種子島「太鼓山」見学記
<西之表市 2001.7.25見学>


各地との関連を探る
「種子島に太鼓台がある」と知ったのは、昭和51年、西之表市に住む浜田昭三郎様(故人)か
らいただいた情報からでした。(西之表市では「太鼓山」と呼ばれていますが、かっては、掛声
の「チョッサー」と呼ぶことが一般的だったとも聞きました)
手元に、その時お送りいただいた「八坂神社百年史」(昭和48年9月 西町町内会・八坂神社百
年祭奉賛実行委員会)という小冊子があります。
それによりますと、 
@八坂神社の由来…明治5年に鹿児島八坂神社から御神霊を勧請された。 
A太鼓山については、概略次のように記載されていました。
・明治8年6月15日 王ノ山神社をお旅所として、御神輿に従う「男山=太鼓山」を出した。(別
に「女山」という船型の山車もあった。その山車は、後に屋根型の山車に変わる)
・太鼓山運行の様子を、「奉仕する若者は、白襦袢に白足袋・頭に編み笠を被り“長傘サセサ
セ”(チョウサーサセサセと訛った)と気勢も勇ましく練り歩く」と記されています。
・太鼓山の掛声と太鼓のバチさばき
<掛声>「チョッサー、サセ、サセ」・「トウザイナ、トウザイナ」・「川渡り」の三種類
<バチさばき>チョッサーは「三.四.五、三.四.五」の連打、トウザイナは「一.二、一.二」(一
は長打、二は連打)、川渡りは「乱れ打ち」
・昭和42年、西之表市無形民俗文化財に指定
・現在は、種子島鉄砲祭として、毎年7月24、25日(太鼓山は25日)に行われている。

長年の念願叶い、平成12年夏にようやく太鼓山を見学させていただきました。25日午前10時
過ぎ、鉄砲祭の名のとおり、火縄銃の銃声と煙の中、行列がスタートしました。八坂神社から片
道約3kmのお旅所・王ノ山神社へは、途中に商店街や干潮時の海渡りなどがありましたが、
全てを肩に担いでの運行でした。12時過ぎにお旅所の王ノ山神社到着。(この間に砂浜・海中
を練り歩く)
一休止後、帰路につく。途中、川原に降り、河口から再び海中へ。14時頃に八坂神社へ神輿
と共に帰還。神輿をお送りした後、保管場所の西公民館へ移動。直ちに解体。15時頃には太
鼓山は片付きました。


次に、今回の見学で感じ、整理できたこと等を、(1)太鼓山の形態について (2)太鼓山の所作
について (3)各地太鼓台との関連について、まとめました。

(1)太鼓山の形態について(近年、太鼓山の大きさは、一回り大きく造り変えられた)
この太鼓台には、台(いわゆる泥台)がありません。2本の舁棒(中棒)は、台足の中側で固定
されています。舁棒の組み方は、淡路・上方風に、中棒に横棒(前後9本ずつ)が組まれていま
す。ちょうど櫓部は、舁棒の上部分に載せている風に見えます。
真ん中に太鼓を積み、太鼓打ちは四隅の四本柱を背にして4人が座ります。櫓部の周囲に、
常緑の杉の葉・榊の枝が飾りつけられていました。水引幕と櫓下部はブルーの布地を巡らせて
いました。
櫓組天部は、碁天井になっていて、その上に日の丸の旗を敷き広げ、更に大きな紅白の輪を
積んでいます。また、その上方四隅には、竹笹に日章旗(小)を飾っています。




ここで注記したいのは、輪の構造と日の丸の旗について、です。
輪は、外回り直径約1.8m、直径は約20cmあります。造り方は、輪の芯となる部分に藁を束ね
て、細縄で固く巻きつけ、長い丸い輪に造ります。太い輪にでき上がると、次に白いさらし布を
全体に巻きつけます。あとは、赤いさらし布を白地が残るようにらせん状に巻きつけ、完成させ
ます。一時期、この作業に手間がかかるので、大きなタイヤチューブを輪に代用したことがある
とのことでしたが、現在はかっての作り方に戻しています。
 この輪は、毎年の祭り毎に拵え替えます。運行が終わり、公民館横の保管蔵に戻ってくると
廃棄します。輪のほかには台の幕なども毎年廃棄しますが、潮水や打ち水に浸かって保管が
できないためである、と責任者の方は話してくれました。
種子島を訪れて意外なことを知りました。国旗の日章旗・日の丸の発祥の地が、ここだと言うの
です。かって島のある部落では元々使用していた白旗・赤旗を、ある年から「白地に赤丸」に変
化させて使用したそうです。これを当時の薩摩藩が藩の旗に採用し、明治維新を経て今日に至
っている、とのことでした。
ところで、太鼓山を真上から見下ろしたならば、紅白の輪の真ん中部分に赤い日の丸が見える
はずです。鉢巻の赤い筋が、あたかも太陽のコロナのように、或いは炎が巻き込むように見え
はしないでしょうか。種子島の太鼓台は簡素な構造ではありますが、日の丸の成り立ちと、そ
れを大切に伝承し、伝統の祭りの中に巧みに取り入れた先人のシンプルな感覚に、本当に私
は脱帽します。



