熊野市栄町「ヨイヤ」見学記
<2002.10.12〜13見学>

三重県熊野市は、単調な海岸線が延々と続く熊野灘・七里御浜の東北端に位置する。
この地域のかっての中心地・熊野市木本(きのもと)町の木本神社祭礼に、太鼓台「ヨイヤ」は
神輿に従うかたちで、他町の「六法行列」(ろっぽう・奴行列)・「獅子舞」・「だんじり屋台」などと
一緒に奉納されている。

町中を担ぐ、栄町「ヨイヤ」 四本柱には椎の木の枝が飾られていた。


太鼓台「ヨイヤ」は、外観上は、上から黒・白・赤蒲団の三段重ねの蒲団型太鼓台である。ま
た、この地域の近隣では、現時点太鼓台は存在しない。強いて言えば、紀伊半島内陸部の奈
良県吉野地方(丹生川上神社中社だんじり祭・小川祭)、三重県では名張市に太鼓台があり、
また、和歌山県側では、日高川河口域の御坊市周辺、南部(みなべ)梅林・高級梅干で名高い
南部町にもあるが、そのいずれもが熊野市からは遠隔地である。言わば、熊野市・栄町のヨイ
ヤは“飛び地”的に存在していると言ってよい。
もっとも、私自身は、かっての上方から江戸への海路の途中である紀伊半島南部地方にも、
“太鼓台はあるのではないか”と以前から想像はしていた。このホームページを見ていただいた「熊
野大百科辞典」(現在ホームページは中断・充電中)の管理人さんからその存在をご教示していた
だいたのが、ヨイヤ見学のきっかけだった。 
このように分布だけをみても、各地の太鼓台とは離れて伝わっているので、熊野市・栄町のヨイ
ヤは、「どのようなルートで伝えられ、その特徴はどこにあるのか、他地方との関連はどうなの
か」等については、大変興味深い点であると思う。

「ヨイヤ」について
ヨイヤは、高さ約2.9メートル・四本柱間は約90センチほどの規模で、舁棒は4本、外観上は
3枚蒲団を積む“蒲団型太鼓台”である。その呼称は、太鼓台を差し上げる時の掛声「ヨイヤ
ー」からであることは間違いない。ヨイヤは、本祭り当日の神社から御旅所まで全行程を、肩に
担いで運行する。

(1)蒲団部の構造
@最上部の黒蒲団は1枚ものの蒲団である。
A下の“2枚”の蒲団は、バラバラに分解する“枠”型の形態である。その“一段”の形状は、4
本の「辺」と4隅の「L字型片」から成っており、中に“オガクズ”を詰めた袋状である。これらの部
材をつなぐ時には、袋状の端に取り付けられている紐同士を結び、四角な“輪=鉢巻”状に仕
上げる。
B更に、蒲団部の中心には“竹籠”を伏せている。竹籠の周囲に、下2本の“輪=鉢巻”がはめ
込まれ、その上に黒蒲団を重ね、“バンド”と呼ぶ簡単な「蒲団〆」で十字に留める。バンドはゴ
ムのように張力があるわけではなく、やや膨らんだ竹籠の反発力によって型崩れがしないので
ある。

ヨイヤの蒲団部の組立て部材



このように、蒲団部の中央にヨイヤと同様な構造物(竹籠や木箱)を備える地方としては、愛媛
県保内町雨井(あまい)「四ツ太鼓」・兵庫県新宮町千本「屋台」・愛媛県瀬戸町川之浜「四ツ太
鼓」・京都府丹後町此代(このしろ)及び平の「だんじり」などがある。(フトン考・参照)
C各辺(片)を結んだ“輪”の構造については、一本の“輪=鉢巻”と考えた場合には、Bの雨
井・千本・川之浜・丹後や、種子島の「太鼓山」、徳山市須々万(すすま)の「揉み山」(太鼓山・
揉み山については、種子島関連記事を参照)などがある。また、分解できる“枠”と考えた場合
には、観音寺市 伊吹島・東部「ちょうさ」・愛媛県保内町磯崎(いさき)「四ツ太鼓」、同長浜町
櫛生(くしゅう)の 「四ツ太鼓」がある。(伊吹島関連記事・参照)

(2)四本柱と台足
ヨイヤは四本柱と台の足が一体化された太鼓台である。文化圏的に眺めても珍しいのではな
いかと思う。私が体験した地方としては、Bで紹介した川之浜がそうであった。川之浜でも釘な
どは一切使っていなかったが、ヨイヤの組立でも同様であった。佐田岬と紀伊半島・熊野灘、遠
隔地の間で幾重にも共通している点があるということは、当然何らかの深い関連が想定されて
よい。現時点では確たることは言えないが、川之浜「四ツ太鼓」の発達した形態が、栄町「ヨイ
ヤ」であるように思える。

カラーは栄町ヨイヤ。四本柱と台足が一本ものである。 モノクロは川之浜「四ツ太鼓」組立風景。
川之浜も四本柱と台足が一体化している。箱はヨイヤの竹籠と同じ使われ方である。“鉢巻”を巻く。



(3)乗り子
@服装等
 ・乗り子は4人で、小学四年生が務める。(原則として一生に一度だけヨイヤに乗る)顔の3ケ
所(額・両頬)に紅で点印をつけている。
 ・黒の投頭巾・赤の着物・紫の袴(ハカマ)を着用し、背中には飾り紐を使い、タスキ掛けしてい
る。
 ・履物はぞうりを用いていた。神社への宮参りの時には、若者の肩車で参内していた。(地面
に足をつけない)


