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特派員報告13
JHO・DAIGIN
平成24年11月18日(日)
さすがにかつてのように、日本と言えばゲイシャ、フジヤマ、ハラキリをイメージする人はいませんが、それでも我々特派員は、日常の随所で伝統ある東洋の神秘を垣間見ることを期待して日本の空港に降り立ちます。
竹の筒に挿した一輪の花に無限の宇宙を表現したり、陶器の鉢で育てた小さな松のたたずまいに悠久の時の流れを感得したり…日本人がいとも簡単に実現して見せる価値の転換は、合理的思考に親しんだ我々には大変魅力的です。瑣末とも思える作法に従ってお茶を点てたり喫んだりする主客の時間を、ゆったりとくつろいで過ごせるまで訓練することによって、制約に満ちた人間存在からの内なる解放を果そうなどというアプローチは、我々が逆立ちしても思いつかない方法です。日本に行けば、ごく普通の暮らしの中に一見不合理と思われる神秘が息づいている…。そんな期待はしかし、空港に降り立った瞬間から見事に打ち砕かれるのです。そびえ立つ近代的なビル群。正確に運行される交通機関。若者は流行を追い、大人たちは仕事に追われています。感情の表出については想像以上に抑制的ですが、人々の行動は極めて合理的で神秘の気配はありません。ところが、二年も滞在すると、この国の人々を支配する理解を超えた不合理が見えて来るのです。
象徴的な出来事を紹介しましょう。
結婚を約束した二人の若者が見つけてきた格安の結婚式場をめぐって、新郎新婦と両家の両親の間で信じられないような騒動が持ち上がりました。ことは二人が予定した挙式の日が仏滅であることを新婦の父親が問題にしたことから始まりました。仏滅…。調べてみると日本では、一年三百六十五日のそれぞれについて、六曜と言って、先勝、友引、先負、大安、仏滅、赤口という六つの「日柄」が決められていて、仏滅は何を行うのも良くない日ということになっています。大抵の日本人がこの日の挙式を避けるので、その日に限って結婚式場は格安に設定されているのでした。
「仏滅はやめなさい!何考えてるんだ、縁起でもない。なあ、母さん」
「そうね、何もわざわざ一番縁起の悪い日に式を挙げなくても…」
「私たちそんな迷信気にしないわ。特定の日が全国一斉に縁起が悪いなんて、信じる方がどうかしてると思う。仏滅に生まれる子供もいれば、大安に亡くなる人だっている。みんな大安の日に家を建てたはずなのに津波にさらわれたじゃない。それより費用が嘘みたいに安いのよ。これだったら親に迷惑かけなくても蓄えた資金で何とかなるわ。自分たちの結婚式は自分たちの力だけでやりたいの」
「カネの問題じゃないだろう。誰も大安だの仏滅だのを本気で信じてる訳じゃない。しかし式場が安いということはみんなが仏滅を気にしているということだ。世間が気にすることを無視すれば、変わった人間だと思われる。結婚生活を変な人間としてスタートすることが自分たちの将来にとってどれほどの損失になるか、そんなことも分からないのか?」
「そうよ、長い人生には色々なことがあるのよ。信じていなくたって、悪いことが起きる度に、あのとき仏滅に式なんか挙げなければと後悔するのは嫌でしょう?向こうのご両親はどう言ってらっしゃるの?」
「彼の家はうちみたいに非科学的じゃないわよ。私たちに任せて下さってるわ」
「おい母さん、嫁ぎ先がそんな考え方じゃ、この結婚、考え直した方がいいんじゃないか?」
というやり取りが彼女の口から彼の耳に入り、今度はそれを聞いた彼の両親が反応しました。
「二人にとって結婚は自立の儀式だ。自分たちで決めたらいい。しかし、そんな次元の低い家族と親戚付き合いが始まるのかと思うと気が重いなあ…」
散々もめたあげく、親と縁を切るだの、駆け落ちするだのというところまで発展して騒動は収まったのですが、聞けば挙式はチャペルで行うというから笑えます。チャペルと仏滅…。この奇異な取り合わせはともかくとして、新婦の父親の言葉は、日本人が体質的に拭い去れない不合理な集団心理を端的に表現していました。
「世間が気にすることを無視すれば、変な人間だと思われる。それがどれほどの損失になるか分からないのか?」
日本人は、「世間」という実体のないものに怯えて、信じてもいない迷信に拘束される一方、拘束されることによって「世間」という怯えの対象を作り出します。「世間」は、世の中全般だったり、住んでいる地域だったり、勤務する職場だったり、家族だったりします。会議室の場合もあれば、身近なグループの場合もあります。いずれにせよ「世間」という名の所属集団から変な人間だと思われないことが、日本人の行動規範の大きな部分を占めているのです。一つのムードができ上がると、一斉に同じ方向に向かって歩き出すように見える日本人の特性は、全員の信念が一致した結果ではなく、ムードに逆らえない怯えの集積であるのです。そのようにして勝ち目のない戦争に突き進みました。そのようにして高度経済成長を達成しました。そのようにして日本人は今度はどこへ向かうのでしょうか。
ちなみに「友引」の日は友を呼ぶという、まるで根拠のない理由によって、この国の火葬場は休業になる場合が多いようです。
終