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ナマズ先生4(老いの風景シリーズ)
ナマズ先生の話しは聞くだけで妙に気持が落ち着くと徹が言っていたのを思い出し、光男が菓子折り一つ持って訪ねて行くと、
「やあ、今度は君か。日曜の朝から酒という訳にはいかんが、まあ上がりたまえ」
ナマズ先生こと浜津先生は、お茶だ、お茶だと台所から急須と湯飲みを運んできた。机には何やら書き物の原稿が散らばっている。
「お邪魔じゃなかったですか?」
「お邪魔だよ」
「え?」
「人間、この世に生まれて来たことがそもそもお邪魔じゃあないか。気にすることはない」
ナマズ先生の言うことは、一々意表を突く。
「今度来た課長が嫌なやつなんです。細かいくせに判断する能力はないものだから、書類は何度でも突っ返されて、おかげで残業は増えるし、カミさんは機嫌が悪いし…」
「ほう…。君にもいよいよ横糸だね?」
「は?」
ナマズ先生が光男の持参したモナカをうまそうに頬ばると、唇の端にカワがくっついた。
「人生は織物だぞ。七十年も生きて見ると解る。自分の意志という縦糸と、他人の意志や運命という横糸でできている」
「はあ…」
「私の人生にも大変な横糸が何度もやって来た。大きな手術もした。失恋もした。親友に足をすくわれた。両親を亡くし、一昨年は妻に先立たれた。長男が外国で交通事故に会った時はつらかったが、今度は孫が不登校だ」
「…」
「それやこれやを自分の意志という縦糸で縫い上げるんだ。振り返ると、横糸の多い時こそ美しい模様が織り上がっている」
人が死ぬと、ひつぎはその人が織り上げた織物で包まれるんだよ…としみじみ語る度にナマズ先生の唇の端でモナカのカワが上下して、笑いを堪えながら光男の気が晴れてゆく。