杉の木の夢

平成29年12月15日(金)掲載

「台風19号は、依然その勢力を保ったまま北上しており、中心付近の最大風速は40メートル…」

 テレビもラジオも今日は朝から台風のことばかり放送しています。

「この調子だと今夜この辺りをまともに通ることになりそうだぞ!」

 人間たちは大慌てでした。雨戸を釘で打ち付ける者、植木鉢が倒れないように、しっかりと縄で結わえる者、ガラス窓を板で隠す者…。それぞれの人間が思い思いの方法で風に備えた頃には、気象台のレーダーよりも敏感に危険を感じることのできる町の動物たちは、もうすっかり鳴りを潜めていました。野良ネコたちは屋根裏で息を殺していましたし、スズメたちもハトたちも、できるだけ大きな木に集まって、体を寄せ合っていました。し~んと静まり返った夕暮れの町に電柱だけが取り残されました。

「おおい!みんな風が出て来たぞ!しっかりと足に力を入れるんだ。倒れるんじゃないぞ!」

 一番古い電柱が仲間の電柱たちに声をかけました。丈夫な電線で結ばれている電柱は、お互いに手をつなぎ合って立っているのと同じことです。一人が倒れると、次々に倒れてしまう恐れがありました。

「大丈夫だよ、おれたちは若いんだ。じいさんこそ気を付けな!」

 若い電柱の声が返って来ましたが、にわかに降りだした滝の様な雨と、一段と激しさを増した風の中で、途切れ途切れにしか聞き取れません。古い電柱は歯を食いしばりました。これまで何度こうして恐ろしい台風を耐え抜いて来たでしょう。大勢の仲間たちが倒れるのを見て来ました。中には真ん中から折れてしまった電柱もありました。

「負けるものか!負けるものか!」

 その度に歯を食いしばって今日まで生き抜いて来たのです。そしてとうとう仲間たちから「じいさん」と呼ばれる歳になってしまったのです。古い電柱はしっかりと目を閉じると、なぐりつける雨に耐えながら、初めてこの町にやって来たときのことを思い出していました。


 あれはもう何年前になるのでしょうか。電柱は、山の杉の木として平和な毎日を送っていました。とても素直だった杉の木は太陽に向かってすくすくと真っ直ぐに成長しました。たくさんの小鳥たちや、山の動物たちと友達になりましたが、あるとき、

「君の様に素直な杉の木はきっと人の役に立つに違いないよ」

 年老いたフクロウにそう言われて、ひどく嬉しかったことを覚えています。

「ぼくはどんなふうにして人の役に立てるんだろうか…」

 来る日も来る日も杉の木はあれこれと想像に胸をふくらませたものでした。たいていの杉の木がそうであるように、新しい家の柱になって人間の生活を支えることになるのでしょうか。それともどこかの川の丸木橋になって、大勢の人間たちを渡すことになるのでしょうか。いえ、ひょっとするとピカピカのタンスか戸棚になって、お嫁入りのお供をするのかも知れません。

「とにかくその日のために、少しでも早く大きくならなきゃ…」

 杉の木は心からそう思っていたのです。ですから、いよいよ切り倒されるという日が来ても、それほど怖いとは思いませんでした。生まれて初めて地面を離れることは不安なことでした。仲良しの小鳥たちや動物たちと分かれるのはつらいことでした。けれど、人の役に立てるという喜びに比べれば耐えられないつらさではありませんでした。ノコギリがどんどん切り進みます。くすぐったいような痛いような気持ちが背中を走ります。

「元気で頑張るんだよ」

「さようなら」

「さようなら」

 小鳥たちの声に応えようとしてしたときには、杉の木の体はもう地上を離れていました。メリメリ…という音に続いて、ドドド…という、ものすごい音が響き渡り、ゆっくりと杉の木が倒れます。そのときの様子が、今までのどんな木よりも立派だったと、あとで山の動物たちが噂し合ったことを杉の木は知りません。杉の木はその日のうちにふもとの工場に連れて行かれたのでした。