エドワード夫人の散歩

作成時期不明

 おカネがあって仕事がないということは、こんなにも人間の生活を変えてしまうものなのでしょうか。突然降って湧いたように莫大な遺産が転がり込んで、またたく間にこの辺り一番の大金持ちになってしまったエドワード夫人は、始めのうちはあまりの幸運に戸惑っていましたが、やがて使っても使っても使い切れないほどの利息が預金通帳に記入されてゆくことに気がつくと、これまでのように朝から晩まであくせく働くことが何だかばかばかしくなってしまいました。そこで、長年勤めてきた会社を辞めたエドワード夫人は、

「お金持ちはお金持ちらしく暮らす義務がございます」

 という建築業者の勧めに従って、郊外にまず家を建てました。大金持ちの未亡人が住むのにふさわしく、それはびっくりするくらい広くて立派な家でした。まわりに背の高い鉄の柵が張り巡らされ、庭一面に青々とした芝生が張られると、それはもう家というよりは城に近いものになりました。財産の管理をするための執事と、身の回りの世話をするための何人かのメイドたちを雇うと、エドワード夫人にはもう何もすることがありません。あとはただお金持ちらしく優雅にのんびりと毎日を過ごせばいいのです。

 エドワード夫人の生活は一変しました。

 仕事からも家事からも解放されたエドワード夫人にとって、特別注文でこしらえた金の文字盤の柱時計は、壁に飾られた有名な画家の油絵と同じように、ただの部屋の装飾品になりました。これまでのように朝の七時だからといって慌てて起きる必要もなければ、夜の十時だからといって読みかけの本を閉じて明日のためにベッドにもぐる必要もありません。普通の人だったらパーティーに行く時にしか着ることのないような鮮やかな絹のドレスを身につけて、眠りたい時に眠り起きたい時に起きれば、そこにはちゃんと朝食の準備ができているのです。

 本当におカネの力というものは想像以上のものでした。今まではただの一度だって訪ねて来たことのない頭のはげた宝石商が毎週毎週やって来て、

「これこそ奥様にふさわしい宝石でございます」

 と猫なで声で勧める度に、エドワード夫人の指と耳を飾る宝石の輝きはその色を変えました。映画を観、音楽を聴き、おいしいものを食べては、ぶらぶらと遊び暮らす生活がいったいどれくらい続いたでしょうか。この頃では大金持ちの奥様ぶりもすっかり板について、幸せの頂点にいるかに見えたエドワード夫人でしたが、ある日、人に勧められるままに浴室に大きな全身鏡を取り付けてからというものは、その鏡の前に立つ度に憂鬱なため息をつくようになりました。幾重にもくびれたあご、肩にめりこんでしまった首、おなかとの境界線のわからないウェスト…。そこに映っているのは、かつてのスマートで働き者のエドワード夫人ではありません。それどころか、食べ過ぎと運動不足のために醜く太った一人の中年女性の姿だったのです。

 それ以来エドワード夫人は、今までよりもさらに一層着るものにおカネをかけるようになりました。

「どんなに高くても構わないから、もっと痩せてみえる工夫をしてちょうだい」

 というエドワード夫人の注文に、おかかえの洋服屋はあらゆる知恵と技術を傾けましたが、縦縞のスーツも、黒っぽいロングドレスも、ドラム缶をコーラのビンに見せる事はできません。あげくの果ては、ウェストを思い切って細くしぼった特別仕立てのドレスを着たままで、靴下を脱ごうとからだを屈めた婦人の背中をビリビリと絹の裂ける音が走るに至っては、夫人はもうこれまでの努力が虚しいものであったことを認めないわけにはいきませんでした。それはドレスの裂ける音であると同時に、夫人のプライドの裂ける音でもあったのです。犬を連れて散歩するエドワード夫人の姿を町で見かけるようになったのは、それからしばらくしてからのことでした。