歩道橋のセクハラ

平成24年04月16日(月)

 あまりに面白い出来事だったので、忘れないうちに記録しておきましょう。

 新学期になると教員の仕事は断然忙しくなります。毎年同じ内容を講義していればいいのだから教員なんて楽な仕事だと思う人があるかも知れませんが、年度が変わると統計資料を中心に教科書の内容が変わります。制度が変わります。その変化に対応するのもさることながら、そもそも授業に工夫を加えないと、教える側のモチベーションが保てないのです。

 その日、レジュメの作成に没頭して、ひと区切りついたときには、とうにお昼を過ぎていました。

「先生もお昼まだでしょ?桜を見ながら公園で何か食べましょうか。もうそろそろ花も終わりですよ」

 隣りの席で同じように熱心にパソコンに向かうN先生に声をかけると、

「いいですね。イカ焼きかタコ焼きでも食べますか」

 意気投合した二人は、並んで公園に向かいました。

「それにしても学生数が増えたのは嬉しいことですが、年々男が増えるのはなぜでしょう?」

「ホント、今年は七割が男ですからね」

「昨年よりまた一段と男が増えましたよ」

「やはり男女は半々がいいですね」

「どちらが多くてもバランスが悪いですが、男が多い年はどうしても教室の雰囲気がごつごつしていけません」

「かつて福祉は圧倒的に女性が多かったのに、あのたくさんの女たちは一体どこへ行ったのでしょうかねえ?」

 教員同士の話題は、当然のようにクラス運営の方向に向かいました。

 大きな歩道橋の階段を上り切り、眼下に国道を見下ろしながら、橋の中央に差し掛かったときです。

「女が欲しいですねえ…」

 斜め後ろを歩いているはずのN先生にそう言って振り向くと、目の前で知らない女性がにわかに表情を硬くしました。

 N先生はというと、はるか後方で身を乗り出して最近整備された駐輪場を見ています。

 知らない男性から追い越しざまに「女が欲しい」と告白された五十がらみの長身の女性は、白昼に変質者を見た不気味さを振り切るように足早に歩き去りました。

「先生、さっきは知らない人に何を話したのですか?」

 と尋ねられて訳を話すと、よほどおかしかったのでしょう、N先生は、う!と言ったきり歩道橋にしゃがみ込みました。

「黙って遅れないでください。こちらは一緒に歩いていると思ってるじゃないですか」

 抗議する私の目の前でN先生は腰を曲げ、お腹を抱え、涙を流して笑っています。笑い事ではないと思いながら、私までおかしくなりました。予定通りイカ焼きを食べながら、思い出したように笑うN先生は、最後まで自分の罪を自覚することはありませんでした。