた。
「開いてるよ」
 流石に、ベッドの上に座り直してティルがそう声を掛ける。その声に反応し、内開きの扉が勢い良く開けられた。
「あの……」
 今日は、と明るい声で言ったのは、アムネードに着いてすぐに出会った少年、オズだった。彼はきょろきょろと部屋の中を見回し、お二人ですか?と聞く。
「せや。お二人や。あんさんは、お一人なんか?」
 長い首を伸ばして彼の後ろを覗き込んでいるエルゥに、「うん、お一人」と律儀に返事を返し、部屋の中へと足を踏み入れた。片隅に、何だか申し訳無さそうに置かれている椅子を引っ張り出すと、それに腰掛ける。
「何か、用?ベオなら工場の方にいると思うけど」
「うん、出る時会って来たよ。それで、皆ここに泊まってるって聞いたから」
「何や、ベオに用事とちゃうんか?」
「うーん、全員に用事、かな。ベオには、触りだけ話して来たんだけど、皆に話した方が良いって言うから。あの、他の人は?」
「皆町に出てる。帰ってくるのは多分夕飯時だと思うけど」
 それを聞き、オズはどうしようかな、と呟いたようだった。視線が、ティルとエルゥの間を落ち着き無く揺れている。それを見、ティルはまたエルゥと顔を見合わせた。エルゥも、さっぱり分からんと言った表情で小首を傾げている。
「何や。何か話したい事があるんやったら話してみぃ。話すだけならタダやで」
 そんなエルゥの言葉に後押しされたのかどうかは分からないが。
 赤毛の少年はうん、と一度大きく頷くと、「この間の条件、覚えてる?」と切り出した。
「ああ。君もファーランドに連れてって欲しい、ってヤツ。あれはまだ、結論が出るほど話し合って無いから何とも」
「じゃあ、とりあえず、ティルの気持ちだけで良いよ。連れて行ってくれるのか、それともダメなのか。とりあえず、聞かせて?」
 くりくりとした大きな紫色の瞳に真剣な光を灯らせてオズが問う。真っ直ぐなその瞳に見つめられて、ティルは困ったように目を逸らす。
「うーん……。でもそーゆーのは俺一人の判断じゃ……」
「だから、とりあえずだって。ティルが今どう思ってるのか、それだけで良いから」
「わいは別に構わへんけどな。仲間は多い方が楽しいもんや」
「あ、エルゥ、話が分かるっ。ほらっ、ティルは?」
「俺は……」
 この少年、ファーランドに渡るという事がどういう事か、分かっているのだろうか。
 戻って来れる保証なんて何処にも無い。それどころか、渡れると言う保証さえ、無いのだ。そんな危険な場所にわざわざ渡りたいと言うのは、ただの興味本位から出た台詞なのだろうか。
「答える前に、俺からも質問しても良いかな。その答えを聞いてから、君の条件に対する気持ち、決めたいんだけど」
「うん、良いよ。でも、答えられないような質問は止めてね」
 にこっとしたオズを見て、ティルはその質問を口にする。
「君はどうして、ファーランドに渡りたいの?」


 赤毛の少年は、大きな目を一層大きく見開いてまじまじとティルを見つめた。
「……やっぱり、そー来たかー」
 苦笑いを浮かべて。
「ただの好奇心……じゃあきっと、ティルはダメだって言うよね。だって、そういう答えを望んで無い質問だもの。それじゃ、どういう答えを返したら連れて行ってあげるって言ってくれるのかな」
「ティル〜。ただの気持ちの話やで?別にそれが決定事項になるわけじゃなし、もっと簡単に考えられへんのかいな」
 困ったように考え込むオズと、咎めるような口調で言うエルゥ。
 二人に対し、真剣な表情のままティルは言葉を返す。
「一緒に来るって事は、決して安全な事じゃない。もちろん、鏡界面を渡るって行動自体もそうだし、その他にだって危険な事はたくさんあるんだ。だから、簡単には、答えを出せないよ」
 ポケットの中で、宝珠を転がしながら。
