カツン……。
 誰もいない真っ暗な船着場。小さな音一つでも響いてしまう。
 思わず立ててしまった足音に、ティルは首を竦めた。例え、足音がしたとしてもその姿を見られる事は無いというのに。首を竦めて立ち止まってから、やっぱりこういうのって条件反射なのかなぁと一人苦笑する。
 そりゃあ、不法侵入中だからねー……。
 思わずため息をつきそうになり、それをかみ殺しながらティルは透明の腕輪インビジリティ・リングがはまっている左腕があるだろうと思われる部分を気まずそうに見つめた。だが、その腕輪の力を使っているため、どんなに目を凝らして見ても自分の腕があるはずの場所を通り抜けてその向こうにある無愛想な壁が見えるだけである。
 ここは、ジェインの首都ジアス。オズが、無茶な提案を持ちかけてきてから約二日程経っている。
 何故二日も経っているか。それはいとも簡単で、アムネードからここジアスへ移動するのに丸一日、それから色々下見をして回り夜中を待ってまた一日。それで、ほぼ二日。
「……大体だよ。いくら透明の腕輪インビジリティ・リングがあるとは言え、何だってあんな無茶な提案通っちゃうかな」
 ぼそりと一人ごちる。忍び込む俺の気持ちにもなれってんだ。
 幸い、オズのくれた地図のお陰で迷う事は無い。二日前、宿屋の一室で少年が取り出して見せたものはこれだったのだ。一体こんなもの、何処から手にいれたのだと思わないでもないけれど、冒険者ギルド発祥の地と言われるアムネードという場所柄、裏では何が売っていてもおかしくは無いのだろう。
 全く。
 用意周到な事で。
 だが、その船は地図など無くてもすぐに見つける事が出来ただろうと思えた。
 停まっていたのは、一番奥。それでも、船着場の入り口から見えるほどには大きな船体。流石VIP専用だけあって、船まで何だかエラそうにふんぞり返って見えるよ、とティルは呟いた。
 だが、彼の仕事はこれからが本番である。侵入者に備え、当然の如く設置されているだろう警報や罠を取り除く事。その仕事を彼が失敗したなら、この計画自体が無かった事になってしまう。
 もう、こんな場所まで来てしまったんだし。今更、引き返すわけにもいかないよね、とティルが意を決して飛行船『アークウィンド』へと近づいた時。
 耳をつんざくような警報音が、真夜中の静寂を切り裂いた。


「何や!?」
 船着場の外。物陰に身を潜め、ティルの合図を待っているエルゥ達の耳にもその警報音ははっきりと届いていた。
「失敗するには、あまりにも早過ぎはしませんか」
 コハクが若干緊張した面持ちで呟く。
「ティルさんが出て行ったのは、今からほんの十分ほど前でしょう。この時間がちょうど交代時間になり、警備が手薄になるというのは確認済みです。それにもし、時間がズレて警備員と鉢合わせしたとしても、彼は腕輪の力を使っているのでしょう?接触でもしない限り、見つかる心配はまず無いでしょう。それにいくらなんでもそんなヘマをするようには……」
「……あ」
 コハクが皆まで言い終える前に、オズが声を上げた。赤毛の少年の視線は「しまった」とでも言いたげに宙を彷徨っている。
「……腕輪だ」
「え?」
「腕輪、だよ。ああ、もう僕、何で気がつかなかったんだろう。こんな事、ちょっと考えればすぐ分かったはずなのに」
 悔しそうに下を向いたオズを見上げ、エルゥが厳しい声で質問をする。
「何や。どういう事かきちんと説明せぇ」
「……腕輪の所為だよ。『アークウィンド』には最新の魔法用防護装置が施されてるって言ったよね。それだよ、それの所為なんだ。ティルは今、魔法の腕輪の力・・・・・・・で姿を消してるんだよね。だから、その力に『アークウィンド』の防護装置が働いたんだよ。ちょっと考えれば、当たり前の話だったのに」
「船を盗み出すための切り札が、裏目に出たというわけだな」
「……うん……。警備が思ったよりもずっと手薄だったのは、それだけ『アークウィンド』の防護装置に自信があったからなんだ」
 響き続ける警報の中に、それとは違う慌しい物音を聞きつけ。
「まぁ、今更そんな事を言っとってもしゃあないやろ。こんな騒ぎを起こしたんや。今を逃したらもう二度とこんなチャンスはやって来んで」
 それに。
「わいのダチだけ、お尋ねモンにするわけにゃいかんからなぁ」
 にっと笑うと。
 エルゥは船着場の方へと駆け出した。