A乗り子の所作
 ・ヨイヤを据えている時は、ゆったりとしたテンポで太鼓を叩く。
 ・担ぎ委員長(ヨイヤの運行責任者とは別。担ぎを取り仕切る責任者)が常に乗り子の近くでい
て、短く「ユッ!」と乗り子に合図すると、太鼓は急調になり、若者がヨイヤを担ぎ始める。
 ・ヨイヤを披露する場所(あらかじめご馳走を用意している家の前や道中の所々、神社や御旅
所など)ではやはり「ユッ!」と乗り子に合図すると、太鼓が急調となり、更に「ユッ!」と合図す
ると、担ぎ手の「ヨイヤー」の掛声もろともヨイヤは高々と差し上げられる。
 ・その時、「ヨイヤー」と同時に、乗り子は自分達の場所で立ち上がり、ブチを持った両手を
高々と上方へ伸ばす。乗り子は、バランスを崩さないように、お互いが腹を寄せ合うようにして
立ち上がる。また、足元の板に“足バンド”を備えていて、その部分に足を入れ、体がふらつか
ない工夫がとられている。(足バンドに似た備えをしている太鼓台は、尼崎市・辰巳町太鼓がそ
うであった)
 ・肩まで下ろす時にも「ユッ!」と乗り子に合図していた。(要するに「ユッ!」は、動作の区切り
区切りで合図し、太鼓の叩き方を変えることを指示し、そのリズムによってヨイヤを動かす、基
本的な合図なのである。ただ、「ユッ!」がどのような意味を持った掛声・合図であるのかは、残
念ながら判明していないと聞いた)
 ・ヨイヤが休憩する場所に来ると、やはり「ユッ!」と合図し、同時に太鼓は乱打となり、ヨイヤ
は地面に下ろされ、太鼓を止める。

※ヨイヤの休憩時には、かっての乗り子OBや打ち方自慢の若者たちが、飛び入りで思い思い
に太鼓叩きに挑戦していた。その叩き方には「キザミ」ゃ「サンコベ」という打ち方がある。キザミ
は一定のリズムを刻むように打つ打法で、リズム感のある軽やかな打ち方である。サンコベと
いうのは変型三拍子の打ち方で、周囲の人たちに、ちょうどお神楽を舞っているような陶酔感を
与えるような叩き方である。

立ち上がったところ。 乗り子は四本柱間に座り、“足バンド”に足を通してバランスをとる。


尼崎・辰巳町太鼓…足元に“足バンド”ならぬサラシ布が見える。
これで足を固定する。激しい動きが特徴。


(4)ヨイヤの運行について
@ヨイヤ運行の一連の流れは、述べたように、「ユッ!」の合図で始まり、「ヨイヤー」で差し上
げ、「ユッ!」で終わる。
Aそのほかには、「回し」がある。この回しは5〜6年前に復活したそうである。台車をつけてい
ない状態でヨイヤを回転するため、4本ある台足の1本を軸足にして、くるくると何回転もさせ
る。従って、ヨイヤは傾いた状態で回される。
この話を聞いて、私は“成る程”と思った。現在、各地の太鼓台では回転する場合は、大方の地
方で台車(ゴマ)をつけた状態で回転させている。当然軽いし、軸足のことなど考慮する必要も
ない。しかし、昔はそうではなかったはずである。台車(ゴマ)などは無かった。太鼓台を回転さ
すにも、ヨイヤのように工夫を要したのである。


※ちなみに、広島県倉橋島の各地区の「だんじり」や、大正時代に倉橋島から伝えられた呉市
吉浦東町の「ちょうさい」では、台に「軸足」をわざわざ取り付けている。それも、4本の台足より
少し長めで、台の中心か所に備わっている。当然太鼓台を据えた時には「すわり」が悪い。傾
いていて、水平にはならない。

広島県倉橋町室尾「だんじり」 4本の台足の真ん中に少し長い“芯棒”がある。


呉市吉浦東町「ちょうさい」 少しわかりにくいが、こちらにも“芯棒”がある。回し、倒すには好都合。



(5)「ユッ!」について
担ぎ委員長の発する「ユッ!」の合図が、どういう意味なのだろうか。実際にヨイヤ運行に携わ
っている人たちに尋ねても、「昔からの言い回しで、よくわからない」との答えだった。ヨイヤの所
作の節々で用いる合図なので、「やれ」とか「差せ」とか「止まれ」の意味なのだとは思うが…。
他の地方の太鼓台担ぎで、これとよく似た合図や掛声を用いているところはないのだろうか。何
かの掛声を短縮しての言い回しかも知れない。
ただ、獅子舞を奉納していた新出町では、笛によって獅子を遣っていたが、吹き手が息継ぎを
する合間に、周りの手空きの人達から、「ユッ!」に近い発声を聞いた。それは、「ユッ!」にも
聞こえるし、「ヨッ!」にも「アッ!」にも聞こえた。これについては、“笛の合間をフォローする掛
声”である、との由。
ヨイヤの担ぎ委員長が発する「ユッ!」は、新出町の獅子舞の「合いの手」を自然と真似たもの
かも知れない。



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