能地・春祭りの頃
<2002.3.17掲載>

プロローグ


野山の木々も花咲き競い、今年も広島県三原市幸崎町能地の“ふとんだんじり”の季節となり
ました。
のどかな瀬戸内に臨むこの地は、その昔、櫓櫂(ろかい)と風まかせの帆の時代には、家船(え
ぶね)で知られる漂泊漁民の親村でした。河岡武春氏著「海の民」(平凡社選書・1987)による
と、能地系(分村の竹原市の二窓を含む)の人々が瀬戸内各所に住まいした移住地・居留村
は、百ケ所に及んでいました。人々は一年の内のほんの1ケ月足らずの旧正月の期間、故郷・
能地へ帰りました。その短い期間は、新成人となる若者たちにとっては、子供から大人として認
められる大切な節目の日々であり(元服)、大人たちは、常日頃疎遠にうち過ごす親兄弟・親
戚・同輩などとの固い絆を確認するわずかな期間・大切な期間でした。
このふとんだんじりの祭りが名替祭・船留祭などと称せられたのは、このように全ての人々が帰
郷する正月にしか祭礼を執行できなかった、かっての能地の厳しい現実を物語っています。
祭りのメインとなるふとんだんじりや獅子太鼓は、その勇壮で華やかな様子や可憐で真剣一途
な演技によって、この文化圏でも広く知られるようになりました。しかしなお、伝統行事の奥深く
に流れるかっての厳しい人々の生活を少しでも理解できたならば、「太鼓台とは何か」につい
て、私たちはきっと得るものが見つかると思います。
昔日、祭りの終わった船溜りでは、なごりを惜しむ人々が三百隻を超す小舟に乗り移り、瀬戸
内の東西に散らばって行くのが、見えたはずです。

祭りの由来・状況
手元に「幸崎町能地春祭」という戴いた小冊子があります。以下にそのままを紹介させていた
だきます。(「能地春祭のふとんだんじり」は平成7年11月、広島県無形民俗文化財に指定され
ました)

三原市幸崎町能地(のうじ)は古来より漁業で栄えた町で、その記述は日本書紀にも見られ、
瀬戸内海漁業の発祥の地とも伝えられる。ここで毎年行われる「浜の祭り」は、常盤(ときわ)神
社の春の祭りで、豊漁を願う勇壮な祭りとして知られる。 能地の漁業は、今は全く姿を消した
家船(えぶね)と呼ばれる住まいを兼ねた打瀬船で、九州や讃岐方面にまで出掛けて行うとい
うもの。一年のほとんどを船の上で過ごす人々も、この祭りに先駆ける旧正月十四日の神明祭
までには必ず帰り、賑やかに祭りを行っていた。
祭りにはまず神明祭で、世話人である「当家(とうや)」を決めるくじ引きから始まる。それから当
家を中心に旧正月二十七、二十八日(平成五年から三月の第四土、日曜)の祭り当日に向け
て、一〜四丁目の各町内から出される四つの「ふとん楽車(だんじり)」の準備、楽車に乗り太
鼓を打つ八人の神童の決定、その稽古と準備が進められる。
祭りは御神体を乗せて常盤神社を出発した神輿が、町の氏神幸崎神社(東の祭)へ行き、御神
体を迎え、二神となってその夜を御旅所となる老婆(うばく)社で明かし、翌日、常磐神社(西の
祭)に向って進む。
見所は、何と言ってもこの渡御(とぎょ)する神輿を挟む四つの楽車の激しい練り合いと、要所
要所に奉納される「獅子太鼓」である。
楽車(だんじり)を使うようになったのは天保から明治にかけての頃、伊予新居浜の辺りに出漁
していた者が見て帰ったのが始まりと伝えられる。楽車には五歳から八歳くらいの化粧をされ
着飾った男の子が神童として乗り込み、太鼓を打ち続け、町内の若者たちがそれを肩に担いだ
り引っ張ったり、時には楽車同士がぶつかり合って練り合いをする。その練り合いの激しさは、
渦潮に乗る船の様子を表わし、勇壮で男らしい迫力あるもので、時に、通りの家の軒先を壊す
こともある。
「獅子太鼓」は平和と五穀豊饒(ごこくほうじょう)、大漁を祈願して奉納するもので八人の神童
によって行われる。三十八手(以前は四十八手あった)打手があり、ちゃんぎりや笛、獅子舞も
加わり、軽快な中にも優美さを備えたリズムで、神楽の音ではなく雅楽の流れをくみ、日本でも
珍しいと言われている。昭和四十九年、三原市の無形文化財に指定された。
獅子太鼓保存会の結成、幸崎中学校郷土芸能クラブの設立など、住民が一体となってその伝
承に務めている。
(※だんじりの由来については下記内容と異なる部分がありますが、そのままを紹介しました)

