現代の川止め

平成24年09月24日(月)

 『雨あがる』という映画が好きです。撮影するばかりになっていた黒澤明の脚本を、監督亡きあと、いわゆる黒澤組のスタッフが完成させた作品で、原作は例によって山本周五郎です。長雨で川止めが続く川宿に居合わせた貧しい庶民たちの心模様と、そこに同宿した浪人夫婦の誠実な生き方は、全編を通じて背後に激しい雨の存在を意識して描かれているだけに、観終わった者の胸には、文字通り、雨あがりの青空のような爽やかな気分が広がります。そして、煩わしい人間社会で、もう一度素直に自分らしく生きてみようという気持ちになるのです。

 川止め…。時代劇には頻繁に出てくる場面ですね。外様大名による江戸攻めを警戒した徳川幕府は、幹線道路を横切る河川には橋を架けず、渡し船や川越人足を交通の手段としたために、増水はそのまま川止めに直結して、見ず知らずの旅人たちが川宿の相部屋でひたすら水が引くのを待ちました。さぞ不便だったことと思いますが、不便であるがゆえに交わるはずのない様々な人生が交差して、『雨あがる』に描かれたような心温まるドラマの展開もあったのです。

 時代は移りました。川という川には立派な橋が架かり、交通網は隙間なく張り巡らされて、川止めどころか、短時間に信じられない距離の移動が可能になりました。朝八時半過ぎの新幹線に乗れば、博多で午後からの講演を済ませて、夜の七時前には名駅で味噌煮込みを食べることができるようになりました。こうなると、もう旅ではありません。単なる日常です。そして単なる日常にロマンは期待できないのです。ところが、昨今の異常気象によって再び現代に川止めのロマンが復活する兆しが見られます。

 石川県全域の民生委員を対象にした人権擁護研修会の講師を終えて、金沢駅に着いた私を待っていたのは特急しらさぎ号の運休を告げる構内アナウンスでした。

「名古屋に帰るのですが、これから先のしらさぎは全て運休ですか?」

 切符を見せてうろたえる私に、

「米原付近の集中豪雨が原因ですから何とも言えません。最終便までに雨があがれば動くと思うのですが…」

 駅員はさも誠実に質問に答えているように見えますが、言い換えればこうなります。

「駅員に天気の予測ができると思いますか?そういうことは気象庁に聞いて下さい」

 すると、私を押しのけるようにスーツ姿の中年の男性が駅員に詰め寄って、

「それじゃあ困るんだよなあ。明日の朝、大事な仕事があるんだ。サンダーバードで京都を回れば何とかならない?どうしても今日中に名古屋に戻りたいんだけど」

「はい、京都までは運行していますが、問題は京都からの新幹線がいつ動きますか…」

 これも言い換えればこうなります。

「米原でゲリラ豪雨なんですよ。京都を回るからって米原が晴れるわけないでしょう?」

 天候ばかりは人知の及ぶところではないのです。私は金沢で一泊するのを覚悟の上で、とりあえず最終列車の運行状況を見極めることにして、構内にある食堂とも居酒屋ともつかぬ店に入ってカウンターに席を取りました。同じ事情で時間をつぶす乗客たちが次々と入ってきて、店はすぐに満席になりました。

 現代の川止めです。

 初めから長尻になるつもりですから、生ビールとつまみを一品注文したあとは、食べ終わる度に次の料理を追加するという方法で時間を稼ぎながら、私はプラスチック製の四角いルーペを使って文庫本を読み始めました。しばらくすると、

「そのルーペ、読み易いですか?」

 隣りで飲んでいた青いポロシャツ姿の男性に声をかけられました。年齢は六十歳前後でしょうか、足元には無造作に黒いリュックが置いてあります。

「これ、新聞社の景品なんですよ。友人からもらったんですけど案外便利です。あなたも足止めですか?」

「また集中豪雨ですよね。私は最悪でも金沢の実家にもう一泊すればいいですが、皆さんは大変ですね」

「金沢がご実家ですか。息子さんと過ごす夜が一晩増えて、ご両親が喜ばれますよ」

「いえ、実家には誰もいません」

「え?」

「一人暮らしの母親が施設に入ったので、毎月面会に来てるんですよ」

「そうでしたか…毎月金沢まで。中々できないことだと思います。私も故郷で母親を一人にしていますが、なかなか覗いてやれません」

「おいくつですか?」

「八十二歳になります。物忘れがひどくなりました。身の回りはできていますが、オートバイに乗るのだけが心配で…」

「ほう、八十歳を超えてオートバイですか。お元気で何よりですね。うちは九十一歳で寝たきりですが、私が息子だということが理解できません」

「そうなんですか…それはおつらいですね」

「息子だとは判らないのに、面会するとひどく喜ぶんですよ。いったい母は私を誰だと思っているんですかねえ…」

 男性はジョッキのビールを一気に飲み干すと、

「さて、私、諦めて今夜はこちらに泊まります。最終列車、動くといいですね」

 何かをふっ切るようにリュックを持って立ち上がりました。私も椅子から降りて、

「お母様をお大事に…」

 会釈をして別れましたが、別れてからもなぜか、いったい母は私を誰だとおもってるんですかねえ…という言葉だけがいつまでも心に焼き付いて消えませんでした。

 息子とは分からないで大喜びする母親を彼はどんな思いで見舞っているのでしょう。遠くない将来に母親の葬儀を済ませた彼は、息子を認識しないまま人生を終えた母親の墓にどんな気持ちで手を合わせるのでしょう。家族の思い出のたくさん詰った金沢の実家は、住む人もないまま、結局は売却することになるのでしょうか。息子の顔さえ忘れてしまった母親の晩年の姿は、彼の人生への身構えにどんな変化をもたらすのでしょうか。文庫本を読むのも忘れて思いを巡らす私の耳に、店の外を通り過ぎる若者の携帯電話の声が聞こえて来ました。

「はい、最終のしらさぎも運休と決まりましたので、今日はこちらに一泊して、明日始発で向かいます」

 本格的な川止めの事実を知って、私は安宿を探すために観光案内所に向かいました。提示されたパンフレットの中から手頃なビジネスホテルを選びながら、何もかもが予定通りに進む日常にあって、不可抗力によるこの程度の予定変更もロマンチックだな…と思ったのでした。