貝塚太鼓台の見学 特に「せり上げ」について
<2002.7.19〜20見学>

貝塚祭り・寸景


昭和52年(1977)、54年と貝塚を訪れた。あれから、もう25年になる。その当時と比べ、太鼓台
は一目でわかるほど美しくなっていた。彫刻に伝統を誇る貝塚の太鼓台は、昭和50年代後半
から大々的な修繕(単なる新調ではなく、分解補修や汚れの除去、欠損部分の補充・組込みな
ど)が競うように行われ、明治・大正・昭和初期の創建の輝きを取り戻したと言う。精ちで物語性
と緊張感を凝縮させた貝塚独特の彫刻が、私の目を楽しませてくれた。

「伝統のパワー」 昭和52頃の貝塚太鼓台。人々は代替わりしても、太鼓台はちっとも変わっていない。



貝塚は 
貝塚御坊(願泉寺)界隈の真夏の昼下がり、漁師町のたたずまいとかっての廻船問屋の家並
みが調和よく残されていて、瀬戸内漁師町育ちの私には、実に“普段着的気安さ”を感じされて
くれる。海岸に近い町にしてはなぜかゆるやかな坂があって、そこを玉の汗の若者たちが太鼓
台を威勢良く担いでいた。この光景は今も変わらない。南海・貝塚駅に降りると、噴水のロータ
リーが当時の記憶をまざまざと蘇らせてくれた。


ここで貝塚太鼓台について私なりの整理をしておきたい。
(1)現時点、貝塚太鼓台は“最古の太鼓台”と各書物には書かれている。(1741年 元文6年か
らの始まり)
(2)「せり上げ」と称する<四本柱が上下にスライドする方式>を採用している数少ない形態の
太鼓台である。

貝塚太鼓台は…
今回幸運にも、何人もの太鼓台関係者にお会いし、ご教示していただくことができた。25年ぶ
りに偶然お会いした「摂河泉文庫」のT・Mさん、本当に双方共びっくりした。偶然に会ってなお3
時間近くも太鼓台論議に華を咲かせた。T・Mさんは、貝塚太鼓台が貝塚市史に書かれた「元
文六年」から始まったとの説を確信されている方である。また、「近世の大坂近辺には祭礼道具
を貸す<レンタル屋>があって、太鼓台やダンジリなどを近郷に貸し出していた」、とも語ってお
られた。更に、「レンタル屋の運搬手段は船となることが多かったと思われる。分解して保管・運
搬できる太鼓台の利便性が、貸すほうも借りる側にも好都合で、改めて太鼓台の流行を優位
に導いたはず」と語って下さった。
貝塚での太鼓台の登場が「元文6年(1741)である」との説については今後に譲るとして、「レン
タル屋が太鼓台を分解した状態で船にて運搬したのではないか」との説については、大いに興
味を持った。今後、太鼓台に限らず、祭礼道具のレンタル屋のことを深く探究すれば、もしかす
ると当時の大坂近郊の太鼓台やだんじりなど、祭礼大道具の流布状況や発信地の見当がつく
かも知れない。太鼓台の流布が、「船」の仲立ちと「分解・保管」性に負うところ大とする私自身
の説に合致するだけに、「成程」と相槌を打たざるを得ない。当時の太鼓台がそのような商人た
ちによって一層輝きを与えられ、広められたであろうことが想像でき、流行の速度も加速された
のではないか、との思いを強く持った。

太鼓台の「せり上げ」
「せり上げ」については、粕谷宗関氏著「男が咲かす祭り華」(平成8年刊)の中で、太鼓台の
“特殊構造”としてその存在を始めて知った。同時にロープと滑車を使った同様な構造のもの
が、観音寺市伊吹島・西部太鼓台(その後、南部太鼓台にも同様の構造があることを知った)
にあることもかなり古くから知っていた。しかし、粕谷氏著の「男が咲かす…」に掲載された小豆
島内海町苗羽(のうま)の写真を見ても、“特殊構造”とは何をどうするのか、どうしても理解で
きなかった。同時に、伊吹島の太鼓台は、大坂近辺の古い伝統を伝える太鼓台にほぼ間違い
ない。貝塚の太鼓台と同様な構造があるということは、当然と言えば当然のことであるが、もう
少し詳しく関連をたどってみたい。