「チョッサー、サセサセ」と「トウザイナー」について


神幸では、太鼓山は行列の先頭を行きます。暑い盛りの南国の祭りなので、各家々では丁寧
に道路へ打ち水をしていました。“少しでも涼しさを”との心遣いが、若者達にはありがたいと思
いました。
所作としては、「チョッサー、サセサセ」と「トウザイナー」の二種類があります。
「チョッサー」は、普通に歩行するときの掛声で、途中で「チョッサー、サセサセ」となれば、太鼓
山を頭上高く差上げながら歩きます。現在は、「チョッサー、サセサセ」の繰り返しですが、昔
は、この掛声に続いて、「…サーセントキャ、カミヲハレ」と、見物の娘さんをからかう風に掛声を
出していたと言います。
「トウザイナー」は、太鼓山を左右に地面に対し直角になるよう、何回も横転さす所作のことで
すが、地元では「この場所で“180度”を行います」などと言い表すのが一般的となっています。
太鼓山を直角にして90度、左右に倒すので180度と言うわけです。太鼓台を左右に倒す地方
はたくさんあります。地面につけたままで転がすように倒す地方も、高松市女木島・丹後町平・
広島県倉橋町家老渡・広島県豊町御手洗などがそうでした。種子島では、太鼓山を横倒しにし
たまま、地面を引っ張っていました。



各地太鼓台との関連について

(1)目立つ鉢巻(輪)の存在
徳山市須々万(すすま)の「揉み山」(もみやま 一段巻き)、倉敷市連島四丁内(よちょうない)
の「千歳楽」(せんだいろく 二段巻き)、京都府丹後町各地の「だんじり」(三段巻き・一部は五
段)、兵庫県新宮町千本の「屋台」(三段巻き)、愛媛県瀬戸町各地及び保内町雨井の「四ツ太
鼓」(五段巻き)が関連してきます。(千本・川之浜・雨井については「フトン」考で紹介)

徳山市須々万の「揉み山」

造花を挿している白い部分が、元は“輪”であった。 乗り子は四本柱に縛られる。


倉敷市連島四丁内の「千歳楽」



丹後町此代「だんじり」 丹後町鞍内(五段)  丹後町平「だんじり」(狭い道で転がす)


この内、連島の千歳楽以下の太鼓台は、四角い箱を鉢巻の「芯」に用いていて、明らかに“蒲
団”をイメージした形態ですので、種子島の輪の形状との関連付けは、若干強引に感じられる
かも知れません。しかしながら、多くの地方で、太鼓台の原初的と思われる形態には蒲団や屋
根などを採用していないこと(櫓型や四本柱型、平天井型もあります)、それらの太鼓台に蒲団
を採用したと思われる初期の段階では、必ずしも、現時点で最も少ない枚数とされる三段では
ないこと(各地には一枚蒲団や二枚蒲団もあります)、蒲団形態の発達段階における“鉢巻型”
の存在は、蒲団が“枠型”に移行していく過渡的なものであると考察できることなど、絵画史料
や各地比較から徐々にではありますが、判ってきました。(「フトン」考を参照)
そのことを考慮すれば、あくまでも私論ですが、「蒲団の原点は一段巻きの鉢巻(輪)にある」と
言ってもよいのではないか、と私は考えています。(勿論、私と異なる考え方を持つ方々も大勢
いらっしゃいますので、これ以上の私論展開は省略します)

