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ホーム リスト << 重要判例要旨 最終更新 '08/06/20

企画案の提供と編集著作物の完成


「『智恵子抄』事件(2)

平成40121日東京高等裁判所(昭和63()4174

「『智恵子抄』事件」

平成50330日最高裁判所第三小法廷(平成4()797


【ポイント・論点】
企画案ないし構想を提供する第三者の進言により、著作者がはじめて著作を決意し、その協力により著作物を完成させたという事情がある場合、そのような企画案ないし構想を提供した者は、完成した著作物の(共同)著作者としての地位を有するか、出来上がった著作物が、既存の著作物をもとに完成される編集著作物の場合はどうか。


【判決文(控訴審)】
(注) 下線がある場合、それは筆者によるものです。


2 控訴人らは、当審において、Aが「智惠子抄」の編集著作権者である理由として、第一次案と「智惠子抄」を対比し、収録された作品の重なり方、「荒涼たる歸宅」を除く全体としての構成内容に顕著な差がないこと、BがAから第一次案の提示を受けるまでCに関する作品を集めた著作物を作る意図を持っていなかったこと、「智惠子抄」成立過程でのBの行為が第一次案に示されたAの構想の線に添って行われていることなどを挙げているので、判断する。
  著作者が企画案ないし構想を提供する第三者の進言により、はじめて著作を決意し、その協力により著作物を完成するという経過をたどることは、決して稀ではなく、その場合進言をした第三者が当然に著作権者となるものではない著作物をもととして完成される編集著作物について、第三者が進言した場合でも同様である。
 編集物で著作物として保護されるのは、「その素材の選択又は配列によって創作性を有する」ことが必要であるから(著作権法121項)、Aが「智惠子抄」の編集著作権者であるというためには、その素材となったCに関するBの作品を自ら選択し配列したと認められることが必要である。すなわち、Aの編集著作というためには、「荒涼たる歸宅」のように後日制作された作品を除き、可能な限り、Cに関する作品全てを認識し把握したうえで、これら作品について必要な取捨選択を経て配列を完成するという作業がA自身によりなされることが何よりも先ず必要であって、それによってはじめて控訴人らが主張するBとCの愛を浮き彫りにした創作性ある編集著作がなされたと認め得る余地があるのであり、かかる作業がなされないまま、Bの作品の一部を集めても、それはBとCの愛を浮き彫りにするという編集著作という観点からは、企画案ないし構想の域にとどまるにすぎないものというべきである。


【判決文(上告審)】

(注) 下線がある場合、それは筆者によるものです。


本件編集著作物である「智惠子抄」は、詩人である高村光太郎が既に公表した自らの著作に係る詩を始めとして、同人著作の詩、短歌及び散文を収録したものであって、その生存中、その承諾の下に出版されたものであることは、原審の適法に確定した事実である。そうすると、仮に光太郎以外の者が「智惠子抄」の編集に関与した事実があるとしても、格別の事情の存しない限り、光太郎自らもその編集に携わった事実が推認されるものであり、したがって、その編集著作権が、光太郎以外の編集に関与した者に帰属するのは、極めて限られた場合にしか想定されないというべきである。

そもそも本件において、光太郎以外の者が「智惠子抄」の編集に携わった事実が存するかをみるのに、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、この認定したところによれば、() 収録候補とする詩等の案を光太郎に提示して「智惠子抄」の編集を進言したのは、上告人Aの被承継人であり、Bの名称で出版業を営んでいたC(以下、単に「C」という)であったが、「智惠子抄」に収録されている詩等の選択は、同人の考えだけで行われたものでなく、光太郎も、Cの進言に基づいて、自ら、妻の智惠子に関する全作品を取捨選択の対象として、収録する詩等の選択を綿密に検討した上、「智惠子抄」に収録する詩等を確定し「智惠子抄」の題名を決定した、() Cが光太郎に提示した詩集の第一次案の配列と「智惠子抄」の配列とで一致しない部分がある、すなわち、詩の配列が、第一次案では、光太郎が前に出版した詩集「道程」の掲載順序によったり、雑誌に掲載された詩については、その雑誌の発行年月順に、同一の雑誌に掲載されたものはその掲載順に配列されていたのに対し、「智惠子抄」では「荒涼たる歸宅」を除いては、制作年代順の原則に従っている、() Cは、第一次案に対して更に二、三の詩等の追加収録を進言したことはあるものの、光太郎が第一次案に対して行った修正、増減について、同人の意向に全面的に従っていた、というのである。

右の事実関係は、光太郎自ら「智惠子抄」の詩等の選択、配列を確定したものであり、同人がその編集をしたことを裏付けるものであって、Cが光太郎の著作の一部を集めたとしても、それは、編集著作の観点からすると、企画案ないし構想の域にとどまるにすぎないというべきである。原審が適法に確定したその余の事実関係をもってしても、Cが「智惠子抄」を編集したものということはできず「智惠子抄」を編集したのは光太郎であるといわざるを得ない。したがって、その編集著作権は光太郎に帰属したものであり、被上告人が、光太郎から順次相続により右編集著作権を取得したものというべきであって、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。