たっちゃん

作成時期不明

 子どもたちが小学校の校庭で野球をしています。その中にたった一人、黒い学生服を着た身体の男の大きな子を見かけたら、それがたっちゃんでした。

 たっちゃんは、前の中学校も入学式に出ただけで、あとはほとんど欠席をしましたが、今度の中学もお母さんに連れられて転校のあいさつに行ったっきりで、それから先はただの一度だって校門をくぐったことがありません。とはいっても一日中家でぶらぶらしているわけでは決してなくて、一応は、

「行ってらっしゃい」

 というたっちゃん独特のあいさつを残して毎日きちんと家を出るには出るのですが、途中でくるりと向きを変えて、小学校の方へ行ってしまうのです。

 校庭を見下ろす土手の上に腰を下ろして、たっちゃんはまずお母さんがこしらえてくれた弁当を広げます。小さい頃から食べ物をとっておくことの苦手なたっちゃんは、ついさっき朝ごはんを食べたばかりだということも忘れて黙々と箸を運び、ふうっと大きなため息をついてお腹を撫で下ろした時には、弁当箱の中にはもう、ひとつぶのごはんだって残ってはいないのです。

 朝礼が終わり、入れ代わり立ち代り運動場に出て来ては体育の授業に取り組む子どもたちの姿を嬉しそうに目を細めて眺めながら、たっちゃんは学校がひけるのを辛抱強く待ち続けます。やがて終わりのチャイムが鳴って、まるで解き放たれた羊の群れの様に子どもたちが元気よく校庭に出て来ると、

「ぼくを遊んであげて!」

 たっちゃんは大声を上げて一気に土手を駆け下りるのです。

「困ったもんです」

 と言いながら、難しい顔で腕を組んだのは小学校の校長先生でした。

「ご迷惑をおかけしますな」

 と言いながら、ハンカチで額の汗を拭ったのは中学校の校長先生でした。

 窓の外では、たった今誰かが打ったファウルボールをたっちゃんが懸命に追いかけています。

「いつもああですか?」

「ルールがわからないから、球拾いしかできんのですよ」

「しかしそれでは面白くもないでしょうに…」

「子どもたちと一緒にいられるだけで楽しいようです。よほど子どもが好きなのでしょう」

「変わった子ですな」

「変わってるといえば、あの言葉ですよ」

「言葉?」

 中学の校長先生は首を傾げました。

 行って来ます…が、行ってらっしゃいになり、ただいま…が、お帰りになり、ごめん下さい…が、いらっしゃいませになるだけでなく、ボクを遊んであげて…とか、ボクにおやつをあげて…とかいうちょっと変わった言葉遣いが、たっちゃんは小さい頃からどうしても直りません。

「それを面白がって、子どもたちが盛んに真似をするもんだから、最近では保護者からの苦情もちらほら聞こえて来る始末です」

 小学校の校長先生の深刻な顔を前に、

「いや、困ったもんですな…」

 今度は中学校の校長先生が腕組みをする番でした。