太鼓台以前の形態

この文化圏におけるいかなる太鼓台も、一足飛びに今日ある形態や原初的形態に至ったとは
到底考えられない。
太鼓台と呼べないほどの規模や形態から、大太鼓を積み込んだだけの、初期の素朴な太鼓台
へと発展していく下地があったに違いない。
太鼓台のルーツ探究が、より素朴な形態の太鼓台見学・探訪に負うところ大とするならば、この
コーナーでは、更にその前身たる「太鼓台以前」はどうであったか、の考察を試みようとしてい
る。

復元された遣唐使船(縮小です)と、船首の櫓に大太鼓を積む「東征絵伝」の遣唐使船



「長篠合戦図屏風」の<背負う太鼓>と、「築城図」の石曳きの<太鼓> 
中央公論社刊『戦国合戦図屏風集成』



「洛中洛外図」の櫓太鼓(部分 「舟木屏風」 同上)



宇和島藩・大鵬丸 船首近くの櫓(2階)部分に、太鼓が見える。

「海道をゆく−江戸時代の瀬戸内海」(1999.7愛媛県歴史文化博物館)


高松藩・飛龍丸 大鵬丸と同じような場所に太鼓が積まれている。

左は上記「海道をゆく−」から。 右拡大はレプリカの絵から。


絵馬「しばり網・大漁帰港図」 鞆(船尾)の“よこがみ”に太鼓あり。(観音寺市・龍王宮)

※“よこがみ”:舵を支える構造物。船が大型化すると櫓構造になる。その場所に太鼓を吊るす。


滋賀県甲良町の「太鼓」 小さな乗り子は、立ったまま太鼓を打つ。バチは手首にくくりつけられている。



滋賀県五個荘町の「太鼓」 長いバチを使い、歩行しながら叩く。



近江八幡市「太鼓」と 呉市阿賀の「太鼓」



櫓組みの中央に大太鼓を垂直に積み込み、太鼓叩きが乗って叩く。神輿のように若者たちが
威勢良く担ぐ形式。それが太鼓台。
しかし、そのような形態となる以前を想像する時、私には「合戦の太鼓・大型船の太鼓・神仏の
信仰用具・威勢を束ねる役割としての太鼓」等が思い浮かぶ。
このうち、太鼓台分布との関連からどうしても切り離せないのが、船と太鼓との関係である。
私の推論−船に積まれた合図の太鼓の中から、いつ、どこで、台に太鼓を積み込む最初の
「素朴な太鼓台」が、私たちの眼前に登場したのか。

“太鼓台”の登場はいつの頃か。対して、まだ定説はない。舁棒(かきぼう)にて担ぐ太鼓台の
形式を整えてしまうと、「素朴・小型の太鼓台から、豪華で大型のものに徐々に発展していく」。
これは間違いのない事実である。



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