横断歩道

平成30年09月19日(水)

 一階に家電量販店とスーパーを、二階には家具と衣類と薬の量販店を配したビルが、JRの駅からも地下鉄の駅からも歩いて数分の距離にあるために、雨だというのに周囲にはそこそこの人通りがありました。

 二車線の道路を走行中の私は、片道三車線の大通りと交わる交差点を右折するために、道路中央まで侵入して、歩行者が横断するのを待ちました。一群の歩行者が長い横断歩道を左右に渡り切り、少し遅れて左から渡り始めた高齢者が私の前を通り過ぎました。右から渡り始めた自転車の男性と歩行者の女性が私の目の前まで来るのにはまだ間がありそうです。

 今なら安全だと判断して右折し切ったところに、赤い棒を振りながら雨合羽姿の警察官が現れました。

「横断歩道、歩行者が渡り始めていたの、ご存知でしたか?」

「ええ、知っていましたよ」

「渡りきるまで車は停止することになっているのはご存じでしたか?」

「それは一応承知してはいますが、安全を確認して右折しました」

「最近交差点での事故が増えていますので、お気をつけ頂きたいと思います」

「だから安全にこうして右折したじゃないですか。これって、点数とか罰金とかになりますか?」

「規則ですのでね、二点の減点と九千円の罰金です」

「え?ただの指導や注意喚起ではないのですか?」

「ま、違反は違反ですので…」

「しかし、ゆっくり歩くお年寄りの場合、渡りきるまで待っていたら後続車がクラクション鳴らしますよ」

「急いで手続きを致しますので免許証をお見せ下さい」

「ね、お巡りさん、あなたは私服のとき、本当にそんなルールを厳密に守って運転しているのですか?」

「お名前と生年月日をおっしゃって下さい」

 何を聞いても無駄でした。淡々と手続きが進みます。

「おい、ネズミ捕りに捕まっちまったぜ」

「うわ!運が悪いなあ。どこで?あ、あそこはよくやってるんだ。知らなかったのか?ま、厄落としだと思うんだな」

 スピード違反のときの友人とのやり取りが浮かびました。

 私は観念して青い切符に人差し指の指紋を残し、郵便局でさっさと九千円を振り込んで、いつまでも納付書が手元にあるいまいましさを回避しました。九千円といえば、時給九百円で大人が十時間働いたのと同じ金額です。私にはそれほどの罪を犯したという実感がありません。というより、同じ違反を犯した人が一人漏らさず捕まるシステムで取り締まりが行われていれば、ここまでいまいましくはないのでしょうが、たまたま捕まった不運な感覚がやり場のない憤りになっているのです。

 私は車を運転する友人知人に事の次第をメールしました。同じ轍を踏んでほしくないというのは建前で、持て余す悔しさを仲間と共有しないではいられなかったのです。ところが、ばらばらと入る返信を読むうちに、悔しさを超える興味と関心が心の傷を癒してくれました。内容そのものではありません。文面が送信者の人柄を実によく表しているように思ったのです。

 紹介致しましょう。