暴力教師20

 台風がそれると嘘のような青空が広がった。

 次の日の午後、大手門中学の校長室では、若林校長を始め水島教頭、佐藤生徒指導主任、そして尾崎俊介が、深刻な額を集めていた。

「この際、こちらからきちんとするしかないでしょう。一日経っただけで五十万円を百万円につり上げて来るような人間を相手にしていたら、切りがありませんからね」

 法律に明るいのが自慢の水島教頭は、分厚い六法全書をぺらぺらとめくりながら、

「確か刑法の二百二十二条です。塚本浩一の父親の行為は立派な脅迫罪が成立しますよ」

 そう言って訳知り顔で老眼鏡をはずした。

「しかし、そうすると尾崎先生の立場が…」

 佐藤主任にとって、それは他人事ではなかった。生徒指導の立場で子供たちの頬や頭を叩いたのは一度や二度ではない。

「いや、それはもちろんですが、校長先生の立場も相当の非難を浴びる覚悟がいるでしょう。何しろ既に五万円を相手に渡していらっしゃる。部下を指導すべき立場の者が、カネで事実を隠蔽しようとしたそしりは免れません。ところで尾崎先生のご意見は?尾崎先生?」

 俊介は、窓越しに見える生徒たちの姿を追いかけていた。今日、塚本浩一は無断で欠席した。当然といえば当然だったが、担任としては、やはり心配だった。校長室で延々と繰り返されている議論は、俊介と浩一との間で起きた事件とは無縁の、遠い世界の出来事のような気がしていた。

「困りますなあ尾崎先生。これは本来あなたの問題なのですよ」

 水島教頭は、半ばあきれ顔でタバコに火をつけた。若林校長は終始苦い表情で腕を組んでいる。

「いずれにしてもですね」

 佐藤主任が言った。

「まだ塚本浩一の父親と話し合う余地は残されています。ああいう男ですから、カネが目当てであることは間違いがありません。尾崎先生や学校の名誉を傷つけてみたって、一円の得にもならないことは判っているわけですからね。だとしたら民事訴訟か刑事訴訟か知りませんが、微々たる金額の慰謝料しか取れない手続きを、教頭先生がおっしゃるように、脅迫罪を問われる危険性を押してまで実行するとは思えません。相手には相手の弱みがあるわけです。ここは安易に結論を出さないで、じっくりと金額の交渉をすべきだと僕は思いますがね。そして双方の納得できる金額に落ち着いた時点で、二度とこの件で争わないという示談を取り交わすのです」

「しかしですね、佐藤先生」

 と言いながらタバコをもみ消す水島教頭の指先は、いらついている時の癖で、吸殻を何度も灰皿に押し付けている。

「民事の方はその示談書が有効になるでしょうが、それを取り交わすことは、当方がこの一件を、教師の生徒に対する暴行事件として書類に残し、しかもそれを、こともあろうに塚本のような危険極まりない男の手に委ねる結果になるのですよ。診断書には誰が暴行を加えたかについては何も触れてはありませんが、示談書はそれを明記しなければ意味がない。今度はその示談書をネタに刑事事件としてゆすられる可能性があるわけです」

「…」

 話は再び振り出しに戻り、どんよりした沈黙が校長室を支配した。

 と、その時、電話が鳴った。

 受話器を取った校長の顔色が変わり、一方的に聴くだけの短い通話の後で、ばったりと机に両手をついた若林校長は、肩を落としてこう言った。

「塚本の父親が、明日までに百万円を用意しろと言って来ました。でなければこの話をマスコミに売ると言っています。警察じゃなくてマスコミというところが始末に悪い。私は決心しましたよ。これから教育委員会に報告に行きます。恐らく教育委員会は、規定に照らしてきちんと処理することでしょう。やはり事実を包み隠そうとする我々の姿勢に誤りがあったようですな」

 水島教頭が六法全書を閉じた。

 佐藤主任が大きなため息をついた。

 俊介が立ち上がった。

 そうと決まれば、若林校長と一緒に急いで教育委員会に出向かなければならない。

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