 な、何でっ!?
 俺、何もしてないよ!?
 無意識の内に自分の両手を見つめ、腕輪の効果を確認していた。目の前にあるはずの自分の手は映らず、暗く冷たい床だけが見える。それが、腕輪の効果がまだ続いているという事を如実に物語っていた。
 まだ、目的の飛行船に手を触れる事すらしていない。集中だって途切れていない。それなのに、何故。
「全く、ワケ分かんねぇよ……っ」
 止むどころか、どんどん大きくなっていく警報の音。
「ホンッキでワケ分かんねぇよっ!」
 勝手に押し切られた挙句。
 こんなところで失敗なんかしてたまるか。


 飛び出したエルゥに続き、リーフやコハクなど隠れていたメンバーも皆後を追いかけた。先ほど聞きつけた音は近くはっきり聞こえるようになっており、しんがりのベオからはその姿も確認出来るほどになっている。
「ティル、勝手に船乗り込みおったがな」
 誰も触っていないはずの飛行船の入り口が勝手に開いたのを視界に捉え、エルゥが言った。その口調に、少しだけ楽しんでいるようなニュアンスを感じ、驚いてオズは自分の横を走るチェックスを見やる。
 その視線を感じたのだろう。エルゥは走る速度を緩めないままオズを見上げ。
「色々、計画通りにはいかんかったけどな。これであんさんの思った通り、あの船はわいらのもんになるで」
 お陰で、スッペシャルに波乱万丈な人生送るハメになるかもしれんけどな、それもまた一興や、と楽しそうに付け加えたエルゥを、笑っているような悩んでいるような不思議な表情で見つめながら、とりあえず今はこの状況をどうやって乗り切るか考えるのが先決だと強引に気持ちを切り替えた。
 警報が鳴り響いているのだから、今更隠れる必要は何処にも無い。バタバタと騒々しい足音を響かせながら全速力で『アークウィンド』の搭乗口へと走り寄った。その大きな搭乗口は、しっかりと閉じられている。
 そのドアを、ドンドンと音を立てて叩きながらエルゥが叫ぶ。
「くぉらティル!わいや、わいらや!!早ぅドアを開けんかい!!」
「何をしておる!追いつかれるぞ!!」
「ちょっ、ちょっと待って……っ!ボタンが一杯でっ!」
 中から聞こえてきたティルの返答に、フィリエラはその子供っぽい顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あんまりモタモタしておると、わらわが入り口ごと吹き飛ばしてくれるぞっ!」
「うわ、思ったよりもたくさん集まってきてるよー、警備員」
 緊張感があるのか無いのか。何時も通りのリーフの言葉にいち早く反応したのはコハクとベオである。コハクは簡易的な防御結界を張り、ベオは向かってくる団体様に向かって威嚇射撃を数回繰り返した。その射撃を受けて、警備員の方からも発砲されたが、それらは全てコハクの張った結界に阻まれて届く事は無い。
 それを見て取り、無駄だと判断したのか。警備員達からの銃撃が止んだ。
「貴様等!その船が最新型飛行船『アークウィンド』号と知っての襲撃か!」
「私の術が切れるまでの、あからさまな時間稼ぎですね」
「そりゃあ知ってるよ。だからこそ必要なんだもん、この船」
 苦笑を浮かべてコハクが呟くのと、呆れた様にオズが言ったのはほとんど同時。違うのは、コハクの呟きが独り言であったのに対し、オズの台詞は警備員の問い掛けに対しての答えになっていたところだろう。
「おじさん達さ。最新型飛行船って言ったけど、何がどう最新型なのか分かってる?何処がどう新しくなっててそもそも、この警報だって何に反応して鳴ったか、分かってるの?」
 腰につけたポーチの中をごそごそと漁りながら言った少年の台詞に適切な答えを返せる警備員は一人もいなかった。彼らが口ごもった隙を突き、オズは更に言いつのる。
「ホラ、やっぱり知らないんでしょ?という事は実際、何に使う為に開発されたものなのかも知らないんだよね。いくら仕事だとは言っても、そんなあやふやな物をただ言われた通りに守ってるのって虚しく無いかなぁ」
 プシュンと小さな音がして。
 開いたドアの中から、ティルが顔を覗かせた。そこから見える二十人以上の警備員の姿を目にして、彼は一瞬固まってしまう。
 ……やっぱり俺、何かしたのかな。
 思わず、弱気になってしまうティルだった。


