三面川  村上を流れる三面川(みおもてがわ)の鮭の歴史を紐解きますと、延長5年(927)に醍醐天皇が編まれた延喜式や永万元年(1165)発布の瀬波川鮭漁院宣の記録など、たいへん古い時代まで遡ります。
 鮭漁が盛んになったのは江戸時代のことで、文化5年(1808)、鮭が生まれた川へ戻ってくる習性を発見した村上藩士の青砥武平次が、藩主内藤信敦に進言して鮭の繁殖と治水をはかる「種川の制度」を設けたことによります。
 種川とは、鮭の自然孵化と稚魚放流のための人工川で、本流の水を引いた画期的なものでした。 もちろん国内でも世界でも初めてのことで、その後、鮭漁は村上藩にとって大きな財源となったのです。
青砥武平次
 明治維新をむかえて廃藩後は、旧藩士たちが経営する村上鮭川育養所で漁業権を引き継ぎ、明治11年(1878)からは人工孵化をとりいれました。
 この育養所は利益の一部を子弟教育に投入したことから、村上では立身出世した人を“鮭の子”と呼ぶようにもなりました。
 現在は漁業権を三面川鮭産漁業組合が持ち、春になると孵化場で育てた稚魚を種川へ放流しています。
 稚魚は三面川から日本海へ出て、3年〜5年すると産卵のためにこの故郷へ戻ってきます。
 鮭の捕り方も独特のもので、昔から行われている居繰網漁(いぐりあみりょう)と竹浮ウライ漁があります。
 たくさん捕れたときには鮭1匹と大根1本が同じ扱いとなってしまい、猫も呆れてまたいで通ったという話があるほどです。
鮭の稚魚
鮭の産卵  村上の塩引鮭は10月中旬頃から雄鮭で作ります。 ワタを取り出したあと丹念に粗塩をすりこみ、ねかしてから水洗いし、そして軒に下げて風干します。 すると、村上の気候風土が美味しい塩引鮭に仕上げてくれます。
 少し変わった特徴があって、旧村上藩の風習から鮭の腹は
切腹とならないよう中央を残して二段に切り、軒に下げるときは首吊りにならないよう尾から吊るします。
産卵する雌鮭と雄鮭
居繰網漁  一般の家庭でも作り、塩引鮭が味を競い合うように下がる風景は村上ならではのものです。 当店でもたくさんの塩引鮭を作って、お客様にご堪能いただいております。
 このように、鮭は最も慣れ親しんできた魚なものですから、
魚の中の魚という意味の方言で、イヨボヤと呼んでおります。
伝統的な居繰網漁
竹浮ウライ漁 村上の塩引鮭 村上の鮭料理
一括採捕の竹浮ウライ漁 軒に下がった塩引鮭 鮭づくしのお膳