自殺の風土(若者偏)

平成24年04月16日(月)

 ニュース番組のコーナーで、若者の自殺が取り上げられていました。統計的には、二十代で死ぬ若者の半数は自殺だそうです。中でも大学を消極的に休学している学生が危険水域にいることを憂慮した若者のグループが、居場所作りの活動を始めました。消極的という意味は、海外留学などのしっかした目的を持った休学ではなく、大学生活に馴染めなくて結果的に学校に行けなくなった学生たちを指しています。もちろん居場所といっても自殺企図のある学生ばかりを集める訳ではありません。自殺を考えている人は集まって下さいと呼びかけて集まるはずもありません。休学中、あるいは休学予備軍の若者たちが、自分の存在を承認される場所に参加することによって、危険水域に立ち入ることなく、多感な人生の一時期をかろうじて泳ぎ切るのです。

 活動はいたってシンプルです。和室に車座になって互いの日常や悩みを語り合うのですが、そこにはいくつかのルールがあります。聞いた内容を他の場所で話題にしてはいけません。社会批判や時事評論ではなく、自分自身を語らなくてはなりません。誰かが話している間は遮ったり、割り込んだりしてはいけません。互いの意見は尊重し、比較や評価をしてはいけません。意見を押し付けたり、アドバイスをしたり、はげましたりしてもいけません。要するに、自分の内面を存分に語り、他人の内面をしっかり聴くという空間を人為的に作り出しているのです。活動は、互いに本音で語り合う関係そのものの中に、ヒトを自殺から遠ざける力が潜んでいることを前提にしています。本音で語り合うという、かつて若者たちこそ自然に身につけていた能力が、今は人為的に設定された場面でしか発揮できなくなっている点に、現代という文明社会に潜む深刻な問題があるように思います。

 支援グループの代表は、若者を危険水域に追い込む要因として次の三つを挙げていました。

一、突如求められる自主性への戸惑い

二、本音を話しづらい空気

三、一旦途切れると再構築が困難な関係の希薄性

 この三つはそれぞれ独立しているように見えて、根底でつながっています。校則でがんじがらめの一方で、手とり足とり、進路の相談にまで乗ってくれた高校生活を終えたとたんに、大学という、何もかも自己責任の世界に放り出されたのは昔の学生も同じでした。しかし当時は仲間と本音で話し合う習慣がありましたから、大学に入ったとたんに突然求められる自主性に対する戸惑いを、仲間に相談しながら乗り越えました。仲間との連帯の強さは、今思えば多分に流行めいた学生運動の嵐となって全国を吹き荒れたことでも分かると思います。大学の校門で学生を迎えたのはアジ看板の前に立つヘルメットをかぶった活動家の演説でした。寄ると触るとあちこちで集会が開かれて議論が行われました。議論は居酒屋に持ち越され、互いの政治的立場から個人的心情まで、生活は終日言葉にあふれていました。本音で語り合う故に互いを傷つけて関係がこじれることがありましたが、本音で語り合う故にまた修復が可能でした。仲たがいした気まずさを仲間に打ち明けると、仲間は仲介の労を惜しみませんでした。人間関係は一旦途切れると再構築が困難なのではなく、途切れたり修復したりしながら深まって行くものでした。つまり、支援グループの代表が二番目に挙げた「本音を話しづらい空気」こそ、若者を危険水域にまで追い詰める根本的原因なのです。だから支援の方法も結局は本音で語ることのできる空間の確保であるのです。

 大きくは安保条約、ベトナム戦争、資本主義の是非から始まって、小さくは人生論や恋愛論に至るまで、寄ると触ると熱っぽく本音で議論していたかつての若者たちの文化は、火炎ビンが飛び交う学生闘争の衰退に連動するように、反戦歌が恋愛歌に変わり、学園ドラマが恋愛ドラマに変わり、校内暴力が陰湿ないじめに変わって、気がつくと、互いの自由を尊重するという価値を歪曲したような、没干渉、没交渉の時代を迎えていました。

「ごめん、おれ、明日の飲み会、パスするわ。ちょっと体調が悪くてよ」

「体調?ウソつけ、彼女と喧嘩したって聞いたぞ」

「まあ、色々あってな」

「話せよ、相談に乗るからさ」

 と展開して、アパートの一室で延々深夜まで及んでいた会話はすっかり様相が変わり、

「え?欠席?残念だなあ。ま、今だったらキャンセル料かかんないから大丈夫だよ。じゃあな」

 と、これで終りです。もっとも飲み会に参加したところで互いの私生活に立ち入らず、当たり障りのない情報交換が行われるだけですから、特別に関係が深まる訳ではありません。本音を話しづらい空気は、日常をこんなふうに蝕んで、結果として若者を寄る辺ない孤立の危険水域に追い込んでいるのです。

 では、本音が話せないと、人はどうして生きる意欲を失ってしまうのでしょう。

 示唆に富む実験を思い出しました。

 体温と同じ温度のオイルを満たした浴槽のような装置の中に、頭からすっぽりと特殊なウェットスーツに包まれた人間が浮かびます。呼吸だけは確保されますが、被験者の体はどの壁面にも接触できないように工夫されています。もちろん視覚も聴覚も遮断されていますから、被験者は重力を含めた一切の感覚刺激を得られない状態でオイルの中に浮いているのです。すると被験者は、存在そのものを脅かす極度の不安に襲われて、とても耐えられない精神状態に陥るというのが実験結果でした。ヒトは自分以外の世界との接触を通して、初めて自分の存在を確認できるのです。そして存在が確認できない状況に置かれると、精神は正常なバランスを保てないのです。

