忠犬ハチ公

平成24年11月12日(月)

 あれは確か私が三十代前半の頃でしたから、もう三十年近く前のことになります。全国の福祉事務所職員を集めて東京で開催された一泊研修に参加したことがありました。

 当時私は趣味で童話を書いていて、「忠犬ハチ公」を題材にした作品を着想したところでした。初日の日程を終えたあとの懇親会で意気投合した仲間たちから二次会を誘われましたが遠慮しました。この機会を利用して渋谷駅前のハチ公の銅像を見たいと思っていたのです。どうして銅像を?と聞かれた私は仲間たちに作品の構想を披露しました。

『ハチ公の家にはミケというネコが飼われていました。芸の一つもしないのに、ミケはいつもご主人の膝の上で気持ち良さそうに眠っています。それがハチ公にはうらやましくてなりませんでした。番犬として家を守り、ご主人の散歩に同行し、ご主人の投げたボールを懸命に追いかけ、どんなに空腹でも許しがあるまでは食べ物に手をつけず、すっかり信頼を勝ち取ったと思ったハチ公は、恐る恐る庭先からご主人の部屋に上ろうとして、こっぴどく叱られます。

「利口なイヌだと思っていたのに、座敷に上がるやつかあるか!」

 失意のどん底でハチ公は、どうやったら君のようにご主人に愛されるのかとミケに尋ねますが、ミケの返事は思いもかけないものでした。

「愛されたい?そんなこと考えてるからイヌの生き方は窮屈なんだよ。ネコは自由だよ。愛されたいなんて思ったことがないからね」

 それ以来ハチ公の苦悩が始まりました。

 愛されたいと願うハチ公が座敷に上がることすら許されず、愛されたいなどと思いもしないミケがご主人の膝を独占するなんて不合理です。

 もっと愛されるために、ハチ公はご主人を駅まで迎えに行くことを思いつきました。ご主人はとても喜んでくれました。やがて駅でご主人の帰りを待つハチ公の姿は評判になりますが、ある日ご主人が急死してしまうのです。そうとは知らないハチ公は、来る日も来る日も空しく駅で待ちながら忽然と悟ります。自分はご主人から愛されたいのではなく、ご主人を愛しているのでした。待つことがご主人に対する愛の表現になりました。十年待ち続けて死んだハチ公は渋谷の駅前で銅像になって、今も帰らぬご主人を待っていますが、除幕式の日、物陰からまぶしそうにハチ公の姿を眺める年老いたネコがいたことに気付いた者はありませんでした』

 以上が作品のあらすじです。

 それを聴くと二次会に行くはずだった数人の仲間たちは大変感動して、自分たちも銅像を見に行くと言い出しました。今となっては顔を思い出すこともできませんが、缶ビールを手に手にハチ公を取り囲む若い男女のシルエットが記憶のスクリーンで揺れています。

 自分はイヌの生き方がいい、私はネコのように生きたい…と話しが弾むうちに、気が付けば終電が終わっていました。こんな時間からでも泊めてくれる宿泊施設の場所を交番で教わって、深夜の東京をやみくもに歩いて行くと、これが都心かと目を疑いたくなるようなトタン屋根のバラックが立ち並ぶ一角にたどり着きました。細部の記憶はすっかり消えていますが、案内された長屋の一室は隣りの部屋との境がベニヤ板でした。靴もカバンも部屋の片隅にかためて置いて、全員で雑魚寝をした一晩は忘れることができません。うとうとしたのもつかの間、ギャーッというけたたましい声で目が覚めて、まだ薄暗い外へ出ると、一斉に飛び立ったおびただしいカラスの群が向かう先に、新宿の高層ビル群がそびえ立っていました。

 あの時の仲間たちも、三十年近い歳月を重ねて、私同様老いの坂を上る年齢を迎えていることでしょう。そして、初対面の若者たちがあんなふうに意気投合して一夜を過ごすことのできた魅力的な時代を懐かしく思い出しているに違いありません。