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各地との関連を探る
「種子島に太鼓台がある」と知ったのは、昭和51年、西之表市に住む浜田昭三郎様(故人)か
らいただいた情報からでした。(西之表市では「太鼓山」と呼ばれていますが、かっては、掛声 の「チョッサー」と呼ぶことが一般的だったとも聞きました)
手元に、その時お送りいただいた「八坂神社百年史」(昭和48年9月 西町町内会・八坂神社百
年祭奉賛実行委員会)という小冊子があります。
それによりますと、
@八坂神社の由来…明治5年に鹿児島八坂神社から御神霊を勧請された。
A太鼓山については、概略次のように記載されていました。
・明治8年6月15日 王ノ山神社をお旅所として、御神輿に従う「男山=太鼓山」を出した。(別
に「女山」という船型の山車もあった。その山車は、後に屋根型の山車に変わる)
・太鼓山運行の様子を、「奉仕する若者は、白襦袢に白足袋・頭に編み笠を被り“長傘サセサ
セ”(チョウサーサセサセと訛った)と気勢も勇ましく練り歩く」と記されています。
・太鼓山の掛声と太鼓のバチさばき
<掛声>「チョッサー、サセ、サセ」・「トウザイナ、トウザイナ」・「川渡り」の三種類
<バチさばき>チョッサーは「三.四.五、三.四.五」の連打、トウザイナは「一.二、一.二」(一
は長打、二は連打)、川渡りは「乱れ打ち」
・昭和42年、西之表市無形民俗文化財に指定
・現在は、種子島鉄砲祭として、毎年7月24、25日(太鼓山は25日)に行われている。
長年の念願叶い、平成12年夏にようやく太鼓山を見学させていただきました。25日午前10時
過ぎ、鉄砲祭の名のとおり、火縄銃の銃声と煙の中、行列がスタートしました。八坂神社から片 道約3kmのお旅所・王ノ山神社へは、途中に商店街や干潮時の海渡りなどがありましたが、 全てを肩に担いでの運行でした。12時過ぎにお旅所の王ノ山神社到着。(この間に砂浜・海中 を練り歩く)
一休止後、帰路につく。途中、川原に降り、河口から再び海中へ。14時頃に八坂神社へ神輿
と共に帰還。神輿をお送りした後、保管場所の西公民館へ移動。直ちに解体。15時頃には太 鼓山は片付きました。 ![]() ![]()
次に、今回の見学で感じ、整理できたこと等を、(1)太鼓山の形態について (2)太鼓山の所作
について (3)各地太鼓台との関連について、まとめました。
(1)太鼓山の形態について(近年、太鼓山の大きさは、一回り大きく造り変えられた)
この太鼓台には、台(いわゆる泥台)がありません。2本の舁棒(中棒)は、台足の中側で固定
されています。舁棒の組み方は、淡路・上方風に、中棒に横棒(前後9本ずつ)が組まれていま す。ちょうど櫓部は、舁棒の上部分に載せている風に見えます。
真ん中に太鼓を積み、太鼓打ちは四隅の四本柱を背にして4人が座ります。櫓部の周囲に、
常緑の杉の葉・榊の枝が飾りつけられていました。水引幕と櫓下部はブルーの布地を巡らせて いました。
櫓組天部は、碁天井になっていて、その上に日の丸の旗を敷き広げ、更に大きな紅白の輪を
積んでいます。また、その上方四隅には、竹笹に日章旗(小)を飾っています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
ここで注記したいのは、輪の構造と日の丸の旗について、です。
輪は、外回り直径約1.8m、直径は約20cmあります。造り方は、輪の芯となる部分に藁を束ね
て、細縄で固く巻きつけ、長い丸い輪に造ります。太い輪にでき上がると、次に白いさらし布を 全体に巻きつけます。あとは、赤いさらし布を白地が残るようにらせん状に巻きつけ、完成させ ます。一時期、この作業に手間がかかるので、大きなタイヤチューブを輪に代用したことがある とのことでしたが、現在はかっての作り方に戻しています。
この輪は、毎年の祭り毎に拵え替えます。運行が終わり、公民館横の保管蔵に戻ってくると
廃棄します。輪のほかには台の幕なども毎年廃棄しますが、潮水や打ち水に浸かって保管が できないためである、と責任者の方は話してくれました。