 日常の精神活動を行う人間存在としても同様のことが言えるのではないかと思い、こんな実験をしてみました。数人で構成される複数のグループを作ります。積極的に会話に加わるというルールを課して、一定時間、楽しい雑談を行うよう指示します。ただし、そのうちの一人の被験者については、全員が完全に無視をするのです。被験者の発言は取り合いません。視線も合わせません。被験者の存在は無きが如くに扱われるのです。積極的に会話に加わるというのがルールですから、初めのうちは被験者も懸命に話題提供を行ったり、他のメンバーの話に反応したりしていますが、取り合ってもらえないどころか、誰一人視線すら合わせてくれない時間が経過すると、被験者はおしなべて発言をしなくなります。周囲が笑っても笑わなくなります。やがて被験者の態度は三つのパターンに分かれます。グループ全体を無表情に観察する態度を選んだ被験者は、メンバーの話しは聞いていますが、反応することはありません。誰かの面白い冗談に周囲が弾けるように笑っても、決して笑うことはありません。冗談の内容は理解していますから、知的には他のメンバーと同じように面白いはずなのですが、笑いという感情のスイッチは入らないのです。腕を組み視線を落として苦痛な時間をひたすらやり過ごす態度を選んだ被験者は、メンバーの話しを聞きません。鼓膜は震えていても会話は単なる音でしかありません。自ら心を閉ざすことで、相手にされない屈辱から身を守っているのです。まれに突っ伏して身悶えたり、「もう、やだぁ!」と泣き出す被験者の態度は一過性です。自分の苦痛を表現する依存のエネルギーを使い果たすと、結局は前二つの被験者と同じ行動に落ち着くのです。

 一切の感覚刺激を遮断した人間浮遊実験では、生き物としての存在そのものが不安にさらされました。同様に、一切の人間的反応を遮断したグループ実験でも、ヒトは正常な精神状態を保てませんでした。逆に言えば、正常な精神状態を保っている人は、それなりの人間的反応に囲まれていると言っていいでしょう。日常の生活はそれで十分なのです。しかし心に苦悩を抱えたときには事情が変わります。本音が話しづらい空気があると、それに阻まれて苦悩は表現されません。表現されなければ反応は得られず、反応が得られないと、ヒトは正常な精神状態を保てないのです。

「今、そんな重い話題振るわけ?」

「お前、空気読めよ、空気」

「え?え?ここで身の上話しになるんだ」

「ちょっと、そこまで立ち入るの、マズいんじゃねえ?」

「お前、キャラに似合わねこと言ってるってわかる?」

 本音を話しづらい空気の原因なのか結果なのか、この種の会話が若者の世界に蔓延しています。テレビを点ければあふれかえるバラエティ番組のように、重い雰囲気は排除するという暗黙のルールの上で、軽妙な会話が、おどけたり茶化したりしながら、貴重な時間を埋めて行きます。そこでは日常的な孤立は免れていますが、若者を休学にまで追い込んでしまう苦悩はオイルの中で浮いているのです。人生には色々なことがあります。個人的な欲望に満ちた人間が、同じように個人的な欲望に満ちたたくさんの人々と関係を取り結びながら生きています。うまく行くことより、思うようにならないことの方が多いに決まっています。苦悩は免れないのです。大切なのは小さな日常の苦悩をオイルの中に浮かべないことです。

 かつて本音を話していた若者が、いつの間にか本音を話しづらい空気に支配されるようになったとしたら、その原因はどこにあるのでしょう。ここ三、四十年の間の変化ですから、経済成長と関係がありそうです。電話はメールに変わりました。ご飯を炊くのも風呂を沸かすのもスイッチひとつで済むようになりました。紙芝居はテレビに変わり、テレビは一人一台になりました。職場は遠方になり、住む地域と働く場所は離れてしまいました。茶の間という言葉は死語になって、家族はそれぞれに自分の部屋を持ちました。バスや電車を使うよりクルマで移動するようになりました。公共交通機関を使う場合でも、カードを軽くタッチするたけで改札を通ることができるようになりました。家族の生活リズムはばらばらになって、とうとう俎板や包丁のない家庭まで登場しました。一貫しているのは人と関わる機会の減少でした。豊かになるということは、人と関わらなくて済むということでもあるのです。

 対人技術は知識ではなくて訓練で向上するものですから、人と関わる機会の減少は当然に対人技術の劣化をもたらします。技術の未熟さゆえに生ずる摩擦には、技術を訓練することで対処すべきなのですが、セクハラだ、パワハラだ、いじめだ、差別だ、プライバシーだ、個人情報だと、訓練よりも批難で封じ込める風潮が人々を臆病にしました。その結果、若者は、空気を読んで、誰も傷つけず、当たり障りの無い会話を行うことに汲々とするようになったのではないでしょうか。そして本音を遠ざけた程度に応じた孤立感を抱えることになったのです。

 豊かになれば人間の自由度は増し、互いの自由を尊重すれば、立ち入らない範囲は広くなります…と言うことは、自由と孤立とは一枚の紙の裏表であり、文明社会の必然であるのです。人と接する時の「のりしろ」を大きくとる生き方を、小さい頃から教育の過程で意識して訓練するか、利便性…つまり、人と接触する機会を減らすことを善として来た豊かさの基準そのものに反省を加えるか、冒頭で紹介した若者たちの活動のように、本音の話せる空間を用意するか、そのいずれかと言うよりは、全てを同時に実行すべき時代を私たちは既に生きているのではないでしょうか。