|
この文化圏におけるいかなる太鼓台も、一足飛びに今日ある形態や原初的形態に至ったとは
到底考えられない。
太鼓台と呼べないほどの規模や形態から、大太鼓を積み込んだだけの、初期の素朴な太鼓台
へと発展していく下地があったに違いない。
太鼓台のルーツ探究が、より素朴な形態の太鼓台見学・探訪に負うところ大とするならば、この
コーナーでは、更にその前身たる「太鼓台以前」はどうであったか、の考察を試みようとしてい る。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
櫓組みの中央に大太鼓を垂直に積み込み、太鼓叩きが乗って叩く。神輿のように若者たちが
威勢良く担ぐ形式。それが太鼓台。
しかし、そのような形態となる以前を想像する時、私には「合戦の太鼓・大型船の太鼓・神仏の
信仰用具・威勢を束ねる役割としての太鼓」等が思い浮かぶ。
このうち、太鼓台分布との関連からどうしても切り離せないのが、船と太鼓との関係である。
私の推論−船に積まれた合図の太鼓の中から、いつ、どこで、台に太鼓を積み込む最初の
「素朴な太鼓台」が、私たちの眼前に登場したのか。
“太鼓台”の登場はいつの頃か。対して、まだ定説はない。舁棒(かきぼう)にて担ぐ太鼓台の
形式を整えてしまうと、「素朴・小型の太鼓台から、豪華で大型のものに徐々に発展していく」。 これは間違いのない事実である。
|