 鏡界面を渡るという事。自分達と一緒に旅をする、という事。
 それはつまり、今自分が巻き込まれている結社とやらとのいざこざに、少なからず巻き込まれてしまうという事だ。一緒に旅をしているのに、この少年はただついて来ただけで、宝珠の事についてなんか何も知らないのだと言って通用するようなお相手さんでは無いとティルは思う。
 だから、オズに真意を確かめておきたかった。もうこれ以上、たくさんの人を巻き込むのは耐えられないと感じたからだ。
 もっと簡単に考えられないのかと聞いたエルゥの言葉。
 残念ながら、彼にはそれが出来なかった。
 ……固い考えかな。
 小さく、自問する。
 ……固い考え、だよね。
 その答えは、あまりにもあっさりと出た。
 仲間が増えるって言う事に、そんなに臆病になっているのかな。
 瞼の裏側に焼きついて離れない光景。
 昔、宝珠の守護者に見せてもらった、薄暗い洞窟の中での出来事。
「……ティルって、よっぽど仲間思いなんだ。それとも、友達思いかな」
 柔らかな響きを持ったその声は、不思議なほど鮮明にティルの耳に届いた。
 ゆっくりと顔を上げた先にいるのは、十四歳とは思えぬような大人びた表情を浮かべた少年。彼は、その懐かしさとも寂しさとも取れぬ微妙な表情を浮かべたまま、すっと目を細める。
「僕の父さん、冒険者だったんだ」
 まだ、幼さの残る顔立ちに似合わぬ表情を浮かべた少年は、そう穏やかに告げた。その一言で、彼が言わんとしている事が何かを悟り、ティルははっと息を呑む。
「父さんの専門は遺跡発掘。色々、古代の遺跡ってヤツを回って歩いていたんだけど、そのうち、まだ謎だらけの外の世界――つまり、ファーランドに興味を持つようになって」
 渡って行っちゃった。
 淡々と。
 まるで、物語を読んでいるかのように落ち着いて話すその仕草が、余計に感情を押し殺しているように見えて痛々しい。
「……ごめん」
「あ、いいよ、謝らなくて。危険な場所に連れて行って欲しいって無茶なお願いしてるのはこっちなんだし。目的ぐらい知りたいっていうのは当然の考えだよ」
 改まったように、ティルの瞳を真正面から見て。
「僕は、父さんを探しに行きたい。それが、ファーランドに行きたい理由」
 ――探しに行きたい。
 そう言ったオズの言葉は決して強がりではない。例え、そこで何を見たとしても受け止められるだけの強さを持った言葉だと、ティルは思う。
 羨ましい程、純粋な強さ。
 自分はまだ、何も受け止められていないというのに。
「……それじゃ、ダメかな」
 中々返って来ないティルの返答に、不安そうな声でオズが尋ねる。
「……渡れるって保証は、何処にも無いよ」
「うん」
「その他にもきっと……ごたごたした事があるよ」
「うん、分かってる」
「……それでも、良い?」
「もちろん」
 これ以上無いという程の満面の笑みを浮かべて。
 オズは大きく頷いた。
「しっかしなぁ〜。ティル、わいがあの世旅行してた数年間で頭固くなったんか?前はこんなん、考えるまでも無かったで」
「そりゃ、変わりもするよ。犬になったんだし」
「……あの世旅行……?犬……?」
 二人の会話を聞いて、流石のオズも面食らったような表情を見せた。どーゆー事?と顔一杯に書いてある少年に、エルゥは何故か自慢気に胸を張って、ティルはそれとは対照的に苦笑を浮かべるという行為だけで答えを返す事にしたらしい。
「わいはな、ちょこーっとあの世っちゅうトコまで旅行行っとった事あるんや。最初は片道切符かと思ったで〜。ティルがあの世からこの世列車の切符見つけてくれへんかったらな。ま、詳しい事は後々まで語り継がれるベストセラー決定なわいの自伝に書くさかい、それ買うて読んでや」
「……はぁ」