 パチパチパチパチ――。
 乾いた拍手の音が、離れた所から、聞こえた。


「じゃあ君は、その船の造られた理由を知っているとでも言うのかな、少年」
 そのソフトな声は、警備員達の後ろから近づいて来る。年の頃は二十の半ば。白い髪に銀縁の片眼鏡。白を基調とした衣服――。全体的に白いシルエットを持ったその声の主を確認し、警備隊長が恐縮しながら敬礼をした。それにならい、周りの警備員達も皆敬礼をする。
「申し訳ありません、レイル様。この者達、ああ見えてかなりの手練れ揃いでございまして……」
「その割には、応戦した様子なんかちっとも無いじゃないか。大方、異国の術――符術辺りにでも手を焼いていたんだろう?」
 馬鹿にした様な口調。そんな口調で事実を言い当て、警備隊長を黙らせておいてから、レイルと呼ばれた男はもう一度同じ問いを投げかけた。
「君が知っているというのなら聞かせてもらおうじゃないか。この船が造られた意味を」
 そう言って小首を傾げた男の耳に左右非対称の十字架が下がっているのを確認し、ティルははっと息を呑む。
 アイツも、結社の一員なのか――?
 白い男の登場で、エルゥ達や警備員達も動けないでいる。何処となくではあるが、場を圧倒する雰囲気――そんなものを、その男は持っていた。
「さぁ、答えは?」
「……世界でただ一隻の、対魔法防御を行う事が出来る飛行船。基本的には、王族やVIPの送り迎え専用。一隻造るのにまだまだコストがかかるから、一般用にするには後十年はかかるんじゃないかって言われてる。それが、現時点での飛行船『アークウィンド』。公開されてる情報の全てだ」
 だがオズは。真正面からレイルを見据えていた。固く両手を握り締めたまま、言葉を続ける。
「だけど、僕達が乗ったらもっと違う事が出来る。もっともっと凄い事が出来るようになる。この船は、おエライさんの送り迎えで一生を終わるような、そんな船じゃない」
「ほぉ?君達如きが乗ったところで、何が出来るというのかな?」
「教えてあげない。少しは、自分の頭で考えるって事を覚えた方が良いよ、おじさん」
 にこっと無邪気にも見える笑みを浮かべて、オズは言い放った。
「自分の頭で考えて。自分の目や耳で見て聞いて。そうやって情報は集めるものなんだよ?そうすれば、この船が本当は一体どういう目的で造られたのか、それぐらいの情報は僕にだって聞こえてくる」
「……本当の、目的?」
 かすれ気味の声で、リリィが呟く。その声を聞きつけて、ベオが言った。
「この船を開発したのは、銀の十字結社だ。そうだろう?レイル=バンディッド?」
 ベオの言葉にレイルが気を取られたその隙に。
 オズは手に持っていた物を警備員達に向かって思いっきり放り投げた。


 ドカンと建物を揺るがすほどの派手な音が鳴り。
 集まっていた警備員達の真ん中辺りから、もうもうと煙が立ち上る。


「早く!今のうちに船の中へ!」
 一体誰が叫んだものなのか。分からないまま、エルゥ達は次々に船の中へと駆け込んだ。その様子を横目で確認しながら、オズはもう一度爆弾を投げる。
「――ッ!?」
 混乱に紛れ、船に乗り込もうとドアに手を掛けた時。言い知れぬ嫌な感覚がリーフの背筋を駆け上がった。思わず立ち止まり、辺りを見回したが、オズの使った爆弾の所為で視界が煙に遮られ、周りの状況などほとんど確認する事は出来ない。
『私の最高傑作は気に入ってくれたかな?リーファ=M=ルフラン』
 そう、直接頭の中に響いた声は、紛れも無くレイルという男のものだった。だが、そのテレパシーを飛ばしたはずの人物も、煙に包まれているため何処にいるのか全く分からない。
 ……最高、傑作?
『もしかしたら、ヴァンパイアにされちゃったんじゃないかな?』
『もしも、だよ?その組織が古代魔法ってヤツを研究していて、その研究の一部でも完成させていたとしたら?』
『出来るんだよ』
 以前、カーラ村の宿屋でティルと話した事が脳裏に浮かんだ。古代魔法を用い、人を人以外のモノに変えてしまう事が出来るかもしれないと言う仮説――。
 ……まさか……。
 そんな……
 そんな事はあるわけが無いと、自分で自分の考えを笑い飛ばすよりも早く。
 レイルの楽しそうな声が頭の中に響いた。
『気がついてくれたみたいで嬉しいよ。そう、ステファニー=ラルフォンヌの事さ』
「……嘘だ……」
 意識しないまま、言葉に出していた。それでも、嘲るようなレイルの言葉は続く。
『何故、こんな嘘をつかなくちゃならない?本当の事だ。真実だよ。彼女は、君の為に・・・・あんな姿になったんだ』
「嘘だッ!」
 頭で考えるよりも早く、煙の中へと飛び込もうとした。がそれは、コハクによって遮られてしまう。
「何処へ行こうと言うのです。後戻りをしている余裕はありませんよ」
「離してよ!俺はアイツに聞きたい事があるんだ!」
「落ち着きなさい!貴方を引き止めて私達を足止めする事――。それこそが相手の目的だと気がつかないのですかっ!」
「……ッ」
「今、何をされたのかは分かりませんが。今日を逃したところで彼とまみえる機会はいずれまたやって来るでしょう。銀の十字結社が、貴方に用がある限りは」
「何やってるの!早く船に!!」
 オズが、自分も船に乗り込みながら叫んだ。強張っていたリーフの身体から、力が抜ける。
「……ステラ」


