優しいバリア

平成30年05月25日(金)

 ある学校で社会保障の授業を担当することになりました。

 総理が「国難」と称したように、わが国の少子高齢化は社会保障の持続可能性を危機に陥れるほど深刻な状況です。労働人口が非労働人口を支えるに足る数を維持できなければ、社会保障の財源である税と保険料は痩せ細り、医療、介護、年金はもちろん、社会福祉の制度さえ制限的にならざるを得ないでしょう。高齢化が進むのは理解できます。栄養を改善し、衛生的な環境を整え、神経質なまでに健康を志向する日本国民を、手厚い医療保障体制が守っているのですから、寿命が伸びないわけがありません。しかし、少子化についてはどうでしょう。戦後の食べ物にも困る時代に、ベビーブームと称する空前の人口増加を見たわが国は、飢餓を克服し、小学生までが掌中のコンピューターで情報操作を楽しむ豊かな時代を迎えたにもかかわらず、なぜ少子化に苦しんでいるのでしょう。

 理由はいくつか考えられます。一人の子どもを成人させるまでに相当な費用がかかる一方で、いじめの被害者になったり、加害者になったり、不登校になったり、非行に走ったりと、子どもに関する親の気がかりは際限もありません。不愉快で危なっかしい思春期を何とか乗り越えて社会人になったかと思えば、就労は不安定で、なかなか良縁に恵まれません。運よく伴侶を見つけても、子どもたちから期待されるのは、折に触れての経済的援助と孫の世話です。そんなにまでして支え続けた子どもたちも、いざ親に介護が必要になったときには世話をしてくれる保証はありません。そもそも最高学府を出て就職した女性が男性と知り合って結婚しようとすると、子どもを何人も産むには既に年齢が高くなっています。子どもの住環境を確保しようとすれば高額な住居費がかかります。住居費や教育費を捻出するために母親が出産後も職場復帰を果たそうとすると、職場には度重なる育児休暇を歓迎しない空気が存在するのです。

 だったら子どもなんて要らない、持ったとしても一人でいい、といったたぐいの個々の決断の集積が今日の少子化の原因だとしたら、現実を生きる生活人の立場で、そのことを実感を持って考えてもらおうと思い、二十代から四十代まで、幅広い年齢層の男女が学ぶわずか十数人のクラス全体に質問しました。

 こんなに豊かになったわが国で、どうして子どもが減るのでしょう?一般論ではなく、自分自身に引き付けて考えてみたいと思います。さあ、今の社会で皆さんが子どもを持つとしたらいったい何人欲しいか挙手で答えて下さいね、と前置きをして、

「子どもなんて要らないと思う人…」

 という質問に手を挙げる学生はいませんでした。

「子どもは一人でいいと思う人…」

 という問いには数人が手を挙げました。

「二人は欲しいと思う人…」

 これにも数人しか手を挙げなかったということは、残りの学生たちは三人以上は欲しいということになります。一組の夫婦が三人以上の子どもを産めば、やがて少子化は食い止められます。私は少なからぬ驚きと頼もしさを感じながら、確認のために聞きました。

「それじゃ子どもは三人以上欲しいという人は手を挙げて下さい」

 ところが誰も手を挙げません。

「あれ?手が挙がらないということは、そうか、迷っているということだね?もう一度質問するから、この際、迷うという選択肢はなしで、必ずどれかに手を挙げて下さいね」

 と、再び質問を繰り返したのですが、能面のような表情をして最後まで手を挙げない学生が半数に上るのです。

 私はそこに質問に対する拒否の意思を読み取りました。そこで拒否した学生の何人かを指して、手を挙げない理由を尋ねましたが、返って来た答えはどれも意表を突くものばかりでした。

「私には流産で辛い思いをした知人がいます。子どもが欲しくてつらい不妊治療を受けたのに、とうとう授からないで諦めた友人もいます。そういう人のことを思うと、先生の質問は余りにもデリカシーに欠けると思って手が挙げられませんでした」

「私は出産の機会のないまま今日まで独身で過ごしてしまいました。今後、結婚ができるとも思えません。それなのに、子どもが何人欲しいかと質問されて大変傷つきました。質問の意図は分かりますが、やはり無神経な質問だと思います」

「世の中には心と体の性が一致しない人もいます。そういう人たちに向かって子どもが何人欲しいかなんて言えますか?私はこういうパーソナルな質問には答える必要はないと思い手を挙げませんでした」

 半数の学生たちは、私の質問に対して密かにそんな感情を抱いて無言の抵抗を示したのでした。しかし、本当に私の問いは他人の心を傷つける無神経な質問なのでしょうか?

 私は社会保障の科目を担当しています。人間を襲う様々な生活上の困難に、公的に対処する手段や方法の体系を社会保障というのですから、対象は社会的に弱い立場に陥った人々ということになります。難病、障害、一人親家庭、失業、犯罪、引きこもり、自殺、孤立死、認知症、独居、老老介護、介護離職、介護難民、低所得、DV、虐待、ホームレス等々…枚挙にいとまがないこれらの問題の渦中で苦しむ人々について、尊厳ある生活を保障しようとすれば、まずはわが身を対象に置き換えて、その心情と、必要な支援を考えてみる姿勢が大切ですが、学生たちが言うようなレベルのデリカシーを求められては、そもそも授業が成立しません。