今回の見学は「せり上げとは何か」、この一点解明にのみあった。
見学を前に、自治会長や太鼓台運営に長年携わってこられた南ノ町太鼓台のS・Yさんにご教
示をお願いしていた。南ノ町太鼓台を訪れると世話人をされている彫刻師のT・Mさんが「S・Y
さんからお聞きしています」との丁寧な応対をして下さり、お忙しいにも関わらず自地区太鼓台
以外の他地区太鼓台をも含め同行していただき、詳しく実地で説明して下さった。

「せり上げ」とは
@四本柱を台(泥台)に直接固定するのではなく、台の内側に四本柱が四隅の足となるボック
ス状の枠を組み込み、その枠が上下することで、四本柱以上(太鼓台の全高)が調節できる構
造のものである。しかし実は、ただ単に四本柱を上下させて“太鼓台の高さ”を調節するだけ
が、この「せり上げ」の真の目的ではなかった。
A厳密に言えば、四本柱以上の部分は「台に乗せているだけ」と言った表現が適切だと思う。4
本の四本柱の高さを一定に揃えることを「せり上げ」と言うが、この作業を正確に行うことによっ
て、台に直接固定していない四本柱部分から上に微妙な揺らぎを生じさせ、その揺らぎが太鼓
台を担いだ際に適当な“遊び”となって、担ぎ手への衝撃を緩和する工夫にもなっている。
Bこのことを言い換えれば、太鼓台が前進するたびに、四本柱部分以上がわずかに前後にだ
け移動する構造となっているため、太鼓台の重心が常に一定に保たれる。重心が一定に保た
れれば、太鼓台を落とさずに長い距離を連続して担いで歩行しやすくなる。言わば、四本柱の
下部が揺りかごのような構造となっていて、太鼓台が前進する毎に、台は動くが四本柱以上に
はほとんど動きが伝わらない、よく考えられた“高度な知恵”なのだ。

まとめ
(1)四本柱を上下することによって、太鼓台の高さを調節する機能 
(2)四本柱の水平レベルをとることにより、担いで歩行する際の重心移動を抑える機能 
(3)微妙な“遊び”を確保することにより、担ぎ手へ伝わる直線的力を軽減すると共に、不意に
訪れる太鼓台への衝撃(落下時などの際)を緩和する機能 
「せり上げ」とは、これらを兼ね備えた、外からは見えない「工夫」なのである。

以下に写真等で紹介します。

        貝塚太鼓台の台部構造(概要図)

※右の写真では四本柱にロープを巻きつけているが、これは太鼓を吊っているだけで、
「せり上げ」とは無関係。

台の内側には四本柱を四隅にした“揺りかご”がある。太鼓台の前進に呼応して、微妙な“遊
び”が得られる。台と揺りかごとの間には前後方向にはわずかな隙間があるが、左右方向には
隙間はない。これは、前後の動きだけを緩和し、左右に太鼓台を振れさせないためである。

一般的な「せり上げ」の方法


@)太鼓台の紅梁(こうりょう=四本柱上部の梁)を肩に入れ、四本柱以上を4人がかりで浮かす。
A)同時に四本柱のすぐ外に出している綱の先端を引く。綱は滑車を通して4本の四本柱へ微
妙に伝えられる。
B)四本柱と座部との間に差し込んだ四ヶ所の「栓」の高低を見ながら、バランスをとり綱を固
定する。
(栓は常時写真のように浮かせた状態。座部との開き加減を見極めて作業している。なお栓
は、四本柱中程の外からは見えない座部下にも装着されている。この両方の栓の役目として
は、勿論せり上げが主目的ではあるが、同時に万が一、栓が折れたりロープが切れたりした場
合にも、“揺りかご”が地面まで落ちないにする配慮がある)

現在の貝塚太鼓台では、「まとめ」で紹介した(2)と(3)の作業が行われており、(1)の、太鼓台
の高さを上下させることは行われていない。理由は、現在では高さを下げる必要がなくなったた
めである。しかし、世話役の何人かのお年寄りに確認したところ、
・昔(昭和12年頃まで)は感田神社境内に太鼓台が宮入りして、一晩泊まっていた。その折に
は、蒲団部は5段全部外していた。そうしないと、翌朝に神門を通れなかったためである。
・その名残が、太鼓台を神社前の道路に一晩据え置くことであり、その折には蒲団部を外して
いた。(今年の見学では蒲団を外している太鼓台はなかった。しかし、以前見学した昭和52年
頃には、5段のうち幾段かを外していたのを確認している。


