ここに、一つの本がある。
古びた表紙の、目立たない本。
悪夢の歴史を記した、伝承の本。
何気なく、その本を手にする。


『愚者・カトブレパスの伝説』。
己が欲望の果てに、「魔神」の存在を確立した男の話だ。
人々は皆知っている。
彼が犯した罪の重大さと、彼のために犠牲になった人々の無念を。
だからこそ、古びた本は今もなおここに存在しているのだ。


開いた本に目を落とす。
カトブレパスは、どうやら研究者だったようだ。
愚者は、とある場所に「魔神」の元となる力が存在しているのを突きとめた。
そこへ赴き、自らの研究の成果によって「魔神」を具現化したのである。


「魔神」は……異常だった。
そう、まさに異常。
地を焼き、海原を裂き、空を焦がし、人々の心を折る。
時という概念でさえも揺るがす、異常と呼ぶだけでは物足りないほどの力。
それだけの力を、愚者は抑えきることができなかった。


愚者は、最期の時を向かえる。
否、カトブレパスという男はその時に消え、「愚者」という存在が残ったのだ。
「魔神」は「愚者」を取り込み、その存在を膨張させる。
本当に、どうしようもならないほどに……。


人々は絶望した。
「魔神」は、人々から己の無力を嘆く力すらも奪っていった。
あがき、ふるえ、叫ぶ。
それら全ての行為は、全て「魔神」の糧となっていった。
「もうダメだ……一人の男のおかげで、全てが終わる……」
あとはただ、避けえぬ滅びを寡黙に待つだけ。
もう選択の余地などなかったのだ。


だが。
「――それでも、諦めない」
それが一筋の希望の光。
「諦めちゃ、いけないんだ――!」
「魔神」を打ち倒す、唯一の聖剣。
そんな魔法の武器を持つ若者たちが、「魔神」へと挑戦する。


人々は彼らを哀れんだ。
死に急ぐ彼らに、少しばかりの祈りを捧ぐ。
「せめて、苦しみのうちに死すことのないように・・・」


しかし……結末は違っていた。
彼らは、再び人々の前に現れるのである。
その身は確かに疲弊し、武器は跡形も無く。
それでも彼らは、満面の笑みを見せた。
久しぶりによく晴れた空に、その笑顔はとてもよく似合っていた。


心晴れる民。
やっと心を取り戻せた人々は、彼らと共に笑った。
青く、世の果てまで広がる澄みきった空の下で――。


――本を閉じ、視線を目の前の壁に移す。
悪夢はそこで幕を下ろし、世界は今のような世界になったという。
愚者による卑劣な行いと、それを食い止めた者たちの話。
これが『愚者・カトブレパスの伝説』だ。
悪夢は、事実として広く人々の間に知られている。


ここに、一つの本がある。
古びた表紙の、目立たない本。
その表紙に描かれた3つの道具。
宝珠、聖杯、首飾り。
聖剣の持ち主は、これらに「魔神」を封印したという。
宝珠に力を、聖杯に肉体を、首飾りに精神を。


確かに存在した愚者と「魔神」。
だが、これらの道具が今どこにあるのかは知られていない。
二人目のカトブレパスが現れぬよう、どこかでひっそりと眠っているのだろう。
「もしかしたら、オレの家にあるかもしれないな。」
――そんなくだらないことを考えつつ、本を棚に戻す。


「おーい、イルス〜っ!!」
家の外から女の声がする。
本の世界から現実の世界へと引き戻される声だ。
「――厄介だな」
刹那、扉が勢いよく開かれ、やわらかな陽の光が家の中に差し込む。
ああ、今日もいつも通りの生活が始まるんだな。
目を開き、ゆっくりと女と向き合う。



それが、意外にもあっけなく訪れた、「戦い」の始まりであった――。



Malfasのリメイクで使おうと思っていた文章です。
凍結状態になったので、もったいないし公開してしまおうかと。
若干最後の部分がMalfasと異なってますが、まぁ気にしない。
写真素材は僕の見た秩序。から借用してます(一部加工)。