平天井型(格天井型)太鼓台

四本柱の上に、平らな、主として格(ごう)天井を積んでいる太鼓台。その上に薄い飾り布を用いることが
多い。

「祭礼絵馬」(部分) 今治市・大浜八幡神社  (嘉永5年・1852)


平天井型の太鼓台。大浜は来島海峡の四国側に位置する。井形に組んだ舁棒には大勢の顔
が描かれている。四本柱を背にした乗り子と大きな太鼓。太鼓台の乗り子の座り方には、この
ように四本柱を背にして座る方法と、四本柱間の中央に座る方法とがある。天井には赤い布を
被せているように見えるが、その布も薄いのか、かすかに格(碁)天井の様子が認められる。観
衆からよく見える布地部分には、絵なのか刺繍なのか、木の枝(梅の花?)を巡らせている。 
以下に、この絵馬に似た太鼓台を紹介する

「櫓」(やぐら)  愛媛県吉海町渦浦 



渦浦は大浜の沖合い、大島にある。この太鼓台も、乗り子は四本柱を背にして四隅に座る。乗
り子の移動は、このように肩車。乗り子は“神童”である。運行中、足を直接地面につけないで、
肩車にしている地方は相当数ある。

「ヨイヤセ」  愛媛県内海村柏




「ヨイヤセ」は掛声からの呼称である。愛媛県南予地方には、豪華な太鼓台の“祖形”とも言え
る素朴な「ヨイヤセ」や「四ツ太鼓」が、「牛鬼」や「五ツ鹿」などと共に、数多く伝承されている。
 また、南予地方では天井部分を“障子”と呼ぶ。紙張りした障子のイメージからの呼び方と思う
が、確か和歌山県御坊市の「四ツ太鼓」でも“障子”と言っていた。南予地方の太鼓台を一般的
には「四ツ太鼓」と呼ぶのも、御坊市の四ツ太鼓と一致する。

「祭礼奉納絵馬」(部分)  広島県豊町沖友  天保13年(1842)


沖友は大崎下島の南面にあって、同島の御手洗と共に海運で栄えた。大坂の絵師が描いたと
伝わるのが、この絵馬である。平天井型の櫓(ヤグラ)が威勢良く描かれている。
このコーナーで紹介したように、この平天井型の太鼓台は、来島海峡域・愛媛県南予地方・九
州日向灘域・和歌山県御坊市付近などの各地に点在する。
地元の古老の中には「描いた絵師は、沖友の櫓を見て描いたわけではない。従って、絵馬は
沖友の櫓ではない」と主張する人もいた。その真偽は今後の研究に譲るとして、私自身は、平
天井型と蒲団型の2様式を、同一の地域で確認できたことで、「太鼓台の発展過程パターンを
物語るのではないか」との思いを強くしている。
右の写真は現在の沖友の櫓で、重厚な本物蒲団を天井に積んでいる。絵馬の櫓と現在の櫓
の形状が大きく異なる。

「四ツ太鼓」 御坊市







和歌山県日高川河口に位置する御坊市は、上方(灘地方含む)から江戸に向う航路の主要な
寄港地であり、特に多くの樽廻船の母港でもあった。そのため、現在の阪神間との文化・経済
交流にも深いものがあり、祭礼様式等も彼の地から何らかの影響があったものと想像できる。
紀伊半島域で現在知られる太鼓台の祭礼は、この日高川河口域の日高町・川辺町・御坊市
と、やはり航路の寄港地である梅林で名高い南部町、それに三重県熊野市である。御坊の太
鼓台は「四ツ太鼓」と呼ばれる。形態は写真のように幌を被せたような平天井型で、この形態と
関連するものとしては、同じ祭礼道具の「傘鉾」を上げておきたい。四ツ太鼓の天幕の<方形
>と、傘鉾の<円形>との違いはあるが、その装飾・使用目的は「神の依代」との見方もでき、
太鼓台発生に何らかの関連があるのではないかと想像している。
乗り子についても言及しておきたい。歌舞伎の隈取同然の化粧に目を奪われがちとなるが、そ
ればかりではない。各地の太鼓台・乗り子に共通する所作としての“反り返り”をぜひ触れてお
きたい。結論から言えば、乗り子の反り返りは、恐らくかっての太鼓台ではごく一般的な所作の
一つであったものと思われる。思いつくままに記せば、長崎・熊本県苓北町・徳島県日和佐町・
小豆島・高松市女木島・愛媛県保内町雨井・徳山市須々万など、形態や規模の異なる数多く
の太鼓台で確認されている。
御坊組の四ツ太鼓には、昔京都で作られたという龍の刺繍がある。(見学当時) 拡大写真で
は龍のクシャ(口元の髭)が肉盛のない平縫いという技法で刺繍されていて、年代物であること
を物語っている。
なお、四ツ太鼓運行の掛声については別の機会をとらえ、長崎などとの各地比較を試みたい。


「ヨイマカ」 宮崎県国富町六日町





太鼓台の呼称は「ヨイマカ」。掛声「ヨイャマカ(セ)」から呼ばれるようになった。台や舁棒は頑
丈そのもの。ただ格天井を支える四本柱は太くはない。乗り子は台四隅の部材にきつく縛りつ
けられる。
ヨイマカは、藩政時代の六日町本庄が商業地として栄えていた頃、商人を通じて大坂地方の蒲
団太鼓に真似て始めたものと伝わる。また祭日の間には、歌舞伎見立ての着飾った人形を披
露する舞台も設置される。

「だんじり」 延岡市島野浦島




昔はだんじりを船に乗せていて、その際の船上での掛声は「ホーランエー、ヨイヤサノ、サッサ」
であり、舁手の若者たちは手踊りをしていたと聞いた。
普段に担ぐ時の掛声は「チョイヤサ、ヨイヤサ」である。神輿と張り合うときは「ミコシ、エーコン」
(神輿、よう来ない)と発していた。
乗り子は青色の襦袢を着用していた。(この衣裳は単に「乗り子衣裳」と呼んでいた)乗り子に
青い襦袢を着せる地方が少数ではあるが存在するため、更なる考察を加える必要がある。乗
り子は、背当ての赤い座布団と一緒に高欄に縛りつけられていた。なお、担ぎ手は顔に化粧を
していた。
だんじり上部の構造は、まず傘があり、神社拝殿に吊るしているのと同様な大鈴を転がしてい
た。天井は格天井、紙張りだった。(台には“そり”がある)



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