ふとんだんじりの歴史
以下の@〜Dは白松克太氏「能地の獅子太鼓」に紹介された「豊田郡佐江崎村誌」(大正15
年刊)引用のくだりから箇条書きに整理しました。EFは「家船民俗緊急調査報告書・衣食住」
(藤原覚一氏 1970 広島県教委・三原市教委)の記載によります。

@「豊田郡佐江崎村誌」の書かれた大正15年(1926)の約60年前(1886 幕末〜明治初期
頃)には、中村と東の2台しか無かった。 (これが能地におけるだんじりの祖。獅子まわしと一
緒に“伊予多度津方面”から移入してきた)
Aその4〜5年後に大西と東にもう1台できた。(だんじり4台に。形状は屋台の如きもので、蒲
団は無かった)
B大正15年の3〜40年前(1886〜96 少なくとも明治30年頃まで)に、蒲団型に変化した。
C龍の如き飾りは、近頃(大正15年頃)“伊予多度津和田先方面”から不要物を買い来る。
D今の掛声に近い「世の中見事に…」は、大正15年の2〜30年前(少なくとも明治39年頃・
1906)に、“伊予”より習ってか聞いて帰ったかして導入されたもの。
E蒲団だんじりそのものは天保から明治にかけての頃、讃岐に出漁中、多度津の西方詫間か
ら習ってきたもの(古老の談)
F大西のだんじりに掛けてある古い飾り布は、大崎下島の大長から買って帰ったもの。



4台のうち、刺繍飾りを備えた四丁目ふとんだんじり(大西 S51)刺繍は、蒲団締め(あうんの
龍)・水引幕(二頭の龍)・高欄幕(欄干に掛けた幕で、富士の巻狩り)がある。 勇壮なぶつか
り合い(H12)

上記の疑問点・問題点・解明点など
(1)地名の不確かな点
“伊予多度津方面”“伊予多度津和田先方面”“伊予”など、特定地名の頭に「伊予」が用いられ
ていますが、現在の愛媛県だけを言っているのではなく、四国全体もしくは北四国地方(瀬戸
内地方)を「伊予」と称していたと考えられます。多度津は香川県仲多度郡多度津町、和田先は
多度津町には見当たらないので、香川県三豊郡豊浜町和田浜あるいは和田だと考えられま
す。(香川県も明治21年までは、幾度か愛媛県に組み込まれていた)

(2)昔のだんじりの形状について
大正15年の「佐江崎村誌」では“形状は屋台の如きもので、蒲団は無かった”と書かれていま
す。1970年の「家船民俗緊急調査報告書・衣食住」では“蒲団だんじりそのものは…”と記載さ
れています。能地に受入れられた一番最初には蒲団が無かったのか、あったのだろうか。私は
やはり過去の記憶が追体験できたであろう、“無かった”と書かれた前者の時代の具体的記述
の方を採るべきと考えます。
現時点太鼓台の形状は、櫓型・四本柱型・平天井型、丸屋根型・破風屋根型・神輿屋根型、本
物蒲団型・枠蒲団型、屋根型+蒲団型、造り物屋根型等々、種々確認されています。(本ホー
ムページ「太鼓台の形態」を参照して下さい)
能地の場合は「佐江崎村誌」が語るように、形状が蒲団型に変化したと考えて間違いないと思
います。ただ“屋台の如きもの”がどのようであったのか、現在のように担ぐ形式であったのか、
舁棒の無い曳いたり押したりする形式のものなのか、それは判っていません。また担ぐ形式で
あった場合、屋台の如きと言うのであるから、屋根型なのか、単なる平天井型であったのか、
今後の研究成果を待ちたいと思います。

