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兵庫県下のお祭りには、多くの屋台や舁きだんじり・太鼓台等が勇ましく奉納されています。実
は、これら屋台等(真ん中に大太鼓を垂直に据え、舁き棒を用いて若者たちに担がれる)と同 様な形態の祭礼奉納物は、大小や豪華素朴等の差はあるものの、瀬戸内を中心に広く西日本 一円に分布しています。しかし、それらがどこで誕生し、どのような発展過程を経て今日に見る 形態となったのか、等の歴史については解明されていなく、謎が多いのです。
隔年に奉納される宇府山(ウブヤマ)神社(千本地区)の屋台は、絢爛豪華な屋台の多い播州
にあって、比較的素朴でやや小型です。大正時代に現在の龍野市寄井辺りから習ってきた、と 口伝されるこの屋台に殊更注目しているのは、次のような理由があるからです。
(1)今の播州地方には見られない、蒲団部に丸いお椀を伏せたような構造が備わっているこ
と。
(2)屋台の台足を地面につけず、舁き棒の前後をシーソーのように激しく上げ下げする担ぎ方
(「エンヤサー」と呼ぶ豪快な所作)をすること。(因(チナミ)みに「エンヤ」とは、他の屋台等の 掛声に多く採用されていますし、瀬戸内では船を意味する言葉として広まっています)
このうち、(2)の担ぎ方は、船が大波に翻弄(ホンロウ)されているような荒々しいもので、各地
比較の上でも類がなく、この屋台独自のものと言えるでしょう。(ただし他地方の太鼓台等に は、曲芸的なそれ以上の激しい所作を演じるものがあります) ![]() ![]() ![]() ![]()
しかし、何と言っても千本屋台の注目すべき点は、(1)の蒲団上部の丸い構造にあります。そ
の構造は、屋根受けの中央に木枠(55cm四方・高さ85cmの立方体状の箱枠)をうつ伏せに 乗せ、周囲に直径20cm程の輪状の袋(中に稲藁の穂先を入れ、四隅は角張ったように見せ るため綿を詰めている)を順次に三段はめ込み、各段を縫い合わせて外観上「三枚重ねの蒲 団」に仕上げています。
また、丸い膨らみは竹籠(神様の降臨してくる目印となる依代(ヨリシロ)=目籠)を伏せ、その
上に藁を均等にかぶせ、装飾布の上から全体をタスキ状に縛って形作っています。
このような構造を伝える屋台は、現在の播州地方では見当たりません。いかし、かっては確か
に存在していました。前述の龍野市寄井地区に近い、同市小宅(オヤケ)神社や姫路市林田八 幡神社の祭礼絵馬には、明らかにそれと判るこんもりとした膨らみを持つ屋台が描かれてい て、林田八幡神社の絵馬では同規模の神輿屋根型屋台と仲良く並んでいます。
千本屋台と絵馬に描かれた屋台とが意味するところは、次の通りです。
(1)かっての屋台には、神の降臨先を示す依代の目籠が内包され、人々は身近な屋台を、より
神聖な奉納物として接していたこと。
(2)少なくとも明治初期(約120年前)には、播州のこの地域に丸い蒲団屋根型の屋台が存在
していて、しかも相当に小さく素朴であったことが理解でき、今となっては千本屋台ただ一台が その末裔であること。
(3)この蒲団の形状は、高砂市曽根祭りや加西市北条節句祭り等の、豪華な反り蒲団中央の
山型の膨らみにも通じ、千本屋台や絵馬の屋台が、これら屋台の原初的な存在と考えられるこ と。
(4)同様の形態を伝える地方として、京都府丹後町、愛媛県佐田岬半島(瀬戸町、保内町)お
よび新居浜市等があります。それらと千本屋台との間には、構造上の類似が強く認められ、 「遠隔の屋台等が点ではなく線として確認」されたこと。
以上のように、千本屋台は、近世末期から現在に至る消長の非常に激しい時代を生き抜き、
当時の姿そのままを私たちに見せています。他地方の屋台等がどんどん華美になっていく潮 流の中で、孤高にも希少な伝承を伝え続けてきたのです。
千本屋台は、先鋭的と言っても過言ではない「エンヤサー」の豪快さや、丸い蒲団屋根の独自
性によって、この種の文化圏における凛とした確かな「存在感」を、私たちに主張しているので す。
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