※ホームページ掲載後、貝塚太鼓台に長く携わってこられた方から、「@保管蔵が近くにある
太鼓台地区では蒲団張りを外すこともあったが、距離の遠い大方の地区では道路で泊めるよ
うになってからは、外してはいない。A神社境内で泊まっていた頃には、太鼓台が入れる程度
の簡素な“小屋がけ”を作り、太鼓台をその中へ入れていた。その際にも“せり上げ”をして高さ
を低くしていたこともある」とご教示いただいた。
更に余談ですが、太鼓の叩き方では、かっては「太鼓ブチを打ち子の額の斜め前方で十字に
組んでいた」「ブチの形も今とは異なっていた」と語って下さいました。現在では、先端が太いブ
チを用い、2本揃えて斜め後方へ少し反り返るような体勢で打ち下ろしていますが、そうではな
かったようです。太鼓打ちの所作については、各地との比較をする上で重要ですので、更に確
実な実証が必要となります。

※「談話室・TBK」(bV0)へ寄せて下さった(布団バカ)さんも、せり上げに関する検討を載せ
ていただいています。また、八尾市西山本の太鼓台(旧貝塚太鼓台)も、“ロープと滑車を持っ
ている”と紹介していただきました。

関連情報
現在、高さを調節する構造を備えた太鼓台を有する地方は何ヵ所かある。その内の一つ、香川
県観音寺市伊吹島の状況を紹介する。

伊吹島・西部ちょうさ
写真左は組み立て時のもの。バランス的には、まず蒲団部が大きいと感じるはず。これは、四
本柱が極端に短いためです。ところが、写真右の子供ちょうさのバランスはどうでしょうか。この
写真は三好兼光さん(ホームページ「伊吹島歴史散歩」開設)から提供いただいたものですが、
明治31年(1898)に左の大人用ちょうさを造った残りの用材で作ってもらったものです。全高8
0cm、大人用のものと同一縮尺で作ったといいます。大人用に比べ、背が高いですね。


実は、「本当は、大人用ちょうさも背が高いのではないか?」というのが、下(写真)の構造を知
って感じたわけです。現在、伊吹島では3台ある太鼓台のうち、東部を除く西部と南部のちょう
さがこの構造(貝塚とほぼ同一構造です)を備えています。西部と南部は勿論、この構造を持た
ない東部のちょうさも「背が低い」状態のままで担がれています。


伊吹島は坂道がほとんどです。祭りには島の鞍部にある八幡神社から、真浦港まで担いで往
復します。「背を低くして重心を下げる」必要性が、太鼓台導入時からあったと思います。それ
と、宮入りする時には太鼓台は随身門をくぐって担ぎ入れなければなりません。この両方をクリ
アするためには、貝塚で言うところの「せり上げ」構造、即ち「太鼓台の高さを調節し、太鼓台の
重心移動を抑え、長時間の担ぎを少しでも容易にする」ことが、必須だったと思います。
時代が流れ、「背の低いままで、よし」とする方向に傾いたのは、伊吹島の場合には地形的条
件や構造物的理由から、おそらく妥当な趨勢だつたのでしょう。
(伊吹島太鼓台の由来等については、「情報玉手箱」でも紹介しています)



★★★ご存知ですか?★★★
貝塚の町を歩いていると写真のような場所に出会いました。高張り提灯に高齢者席、いいです
ね! 早速おばあちゃんに聞いてみました。
「ゆっくり見物できていいですね」「晩になると4台が帰ってきて、ここで担ぎ比べやってくれるん
よ。今までは見たくても足腰が言うこと聞かんので、見に来れなかったけど、有り難いですよ」 
別のおばあさん、「若い人らがよう考えてくれはってますわ。お年寄りにはジュースも出るんで
すよ」
お年寄りを大切にすること、言い古されたこと、当たり前のこと。考えさせられました。高齢化が
ますます進む時代、伝統行事を大切にすることと地域の大先輩たちとの接し方、本当にいい場
所に出会えました。





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