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特派員報告10
JHO・DAIGIN
平成24年03月11日(日)
日本人は蟻のように並ぶ習性のある民族だと聞いていましたが本当ですね。
平日のお昼だというのに、人気のラーメン屋さんの店先にはビジネススーツの男女がズラリと並んでいました。どんなに美味しいラーメンが食べられても、わずかな昼休みを並んで過ごすなんて我々には信じられない光景です。しかも日本人の脳には周囲の人々の気持ちを察する鋭敏なセンサーがあるようで、見ていると、順番を待つ人のために急いで食べてはそそくさと店を出て行くように思われるのです。
行列は駅のプラットホームにもできていました。自由席の座席を確保するために並ぶのであれば理解できるのですが、指定席の乗り場にも列ができているのを見ると、やはりこの国の人には並ぶ習性があるのだと信じたくなってしまいます。指定席なら必ず座れるのですから、吹きさらしのプラットホームに立たったりしないで、列車が来るぎりぎりの時間までのんびりと待合室にいればいいではありませんか。
たいていは駅の女子トイレにも列ができています。尿意を催してから並ぶところであることを考えると、最後尾の人はさぞかしつらいに違いないと思うのですが、列車の時刻を気にしながらみんな辛抱強く並んでいます。そのくせ女子トイレの個室を増やせという市民運動が起きたという報告を聞きません。
渋滞の道路に延々と続くクルマの列も並んでいるように見えます。ドライバーはイライラしているはずなのですが、ついぞクラクションを鳴らしません。窓から顔を出して怒鳴ったりもしません。もちろん、クルマを降りて渋滞の原因を確かめようとする人もいません。ハンドルを握ったまま、ひたすら前のクルマが動き出すのを待つ姿は、駅やラーメン屋の行列に似ているように思います。
あちこちで黙々と並ぶ姿を見ているうちに、ふと、この国の人々は実は並ぶのが好きなのではなくて、運命に従順な性質を持っているのではないかと思うようになりました。混雑に巻き込まれたのは身の不運とあきらめて、同じ運命を共有する人々の列に身をゆだね、ひたすら事態の改善を待っているように見えるのです。この従順さのルーツはどこにあるのだろうと考えを巡らしていたところ、思い当たることが二つありました。
一つはこの国を襲う災害の多さです。人々は長い間、土と木と紙でこしらえた大変無防備な家屋に住んでいました。しかも照明、暖房、煮炊きなど、生活には火がつきものでしたから、頻繁に火災が発生しました。一旦どこかから失火すれば、土と木と紙でできた江戸という密集都市は、風に煽られて瞬く間に火の海と化しました。なす術のない人々は、わずかな家財道具を担いで逃げ惑いましたが、そもそもが腕一本で暮らしを立てる借家住まいの職人たちです。命さえ助かればヤドカリのように別の借家に住まいして易々と新しい生活を始めることができました。『宵越しのカネは持たない』という諦観めいた美意識は、こうした事情の中で出来上がったのでしょう。あこがれの都である江戸の人々の美意識は、『明日は明日の風が吹く』という諺に代表されるような、運命に逆らわない人生訓とセットになって地方に輸出されたことでしょう。地方には江戸ほどの火災はありませんでしたが、定期的にやって来る台風や、忘れた頃に襲う地震の脅威は逃れようもありませんでした。人々は江戸っ子と同じ人生訓を杖にして、今日の風をやり過ごし、明日の風が吹くのを待ったのに違いありません。
何よりも命が尊いという価値観を共有し、病院と薬が大好きで、公共の建物には無料の消毒噴霧容器が常備され、世界一の長寿を達成している一方で、国の安全は同盟国に任せて平然としていられる不思議な心情も、同様の文脈で考えれば理解できるような気がします。不況も戦争も、ひょっとすると国政も、天災同様、個人を超える運命として、関与するよりも従ってしまう性向が、行列を作る姿の背後に存在するように思います。
今一つは、冒頭でわずかに触れた日本人の脳内にあるセンサーに関係しています。
駅やデパートのエスカレーターにも当然ながら整然とした行列ができていますが、不思議なことに、どこのエスカレーターでも人々は右一列を空けて並びます。初めのうちはその理由が分かりませんでした。ある日デパートのエスカレーターで友人の右隣に並んで立った私は、すぐさま後ろに並ぶように手で促されました。非常識な子供をたしなめるような友人の表情の険しさに、私が慌てて左の列に移るや否や、パイプの詰まりが解消したように、右側の列を人々が次々と足早に上って行きました。してみるとこの国の人々は、エスカレーターを歩いて上る人のために、右一列を空けて並んでいるのです。
「そんなルールがあるのですか?」
と尋ねようとした私の耳に、
「エスカレーターは歩かないで、手すりを持ってお乗り下さい。小さなお子さんがいる場合はしっかりと手を引いてお乗り下さい」
というアナウンスが聞こえて来ました。
『危険ですから歩かないで下さい』という表示も随所で見かけました…ということは、明らかに歩かないことがルールなのです。人々はルールよりも優先すべき価値に従って右一列を空けて並んでいるのです。それが脳内のセンサーが察知した周囲の気持ちに対する配慮であることは言うまでもありません。
狭い国土に土と木と紙でできた家屋を建て、農村あるいは裏長屋で、プライバシーという観念に乏しい共同生活を長年続ける過程で培われた民族の気質は、これほど進歩した文明下のエスカレーターの上でも遺憾なく発揮されています。もちろん後続の人たちは運命に従順な人々ですから、たとえ右側を塞がれてもあからさまに批難することはありません。非常識な人の後ろについたのが身の不運とばかり、渋滞に巻き込まれたドライバー同様、周囲の人々が発する無言の警告が効を奏してにわかに前が動き出すのをひたすら待っているのです。
運命に対する従順さと周囲の気持ちへの配慮を行動原理とする民族が、運命は切り開き、周囲の気持ちは察するよりも説き伏せることを行動原理とする他の民族と渡り合う時代を迎えています。長所と短所は表裏を成しながら変容してゆくものですが、今後この国の人々が獲得し、失って行くであろう民族としての特質は、それを好ましいと感じている者の一人として、これからも注目し続けていたいと考えているのです。
終