 エルゥの言った事はあまりにも突拍子過ぎて、まだ頭の芯まで届いていないに違いない。少年は困ったような顔をし、とりあえずはというような相槌を打つ。
「すンばらしぃ自伝になるで。わいの生い立ちはもちろん、あの世旅行記にファーランド旅行記が載るんや。わいほどドラマチックで数奇な運命を辿ったカッコえぇチェックスが未だかつておったやろか?や、おらん、おらんやろ。おるわけ無い」
 二人を置いてけぼりにして、エルゥはすっかり自分の想像する自伝内容に酔っている様だった。勝手に喋り散らして勝手に完結している。
「……あ。そうだった。ファーランド」
 ぽんっと手を打ち合わせ、オズがふと我に返った。
「僕が今日ここに来たの、ファーランドに渡る為に必要不可欠な物があるからなんだ」
「……何か、嫌な予感するんだけど」
 ミュージカル化決定や〜と夢が膨らみまくってるエルゥから目を逸らしつつ。
 オズは小首を傾げ、曖昧な笑みを浮かべて見せた。
「ファーランドに渡るためには船が必要。それは当たり前だよね。ただね、その船も何でも良いってわけじゃないんだよ、これが」
 言いながら、リーフから借りていたシリウスの論文を上着から引っ張り出し。
「この論文によると、普通の船じゃまず風の壁を超える事は不可能だよ。推測されてる風速や風圧からしてね。しかもそれが二重になってるんでしょ?わざわざ反対方向に吹きながらさ。これじゃあ、普通に使われてる飛行船じゃ風の壁に入った時点でばらばらになっちゃう。船自体が耐え切れないんだ」
「……それで?ついてって良いのってあれだけ聞いておいて、実は渡れないんだなんて言いに来たわけじゃないよね?」
「そりゃあね。こんなチャンス、滅多に無いもの。絶対に渡ってみせるよ」
「どうやって?策はあるんでしょ?」
 ティルの問いに、にっこりと何処かしら不敵にも見える笑顔を乗せ。
 上着の内ポケットから、今度は小さく折りたたんだ紙を取り出した。裏にも細かい文字が沢山印刷されているところからして、新聞か何かの切り抜きのように見える。
 オズはそれを開いてティルに手渡した。
「これ。この船だったら、渡れるかもしれない」
「……ちょっ!ちょっと待って、これって!!」
 手渡された新聞の切り抜きに目を通し、ティルは目を見張った。思わず、声を荒げてしまう。
 彼の目に飛び込んで来たのは、「新型飛行船『アークウィンド号』完成さる」の大きな見出し。
「今までの飛行船よりも装甲、速度の面でパワーアップしてる。そして、対魔法攻撃用の防護装置が搭載されてる最新型の飛行船。基本的には王族やVIPの人達の送り迎え用。僕等、一般市民が乗れるようになるまでメジャーになるには、まだまだ時間が掛かるだろうね」
 さらっとそう言って。
「でもね、渡れる可能性があるのはこの船しか無いよ。今の技術ではね。論文を読む限り、風の壁は魔法的な要素も関わってる可能性があるみたいだし、それを考えても対魔法防御っていうのは必要不可欠な要素なんだ。他の船じゃ多分、壁に近付いただけで引き込まれてばらばらにされちゃうね」
 目が点になっているのが自分でもよく分かる。
 まだ、自分の世界に酔っているエルゥが何だか羨ましくなった。
「ああ、大丈夫だよ。運転は僕が出来るから。それは心配しなくても良いよ」
「……じゃなくって!その船を一体どーやって手に入れるんだよ!!ファーランドに渡りたいから貸してくださいって言うわけ!?」
「まさか」
 そう言って、三度上着の内ポケットから引っ張り出したのは、少ししわくちゃになっている青写真。
「ジアスの船着場から、勝手に乗せてもらうに決まってるじゃない」
 にっこりと無邪気な笑みを浮かべて青写真の一点を指差しているオズを見上げて。
 やっぱり、連れて行くなんて言うもんじゃなかったと後悔の念にかられながらティルは頭を抱えた。

≪Old / Next≫