領土割譲

平成24年08月15日(水)

 月一度の定例会議が終了して、いつものように九人の仲間たちで中華料理の店に出かけました。値段が安い割りに味は良く、注文した料理が素早く出て来るのが人気の店でした。

 経営者も調理人も店員も全員が中国人で、

「イラッシャイマセ!」

 という言葉にも独特の訛りがあります。

「ナンニンデスカ?」

 と聞かれて九人であることを両手で示すと、髪を引っ詰めに束ねた中年の女性店員が、

「ハイ、オキャクサン、キュウニンネ!」

 もう一人の女性店員に大声で伝えました。

 金曜日の夜とあって、大小二つの座敷もカウンターも満席状態でした。大きな方の座敷にかろうじてテーブルが一つ空いてはいましたが、六人座るのがせいぜいです。

「無理…みたいだな…」

 諦めかける私たちを、

「チョトマッテネ」

 慌てて引き止めて、二人の店員は中国語で何やら言葉を交わしました。

 大きな座敷では、八人の若者たちがテーブルを二つ連ねてすっかり出来上がっていました。テーブルの上にはビールのジョッキや食べ散らした料理の皿が散乱し、顔を赤くした若者たちが気炎を上げています。二人の店員は、涼しい顔でテーブルに近づくと、

「ハイ、スマナイガ、アタラシイオキャクサンキタカラ、ココ、テーブルヒトツアケテモラウヨ」

 客の返事も聞かず、一人は空いた皿を集めては次々と厨房に運び、もう一人の店員はまだ料理の残っている皿を一つのテーブルに移し始めました。

「おい、八人で一つのテーブルに移れってか」

 と驚きながら、若者たちにはなす術もありません。あれよあれよという間に店員は空いたテーブルをもう一つにくっつけて、

「ハイ、キュウニンノオキャクサン、コチラヘドウゾ」

 手柄を立てたように大声で促しました。

 促された私たちは何ともきまりが悪く、

「済みませんね」

「申し訳ないですね」

 若者のグループに頭を下げながらテーブルに着きました。

 若者たちは八人であるのに対して、こちらは九人…。その差はわずか一人に過ぎません。二つのグループに違いがあるとしたら、若者たちはもう十分飲み食いをして無駄にテーブルを占拠している存在である一方、私たちはこれからおカネを落とす存在であるという点ですが、それは店の都合でしかありません。アルコールを伴う飲食は、単に空腹や喉の渇きを満たすのではなく、飲み食いしながらたっぷりと会話を楽しむことが目的ではありませんか。無理やり席を移動させられた若者たちはもちろん不満気でしたが、

「ノミモノハナンニシマスカ?」

 抗議するタイミングを奪うように店員は手際よく私たちにおしぼりを配って注文を取りました。事態が次のステップに移ってしまった以上、抗議すれば私たち九人まで巻き込んで厄介なことになるでしょう。若者たちかそれを好まないことを店員たちは見越しているようでした。

「しょうがねえなあ、中国人はよ…」

 店員たちの予想通り、若者たちは窮屈なテーブルで肩を寄せ合って、何事も無かったかのように談笑の続きを始めました。

 運ばれたジョッキを掲げて乾杯をしながら私は、店員と若者の行動の違いについて考えていました。

 一般的に宴会が続いている間、テーブルは客の占有に属する、いわば客の領土です。しかし店員は、本来テーブルは店のものであるという荒っぽい論理を楯に、客の領土の半分を無理やり奪い取ってでも利益を図る行動規範に準じていました。一方若者たちは、理不尽な領土割譲に腹を立てながらも、しょうがねえなあ…と諦めて、トラブルを回避する行動規範に準じているのです。両者の間には天と地ほどの違いを認めなければなりません。小さな中国料理店でのできごとから国民性を論ずるのは乱暴だとは思いながらも、国民性の本質は実はこんな些細なエピソードの中にこそ垣間見えるものなのだとも思いました。

 国家の在りようは国民に反映し、国民の在りようは国家に影響しないはずがありません。日本の領海では小さな島にまつわる大きな利益を巡って両国間に深刻な紛争が続いています。一国の主権をかけた領土と、小さな中国料理店のテーブルを同列で語る訳にはいきませんが、それでもなお、領土問題に対する両国の対応の違いの、よって来たるべき何事かが、政治とは全く違う角度から実感を伴って理解できたような気がしたのでした。