「ああ……。邪魔されてしまったな」
 さほど残念そうでも無い声で、レイルは言った。船の方へと遠ざかっていく足音を聞きながら、自分に向かって銃を構えているベオへと視線を移す。
「それで?君は一体何者だ?私は、君に名前を名乗った覚えは無いが」
 ついでに言えば、銃を向けられる覚えも無い、と肩を竦めて付け加える。対してべオは、突き刺さるような鋭い視線を向けたままだ。
「私が、誰だか分からないか?まぁ、覚えていようといまいと関係無い。どちらにせよ、この引き金を引く事には変わりは無いからな」
「ベオ!早くしないと船、出しちゃうよ!?」
 煙幕の中、聞こえてきたオズの声。その台詞に反応したのは、レイルの方だ。彼の緋色の瞳が小さく揺れ、やがてその焦点は帽子の下のベオの顔の上で重なった。
「……ベオ?ベオルブ=パッカード?」
 信じられない、と言った様な呟きだった。まじまじと彼の顔を凝視する。
「……そうか……。よもや、貴様が生きていたとはな……」
「ベオ!ベオったらホントに追いてっちゃうよ!?」
 少年の声には、僅かだが焦りが感じられるようになってきていた。爆風で起こした煙幕の効果が切れかかっているからだろう。ベオの位置から、微かにではあるが彼を呼ぶ少年の姿が確認出来るようになって来ていた。
 少年は、船の入り口から身を乗り出して必死に叫んでいる。それを目の端に捉え、小さいがよく通る声でぽつりと言う。
「構わん。船を出しなさい」
「そうだなぁ。積もる話もあるだろう?その姿での生活は、快適か?」
 べオの言葉を聞き、歪んだ笑みを浮かべて言ったレイルに向かって。
 彼は迷わずに引き金を引いた。


「ベオッ!!」
 短い銃声が響き。それと同時に、煙幕の中で人が一人弾き飛ばされるのが見えた。
「……私は、君達と一緒には行けない。ここでお別れだ」
 その後に聞こえてきたのは、静かなベオの声。シルエットで見る限り、彼はまだ銃を持った手を降ろしてはいない。
「え……。どうして……っ?」
「私には、ついていけない理由がある。ただ、それだけだ」
「……ズルい人」
 あたしには色々説教したクセに。自分の事は、何一つ話そうとしないのね。
 諦めたように呟くと、オズの肩に手を置いた。
「船を出して。グズグズしてたら、あたし達まで捕まってしまう」
「でも……でもっ」
「分からないの?ついていけない理由があるって言う事は、残らなければいけない理由があるって事よ。彼には彼の目的があるの。今まで彼がついてきてくれたのは、ただ、その目的とここまでのあたし達の目的が同じだったから。それだけなのよ」
 鋭い口調だった。長い台詞を早口で一気に言い切り、入り口に手をかけたままのオズを自分の方へ向かせる。
「ここから、彼が目的を果たすためにはあたし達と一緒にはいけないの。その目的を捨ててまで一緒に来てくれなんて言える理由、あたし達にある?」
 チュイン、と飛行船の壁が音を立てた。エルゥが長い首を竦めて「うわっ、撃って来よったで」と悲鳴の様な言葉を漏らす。
「……分かった」
 呟いて、オズはまた入り口から身を乗り出す。煙幕の切れ掛かったぼんやりとする視界の中に、ベオの姿を認め。
「ベオ!じゃあ僕達は行くよっ!また今度、ベオの銃、調整させてよねっ!」
「他に、腕の良い整備士は思いつかないからな」
 彼の返答に、オズはにこっと笑って返した。くるっと回れ右をすると、躊躇わずにドアを閉める。
「それじゃあ、行くよっ!ファーランドに向かって!!」


 飛行船『アークウィンド』盗難。
 犯人一味は、飛行船に乗って逃走中――と、他一名。


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