女木島の「太鼓」  休憩中 と 海入り


幾度となく左右に横転さす。 乗り子は足や腕に厚いガード(真綿)を巻いて身を守る。

広島県倉橋島鹿老渡「だんじり」



(2)所作の特徴…横転
現時点、「トウザイナー」(180度)から共通すると思われる地方はは、前記した女木島「太鼓」、
丹後町平「だんじり」、倉橋島鹿老渡「だんじり」、次の御手洗「櫓」があります。また、門真市の
二番太鼓さんのホームペーシ(http://www.mkc.zaq.ne.jp/niban/)には、女木島とよく似た形態の太
鼓台が、やはり女木島と同様な、荒々しい横転の場面が紹介されています。そして、このような
横転は、太鼓台だけに限らず、神輿でも、愛媛県宮窪町や波方町および高砂市など多くの地
方で、荒々しく横転させているところがあります。
私が、種子島の太鼓山との関連で現時点最も注目しているのは、御手洗の櫓です。ご存知の
ように、御手洗は帆船時代に繁盛した港町です。この港町を行き来した船や人々は夥しい数に
のぼるでしょう。現在も往時の風情を残す歴史的町並みとして知られています。

広島県豊町御手洗の「櫓」

昼間でも時折横転さすが、それほど激しくはない。
夜の櫓(昼間の櫓とは別にしている)は“暴れ櫓”となる。


この御手洗には、写真のように昼と夜で形態の異なる櫓が出ます。このうち、夜に担ぎ出され
る櫓が、種子島の太鼓山によく似ているのです。勿論、横転もさせますし、荒々しいのは御手
洗の方が上だと思います。横転と言うよりもコロコロと転がす感じです。御手洗では“暴れ櫓”と
呼んでいるくらいです。
確かに、種子島と御手洗の相違点もたくさんあります。御手洗には鉢巻(輪)がないこと、御手
洗は昼と夜では別の太鼓台を使用していること、舁棒の組み方が種子島の“梯子型”であるの
に対し、御手洗では中棒と短い脇棒の“前後に4本の組み方”である点、台の有・無、等々、大
きく異なる点も見逃せません。(御手洗の櫓については、次回以降に何らかの形で詳しく紹介し
たいと考えています)

御手洗のように、“昼と夜に異なる形態”の太鼓台を出している地方としては、京都府久美浜町
があります。同町・神谷太刀宮(かんだに・たちのみや)の秋祭りに各町内から出される太鼓台
は、“双葉山・霧島山・美城山…”など、「○○山」と呼んでいます。ただし、「○○山」と呼ぶの
は、本祭りの昼間が主であって、前夜に担ぎ出される太鼓台は、「日和神楽(ひより・かぐら)」と
呼んでいます。
祭りは、まず前夜祭があり、日和神楽が各町内から出されます。この形状は、四本柱の上に格
(碁)天井を積んでいる形をしていて、提灯を飾り、四方に竹笹を立てています。日和神楽は、
翌日の本祭りの肩ならしを兼ねたものと位置付けられていて、大きさは本祭りより若干小さいと
感じました。(地区によっては本祭りの山より背の高いものもあります)私が見学した平成11年
の際には、長い距離を、時々差上げはおこなうものの転がしなどは全くなく、地面に下ろすこと
もなく、ほとんど担いで歩いていました。ちなみに日和というのは、前夜祭で担いで、翌日の天
気を「日和にする」予兆からの名前だと言われています。

京都府久美浜町・各地区の「日和神楽」(本祭りの太鼓台よりも軽くできている)



本祭りの太鼓台。台舁きから手を伸ばして「ノセ」になる。船が舳先を上げて前進しているように見える。


翌日の本祭りには、破風屋根型の太鼓台(山)が5台出ていました。こちらは日和神楽よりも重
い造りとなっていて、装飾も洗練された豪華さです。太刀宮の境内では、山は“芸をする”と称し
て、「ノセ・回し・走り・斜め舁き・歩行」を行います。“ノセ”は頭上高く台を両手で差上げる担ぎ
方、“回し”はその状態でくるくると回すこと、“走り”は肩に担いだ状態で境内を走りまわること、
そして“斜め舁き”は、写真のように船が波を切り裂き、船首を持ち上げ押し進む時のようにも
見えました。なお、久美浜町に近い京都府網野町や兵庫県豊岡市津居山港の祭りでも、久美
浜町のものによく似た「だんじり」が出ていますが、こちらは碁天井だけのもので、屋根はありま
せんでした。

以上、種子島の太鼓山に始まり、御手洗の櫓、更には久美浜町の太鼓台(日和神楽や山)等
の、主として形態や運行に関連する一断片を、概略紹介しました。
この報告をご覧になってのご感想やご意見を、ぜひ「談話室・TBK」へお寄せいただきたいもの
です。皆様が語り合えば、皆様の地方の太鼓台が、決して独自なものではなく、他地方と極め
て似ていることを、改めて理解されると思います。



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