おこめ文化の崩壊

平成16年01月20日

 白米一合は何グラムでしょうか?

 水は一合が180gですから、おこめが水に沈めば180gより重いはずですし、浮けば軽いはずです。実際に量ってみると150gでした。ということは、米をとぐ時に釜の底に沈むのは、きっとおこめが水を吸って重くなるからなのですね。

 さて、私たちが生まれてから死ぬまでの間に食べるおこめの量の平均を大胆に一日二合と想定しましょう。150gの倍ですから、私たちは毎日300gのおこめを食べることになります。一年は365日ですから、300グラムを365倍した109,500gが、私たちが一年間に食べるおこめの量です。

 生まれてしばらくはおこめを食べませんので平均寿命からその期間を差し引いて、私たちの一生の食米年数を78年と想定すると、109,500gの78倍の8,541,000g、つまり、8,541㎏が私たちが一生の間に食べるおこめの量ということになります。

 米一俵は60㎏ですから、これを60で割ると、142.35俵。一反で7俵取れるとすると、さらに7で割った約20.3反が、私たちが一生食べるおこめを生産するのに必要な田んぼの広さです。一反は約992㎡ですから20.3反に992をかけると20,138㎡。その平方根である142m四方という数字にたどりつけば、農地の単位に暗い私たちにも、ようやく視覚的な広さとして面積がイメージできるのではないでしょうか。

 つまり、私たちが78年間に食べるおこめの総量は、わずか142m四方の田んぼがあれば一度に収穫できるのです。どうですか?案外狭い耕地だとは思いませんか?見方を変えればこれは、もしも142m四方の田んぼをたった一人で耕すことが可能だとすれば、77人の人間を養うことができることを意味しています。そうなれば、主食生産から開放された77人は、魚を取ったり家を建てたり歌を歌ったりして暮らすことができるのです。副食を無視した戯れの計算ですし、142m四方の田んぼを耕すのに必要な労働力についても、時代によって全然違った数字になるでしょうが、おこめが思ったよりたくさんの余剰労働力を生み出す穀物であることは確かです。

 私はここに至って稲作の伝来が日本史の教科書で大きく取り上げられている理由が改めて納得できました。恐らくおこめは、長い間狩猟採集生活を続けて来たこの国の様相をガラリと変えたに違いありません。縄、草鞋、ムシロ、ワラ葺き屋根、俵、畳など、ワラを材料にした生活技術も人々の暮らしを飛躍的に豊かにしたことでしょう。稲作に付随する共同作業を通じて地域は組織化され、それを束ねるような形で権力が形成されてゆく過程が古事記神話の背景だったのでしょう。

 米は長い間この国の税でした。多くの紛争は、たどってゆけば米を巡って生起しました。めでたいといっては赤飯、祝いごとといってはモチまき、遠足だ魚釣りだといってはおにぎり、今でも神社のシメ縄はワラでなくてはなりません。収穫をもたらす天に祈り、天に感謝し、天を恐れました。生活の細部にわたっておこめ文化が浸透し、人々をある種の連帯意識でつないでいました。

 時代が移りました。

 おこめが稲であることを知らない子供たちが出現しました。農機の進歩によって、縄のなえるワラは田舎でもなかなか手に入らなくなりました。おこめは、粗末にしては勿体無いものの代表の地位を失い、痩身のために食べ残される程度の食べ物になりました。減反の田んぼが雑草で埋め尽くされても、土地を守り続けたご先祖に申し訳ないとも、田の神に畏れ多いとも思わなくなりました。春祭りも秋祭りも、祈りや感謝を離れて単なる娯楽になりました。

 民族が内部から変化してゆきます。

 いい悪いを言っているのではありません。

 巨大で基本的な変化は、思想運動などではなくて、生活基盤の変化に伴って起きるのです。何世代かあとの世代が完全に稲作文化から離れた時、広範な国民を束ねる文化があるでしょうか。何もないとしたら…。秩序の維持を大量の法文に頼る砂のような国家になってしまうのではないでしょうか。