- ホーム > オリジナル小説/目次 > 暴力教師19
暴力教師19
玄関のチャイムが鳴った時、清一も浩一も返事をするのをためらった。時間から見て、訪ねて来たのが誰なのか解りすぎるくらい解っていたが、浩一の怪我を巡ってこれから始まるはずの険悪なやりとりを考えると、はい、と言うのも、どうぞ、と言うのも何だかちぐはぐな気がした。三度目のチャイムを聞いて千波が玄関に走り、
「お父ちゃん、お客さんよ!」
無邪気な声を張り上げた。
「こっちへ上がってもらいな」
清一は、待っていたように居間から不機嫌な返事をした。
「夜分恐れ入ります。大手門中学の校長の若林と、浩一くんの担任の尾崎ですが…」
ドアの内側で挨拶はしたものの、部屋に上がるのを躊躇している二人の態度が清一にとってはちょうどいいきっかけになった。とりあえず何かに腹を立てていないとはずみがつかない。
「何をもたもたしてやがるんだ!入れと言っただろうか」
清一は怒鳴りながら玄関に立ちはだかった。
「あの、これはつまらない物ですが」
若林校長が、途中で買って来たカステラの包みを差し出すと、
「ばかやろう!物が欲しくって言ってんじゃねえや!」
清一は受け取らないで、
「これを見ろ、これを」
二人の目の前に診断書を突き出した。
「誠にどうも…」
と頭を下げる校長の横で、
「あの、まず浩一くんに会わせてもらえませんでしょうか」
読み終えた診断書を清一に手渡しながら俊介が言った。
「なに!」
清一が俊介をにらみつけた。
「お前が担任の暴力教師だな?診断書が信用できねえのかよ」
「いえそういうわけでは…ただ本人に会って手を上げたことについては謝りたいと思いますし、そうなったいきさつについても、本人の前でお父さんに解って頂きたいと思いまして」
「ふざけるな!」
清一は、若林校長が下駄箱の上に置いたカステラの包みを床に払い落とした。千波が慌てて奥へ走り去った。
「何が手を上げただ。手を上げたくらいで二週間の怪我をするか、このやろう!」
「お、おっしゃるとおりです、お父さん。ですからこうしてお詫びに上がってるわけでして…ここはひとつ穏やかに、そうでしょ?尾崎先生」
「よし、解った。つまり自分たちのやったことは認めるというわけだな、校長先生。それじゃ息子の怪我を見てもらおうか」
清一は居間を振り返り、
「浩一!浩一!」
手招きをした。
左頬にガーゼを当てた浩一がのっそりと姿を現した。
浩一、お前…と言いかける俊介を手で制し、
「浩一君、済まなかったね。先生たち、今夜は君に謝りに来たんだ」
若林校長が頭を下げた。
浩一はそっぽを向いている。というよりも、正直に言うと、浩一にはまともに二人の先生を見る勇気がなかった。
「解っただろう、浩一の怪我は」
清一が勝ち誇ったように言った。
「あんたたちも子供じゃねえんだ、詫びを入れるってことがどういうことか判ってるんだろ?」
「?」
「慰謝料だよ、慰謝料。そうだなあ…まあ、五十万円で水に流そうか」
「五十万円!」
振り向いたのは浩一だった。
「ちゃんと出るべきところへ出て決着をつけたっていいんだぜ、こっちはよ。でもそれじゃ新聞やテレビは喜ぶが、あんたたちは困るだろうと思ってなあ、親切で言ってやってるんだ、親切で」
「父ちゃん」
「お前は黙ってろ!」
清一に一喝されて浩一は目を伏せた。
「しかし窮屈だよな、実際、あんたたちの仕事もよ。同情するぜ、まったく。酒飲んで運転したらクビだろ?休みの日だからって派手な格好するわけにはいかねえだろ?自分のカネで飲んでても、酔ってくだまくわけにはいかねえし、店のねえちゃんを口説くのも先生のやることじゃねえ。いつだって人目を気にして賢そうにふるまって、考えて見ると、おれたちが平気でやってることで、あんたたちにはできねえことか山ほどあるもんなあ。因果な商売だぜ、先生ってのもよ。でもな、折角その歳まで窮屈な思いしながら無事勤め上げて来たんだ。こんなことでつまずいたらつまらねえだろ、え?先生さまよ。五十万円なら安い買い物だと思うがなあ」
「断ります!」
俊介が言った。
「お、尾崎先生…」
校長が止めようとするが、俊介は引き下がらない。
「きっぱりとお断りしますよ、塚本さん。診断書を持って警察でも裁判所でも好きなところへ行ってください。確かに私は浩一くんを叩いたし、そのことは済まなかったと思っています。だからこうして謝りにも来たのです。しかしお父さん、あなたはなぜ浩一くんが叩かれたのか、その理由を聞こうともしない。謝るってことは、ただ頭を下げてカネを払うってことではないでしょう。お互い判り合わなきゃ、水に流すことだってできないはずです。いいですか、お父さん、あなたは浩一くんを理解していません。浩一くんは淋しいんです。父親なら、もっと浩一くんを解ってあげて下さい」
「うるせえ!」
清一の目がつりあがった。
「盗っ人猛々しいとはこのことだ。ひと様の子供に怪我させておいて、ぬけぬけと説教しやがる。へ!上等だぜ。帰れ、帰れ!もう話し合うことなんかねえ。家に帰って自分たちが新聞に載るのを楽しみにしやがれ!」
「ちょっと、ちょっと待って下さい」
若林校長が背広のポケットから財布を取り出した。
「何をするんですか、校長!」
「いや、尾崎くん、短気はいかん、いけませんよ。これは先生だけの問題じゃない。学校の名誉にもかかわる問題です」
「しかし校長」
「とりあえず、五万」
校長は、震える手で一万円札を五枚数えながら、
「五万円お渡しします。ですからマスコミに言うのだけは待ってください。これは校長としてのお願いです。あとのことは明日にでも」
清一に現金を差し出した。
清一は、ほんの一瞬考え込む表情を見せたが、すぐにそのカネを受け取って、
「だったら初めからごちゃごちゃ言わなきゃいいんだ。おれだって事を荒立てるつもりはねえ」
自分の上着のポケットにしまい込んだ。
その様子を、浩一の憎むような目が見つめている。