種子島を訪れて意外なことを知りました。国旗の日章旗・日の丸の発祥の地が、ここだと言うの
です。かって島のある部落では元々使用していた白旗・赤旗を、ある年から「白地に赤丸」に変 化させて使用したそうです。これを当時の薩摩藩が藩の旗に採用し、明治維新を経て今日に至 っている、とのことでした。
ところで、太鼓山を真上から見下ろしたならば、紅白の輪の真ん中部分に赤い日の丸が見える
はずです。鉢巻の赤い筋が、あたかも太陽のコロナのように、或いは炎が巻き込むように見え はしないでしょうか。種子島の太鼓台は簡素な構造ではありますが、日の丸の成り立ちと、そ れを大切に伝承し、伝統の祭りの中に巧みに取り入れた先人のシンプルな感覚に、本当に私 は脱帽します。 ![]() ![]()
「チョッサー、サセサセ」と「トウザイナー」について
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神幸では、太鼓山は行列の先頭を行きます。暑い盛りの南国の祭りなので、各家々では丁寧
に道路へ打ち水をしていました。“少しでも涼しさを”との心遣いが、若者達にはありがたいと思 いました。
所作としては、「チョッサー、サセサセ」と「トウザイナー」の二種類があります。
「チョッサー」は、普通に歩行するときの掛声で、途中で「チョッサー、サセサセ」となれば、太鼓
山を頭上高く差上げながら歩きます。現在は、「チョッサー、サセサセ」の繰り返しですが、昔 は、この掛声に続いて、「…サーセントキャ、カミヲハレ」と、見物の娘さんをからかう風に掛声を 出していたと言います。
「トウザイナー」は、太鼓山を左右に地面に対し直角になるよう、何回も横転さす所作のことで
すが、地元では「この場所で“180度”を行います」などと言い表すのが一般的となっています。 太鼓山を直角にして90度、左右に倒すので180度と言うわけです。太鼓台を左右に倒す地方 はたくさんあります。地面につけたままで転がすように倒す地方も、高松市女木島・丹後町平・ 広島県倉橋町家老渡・広島県豊町御手洗などがそうでした。種子島では、太鼓山を横倒しにし たまま、地面を引っ張っていました。
各地太鼓台との関連について
(1)目立つ鉢巻(輪)の存在
徳山市須々万(すすま)の「揉み山」(もみやま 一段巻き)、倉敷市連島四丁内(よちょうない)
の「千歳楽」(せんだいろく 二段巻き)、京都府丹後町各地の「だんじり」(三段巻き・一部は五 段)、兵庫県新宮町千本の「屋台」(三段巻き)、愛媛県瀬戸町各地及び保内町雨井の「四ツ太 鼓」(五段巻き)が関連してきます。(千本・川之浜・雨井については「フトン」考で紹介) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
この内、連島の千歳楽以下の太鼓台は、四角い箱を鉢巻の「芯」に用いていて、明らかに“蒲
団”をイメージした形態ですので、種子島の輪の形状との関連付けは、若干強引に感じられる かも知れません。しかしながら、多くの地方で、太鼓台の原初的と思われる形態には蒲団や屋 根などを採用していないこと(櫓型や四本柱型、平天井型もあります)、それらの太鼓台に蒲団 を採用したと思われる初期の段階では、必ずしも、現時点で最も少ない枚数とされる三段では ないこと(各地には一枚蒲団や二枚蒲団もあります)、蒲団形態の発達段階における“鉢巻型” の存在は、蒲団が“枠型”に移行していく過渡的なものであると考察できることなど、絵画史料 や各地比較から徐々にではありますが、判ってきました。(「フトン」考を参照)
そのことを考慮すれば、あくまでも私論ですが、「蒲団の原点は一段巻きの鉢巻(輪)にある」と
言ってもよいのではないか、と私は考えています。(勿論、私と異なる考え方を持つ方々も大勢 いらっしゃいますので、これ以上の私論展開は省略します) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
(2)所作の特徴…横転
現時点、「トウザイナー」(180度)から共通すると思われる地方はは、前記した女木島「太鼓」、