(3)蒲団型に変化した時期
大正15年から3〜40年前、少なくとも明治30年(1897)頃までには蒲団型になったと言いま
す。この件に関しては、広島県豊田郡豊町大長の2台の太鼓台(地元呼称・櫓/やぐら)の内
の1台が、明治末頃に能地へ売却されたことが、大長側の口伝として知られています。(「新居
浜太鼓台」所収「新居浜太鼓台の周辺」(拙著)209n〜参照)
能地と大長との両地の記憶に若干の年数の開きがありますが、ほぼ合致するとみてよいでしょ
う。

(4)龍の如き飾り
「龍の蒲団締め」や「龍の水引幕」のこと(大西/現・四丁目のふとんだんじりに飾りつけられて
いる)、或いはそのいずれかかと思われますが、“近年(大正15年)伊予多度津和田先方面か
ら不要物を買って来た”とされています。私自身、「新居浜太鼓台の周辺」を執筆した時点で
は、四丁目の飾り一式(蒲団締め・水引幕)は、作られた年代には開きがあるものの、その流失
元・流布経路は<新居浜→大長→能地・四丁目>であるとばかり考えていました。(前述「新居
浜太鼓台の周辺」211n参照)
ここに至って、香川県豊浜町辺の蒲団締めであったことが判明しました。残念ながら昭和51年
当時から既に、蒲団締め・水引幕とも原形を留めない程の痛みようで、近年に修復されたもの
の制作当初の様子は知ることができません。
新居浜・豊浜を含む東予・西讃地方は、太鼓台文化圏の中でも最も太鼓台の盛んな土地柄で
すが、古い時代の刺繍など、この地域に残された遺産の少ないことを思う時、能地・大長の太
鼓台とその装飾類は、文化圏全体にとって「今後ますます評価されなければならない」と考えま
す。

蒲団締め(S51)と部分拡大(H9当時) 1枚のサイズ約25×77cm



水引幕と部分拡大(H9当時) 全体のサイズ約470×35cm



高欄幕の部分(H9当時) 左(仁田四郎) 右(源 頼朝) 全体のサイズ約550×45cm


5)“ふとん−だんじり”の呼称について
太鼓台のことを“だんじり”と呼ぶ地方は、何と言っても淡路島が一番です。淡路島のだんじり
は、「担(か)きだんじり」「曳きだんじり」「つかいだんじり」などの区別はありますが、屋根型や
蒲団型に対する識別はしていないようです。(例えば、蒲団型の担きだんじりであっても“蒲団
だんじり”とは言いません。単に“担きだんじり”と称します。屋根型の場合でも同様です)
太鼓台のことを「だんじり」と称する地方は、京都府丹後地方・淡路島・広島県安浦町三津口・
広島県倉橋島各集落・香川県庵治町・同塩飽諸島高見島・愛媛県岩城島・同津和地島・宮崎
県延岡市島野浦島などです。文化圏全体では比較的多く広がっていると思います。形態的に
は、屋根型あり、蒲団型あり、いろいろです。
この名称の広がり具合に関して私見を述べますと、「太鼓台以前に、祭礼の出し物として既に
“だんじり”があったのではないか。太鼓台はその後発で、より華やかで勇壮なものとして、それ
までのだんじりに替わり、流布した」ということではないか、と考えています。