丹後町平「だんじり」、倉橋島鹿老渡「だんじり」、次の御手洗「櫓」があります。また、門真市の 二番太鼓さんのホームペーシ(http://www.mkc.zaq.ne.jp/niban/)には、女木島とよく似た形態の太 鼓台が、やはり女木島と同様な、荒々しい横転の場面が紹介されています。そして、このような 横転は、太鼓台だけに限らず、神輿でも、愛媛県宮窪町や波方町および高砂市など多くの地 方で、荒々しく横転させているところがあります。
私が、種子島の太鼓山との関連で現時点最も注目しているのは、御手洗の櫓です。ご存知の
ように、御手洗は帆船時代に繁盛した港町です。この港町を行き来した船や人々は夥しい数に のぼるでしょう。現在も往時の風情を残す歴史的町並みとして知られています。 ![]() ![]() ![]() ![]()
この御手洗には、写真のように昼と夜で形態の異なる櫓が出ます。このうち、夜に担ぎ出され
る櫓が、種子島の太鼓山によく似ているのです。勿論、横転もさせますし、荒々しいのは御手 洗の方が上だと思います。横転と言うよりもコロコロと転がす感じです。御手洗では“暴れ櫓”と 呼んでいるくらいです。
確かに、種子島と御手洗の相違点もたくさんあります。御手洗には鉢巻(輪)がないこと、御手
洗は昼と夜では別の太鼓台を使用していること、舁棒の組み方が種子島の“梯子型”であるの に対し、御手洗では中棒と短い脇棒の“前後に4本の組み方”である点、台の有・無、等々、大 きく異なる点も見逃せません。(御手洗の櫓については、次回以降に何らかの形で詳しく紹介し たいと考えています)
御手洗のように、“昼と夜に異なる形態”の太鼓台を出している地方としては、京都府久美浜町
があります。同町・神谷太刀宮(かんだに・たちのみや)の秋祭りに各町内から出される太鼓台 は、“双葉山・霧島山・美城山…”など、「○○山」と呼んでいます。ただし、「○○山」と呼ぶの は、本祭りの昼間が主であって、前夜に担ぎ出される太鼓台は、「日和神楽(ひより・かぐら)」と 呼んでいます。
祭りは、まず前夜祭があり、日和神楽が各町内から出されます。この形状は、四本柱の上に格
(碁)天井を積んでいる形をしていて、提灯を飾り、四方に竹笹を立てています。日和神楽は、 翌日の本祭りの肩ならしを兼ねたものと位置付けられていて、大きさは本祭りより若干小さいと 感じました。(地区によっては本祭りの山より背の高いものもあります)私が見学した平成11年 の際には、長い距離を、時々差上げはおこなうものの転がしなどは全くなく、地面に下ろすこと もなく、ほとんど担いで歩いていました。ちなみに日和というのは、前夜祭で担いで、翌日の天 気を「日和にする」予兆からの名前だと言われています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
翌日の本祭りには、破風屋根型の太鼓台(山)が5台出ていました。こちらは日和神楽よりも重
い造りとなっていて、装飾も洗練された豪華さです。太刀宮の境内では、山は“芸をする”と称し て、「ノセ・回し・走り・斜め舁き・歩行」を行います。“ノセ”は頭上高く台を両手で差上げる担ぎ 方、“回し”はその状態でくるくると回すこと、“走り”は肩に担いだ状態で境内を走りまわること、 そして“斜め舁き”は、写真のように船が波を切り裂き、船首を持ち上げ押し進む時のようにも 見えました。なお、久美浜町に近い京都府網野町や兵庫県豊岡市津居山港の祭りでも、久美 浜町のものによく似た「だんじり」が出ていますが、こちらは碁天井だけのもので、屋根はありま せんでした。
以上、種子島の太鼓山に始まり、御手洗の櫓、更には久美浜町の太鼓台(日和神楽や山)等
の、主として形態や運行に関連する一断片を、概略紹介しました。
この報告をご覧になってのご感想やご意見を、ぜひ「談話室・TBK」へお寄せいただきたいもの
です。皆様が語り合えば、皆様の地方の太鼓台が、決して独自なものではなく、他地方と極め て似ていることを、改めて理解されると思います。
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