(6)掛声について
能地ふとんだんじりの掛声は、乗り組んだ四人の乗り子によって「てんびんじょ、ほーれんじょ、
世の中見事にゃ、さーしてくれ!」と囃されています。
(「てんびん」は“神輿など担ぐもの”の方言。「ほーれんじょ」とは“放ってはいけない”の意味。
「世の中見事に」は、香川県坂出市から同県仁尾町にかけての各地共通。「さーしてくれ」は
“差上げてくれ”の意)
この掛声が、大正15年の2〜30年前(少なくとも明治39年頃・1906)に、“伊予”から習ってか
聞いて来た、と言うのです。伊予については前述したように、四国の瀬戸内側を指しています。
現在「世の中見事に…」の掛声を用いているのは、香川県の中・西讃地方の、坂出市・宇多津
町・丸亀市・仁尾町です。地理上かなり狭い地域(多度津も含まれます)にしか分布していませ
ん。仁尾町は観音寺市・三豊郡エリアに属しますが、観音寺市や前出の豊浜町など、エリア内
他地区ではこの掛声は使われていません。
この掛声が、“屋台の如きだんじり”であったと言われた“だんじり”初期(幕末〜明治初期頃)の
運行に使用されていたものではない、というのは少し意外でした。この「世の中見事に」の掛声
の以前は、私のメモによりますと、「チョウヤレ、チョウヤレ」「ヨッサ、ヨッサ」と伊勢音頭くらいだ
ったと、“古老の談”として書き残されています。

(7)獅子太鼓について (私は獅子舞に関しては門外漢です。以下はご参考に願います)
能地の獅子太鼓は獅子舞の形式をとっていますが、現在は獅子が欠けた状況で伝承されてい
ます。即ち本来ならば獅子遣いが居て人囲いの中央で獅子が遣われるのですが、それが無
く、太鼓打ち(青年と子供)だけであたかも獅子がいるように、太鼓を打ち所作を演じているので
す。元々は獅子もあったと聞きましたが、いつの頃か欠けたらしい。しかし、演じている状況を観
察すると、西讃地方で行われている獅子舞と酷似しているため、受入れた時代や場所が、だん
じり受け入れの時代や場所に合致すると考えます。
参考として、以下に獅子太鼓の演目を紹介します。かってはこれらの他にも幾通りかの演目が
あったとのことです。
1.打ち始め 2.はせ 3.はりつけ 4.めっつり(めつり) 5.前打ち 6.後打ち 7.抱える 8.獅子乞
い(獅子舞) 9.獅子追い 10.前でこっつり(前でこっくり) 11.後でこっつり(後でこっくり) 12.踏
んで替える(跳んで替わる) 13.がらがら 14.胴 15.かたひら(かたひろ) 16.ひとひろ 17.はり
ざお 18.踏んで出る(跳んで出る) 19.ないない 20.よいよいさっさ 21.鞭打ち 22.鞭いっしょ 
23.指二本 24.わきの下 25.ぬきだし(むぎ出し) 26.どろすこ(どこすこ) 27.肩の上 28.扇落し
(肩落し) 29.一本かついでとんで出る 30.二本かついでとんで出る 31.叩いて廻る 32.叩いて
替わる 33.一本かついでこんげて廻る(一本かついでこんげで廻る) 34.二本かついでこんげ
て廻る(二本かついでこんげで廻る) 35.さんば 36.はりつけ 37.はせ 38.きり
※出典は「幸崎町能地の獅子太鼓」(平野多賀司氏)及び、相違する部分は「能地のふとんだ
んじり」(鮓本刀良意氏)による。

太鼓打ちの子供たちは、ふとんだんじりの乗り子も務める。
伝統行事に対する一途さには頭が下がる。(S52)



平成14年度の祭礼日程について
  (地元の阪田医院の院長先生からお便りを戴きました。ありがとうございました)

前  日(3/22金)
    18:00 常盤神社にて前夜祭
    19:00 本町公民館にてカラオケの夕べ

一日目(3/23土) 
    13:00 常盤神社祭典式
    13:30 奉納太鼓・餅まき
    14:00 神輿・ダンジリ出発
     ↓  幸崎神社到着・奉納太鼓・餅まき
    17:00 幸崎神社出発
    18:00 老婆神社到着
    19:00 老婆神社夜祭り

二日目(3/24日)
    13:00 老婆神社祭典式 
    13:30 奉納太鼓・餅まき
    14:00 神輿・ダンジリ出発
    16:00 常盤神社到着・ダンジリ回転・奉納太鼓

(宮入・神輿) 
    19:30 常盤神社出発
    20:30 幸崎神社到着
    21:30 幸崎神社出発
           ↓
        常盤神社到着  (大祭終了)






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