著作権重要判例要旨[トップに戻る]







著作権と所有権との関係
「顔真卿自書告身帳事件」
昭和590120日最高裁判所第二小法廷判決(昭和58()171 

 美術の著作物の原作品は、それ自体有体物であるが、同時に無体物である美術の著作物を体現しているものというべきところ、所有権は有体物をその客体とする権利であるから、美術の著作物の原作品に対する所有権は、その有体物の面に対する排他的支配権能であるにとどまり、無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではないと解するのが相当である。そして、美術の著作物に対する排他的支配権能は、著作物の保護期間内に限り、ひとり著作権者がこれを専有するのである。そこで、著作物の保護期間内においては、所有権と著作権とは同時的に併存するのであるが、所論のように、保護期間内においては所有権の権能の一部が離脱して著作権の権能と化し、保護期間の満了により著作権が消滅すると同時にその権能が所有権の権能に復帰すると解するがごときは、両権利が前記のように客体を異にすることを理解しないことによるものといわざるをえない。著作権の消滅後は、所論のように著作権者の有していた著作物の複製権等が所有権者に復帰するのではなく、著作物は公有(パブリツク・ドメイン)に帰し、何人も、著作者の人格的利益を害しない限り、自由にこれを利用しうることになるのである。したがつて、著作権が消滅しても、そのことにより、所有権が、無体物としての面に対する排他的支配権能までも手中に収め、所有権の一内容として著作権と同様の保護を与えられることになると解することはできないのであつて、著作権の消滅後に第三者が有体物としての美術の著作物の原作品に対する排他的支配権能をおかすことなく原作品の著作物の面を利用したとしても、右行為は、原作品の所有権を侵害するものではないというべきである。
 小説のような言語の著作物の原作品である原稿が、通常、美術の著作物の原作品のようにそれ自体としては財産的価値を有しないのは、美術の著作物の場合は、原作品によらなければ真にその美術的価値を享受することができないことから、原作品自体が取引の対象とされるのに対し、言語の著作物の場合は、原作品によらなくとも複製物によつてその表現内容を感得することができるところから、いきおい出版物としての複製物が取引の対象とされるからにすぎず、言語の著作物の原作品についても、有体物としての面と無体物としての面とがあることは、美術の著作物の原作品におけると同様であり、両者の間に本質的な相違はないと解されるのであつて、所論のように、美術の著作物の原作品についてのみ、著作権の消滅により原作品に対する所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも有することになると解すべき理由はない。そして、美術の著作物の原作品の所有権が譲渡された場合における著作権者と所有権者との関係について規定する著作権法451項、47条の定めは、著作権者が有する権利(展示権、複製権)と所有権との調整を図るために設けられたものにすぎず、所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも含むものであることを認める趣旨のものではないと解される。また、保護期間の満了後においても第三者が美術の著作物の複製物を出版すると、所論のように、美術の著作物の原作品の所有権者に対価を支払つて原作品の利用の許諾を求める者が減少し、原作品の所有権者は、それだけ原作品によつて収益をあげる機会を奪われ、経済上の不利益を受けるであろうことは否定し難いところであるが、第三者の複製物の出版が有体物としての原作品に対する排他的支配をおかすことなく行われたものであるときには、右複製物の出版は単に公有に帰した著作物の面を利用するにすぎないのであるから、たとえ原作品の所有権者に右のような経済上の不利益が生じたとしても、それは、第三者が著作物を自由に利用することができることによる事実上の結果であるにすぎず、所論のように第三者が所有権者の原作品に対する使用収益権能を違法におかしたことによるものではない。原判決が、被上告人の複製物の出版によつては上告人の原作品に対する使用収益権能が物理的に妨げられるものではなく、また、他人の権利の経済的価値の下落をもたらすような結果を生ぜしめる行為であるというだけではこれを違法とはいえない旨判示するのも、その意味するところは、ひつきよう、右に説示したところと同趣旨に帰するものと解されるのである。更に、博物館や美術館において、著作権が現存しない著作物の原作品の観覧や写真撮影について料金を徴収し、あるいは写真撮影をするのに許可を要するとしているのは、原作品の有体物の面に対する所有権に縁由するものと解すべきであるから、右の料金の徴収等の事実は、所有権が無体物の面を支配する権能までも含むものとする根拠とはなりえない。料金の徴収等の事実は、一見所有権者が無体物である著作物の複製等を許諾する権利を専有することを示しているかのようにみえるとしても、それは、所有権者が無体物である著作物を体現している有体物としての原作品を所有していることから生じる反射的効果にすぎないのである。若しも、所論のように原作品の所有権者はその所有権に基づいて著作物の複製等を許諾する権利をも慣行として有するとするならば、著作権法が著作物の保護期間を定めた意義は全く没却されてしまうことになるのであつて、仮に右のような慣行があるとしても、これを所論のように法的規範として是認することはできないものというべきである。

【コメント】参考になりますので、第一審[昭和570125日東京地方裁判所(昭和55()13583]及び控訴審[昭和571129日東京高等裁判所(昭和57()203]の判示部分も掲載します。

 
なお、以下で登場する「自書告身帖」とは、顔真卿真蹟の「顔真卿自書建中告身帖」のことで、顔真卿は、中国唐代(8世紀)の著名な書家であり、中国書道史上王義之と並び称される屈指の名筆家です。現存するその真蹟は二、三点を数えるのみで、その中の一点が本件の「自書告身帖」(原告所蔵)です。 


【原審】

 
原告は、被告らによる本件刊行物の出版をもつて、原告がその所有する「自書告身帖」について有する使用収益権の侵害と主張し、本件刊行物の販売差止め及び「自書告身帖」の複製部分の廃棄を請求するので、判断する。
 
ある有体物が美術的価値を有する場合において、その美術的価値が思想又は感情を創作的に表現したものであつて、美術の範囲に属するものであれば、著作権法所定の美術の著作物として著作権の対象となる(著作権法第2条第1項第1号、第10条第1項第4号)から、著作権の保護期間中は、無体物である美術の著作物についての著作権の保護とそれを体現している有体物についての所有権の保護とが、保護の目的・内容、保護されるべき権利主体を異にするものとして競合することになる。
 
ところで、右著作権と所有権とでは、権利の対象が無体物である美術の著作物(美術的価値)なのかそれとも有体物なのかという点において根本的に違うため、目的物の使用収益の方法・内容、権利の排他性においても性質上の差異を来すことは免れない。一般に、物の所有者は、その所有権の範囲を逸脱し又は他人の権利・利益を侵害する結果となるような場合を除き、その所有物をいかなる手段・方法によつても使用収益することができ、第三者は、所有者から使用収益を承認されている場合を除いては、直接にせよ間接にせよ、他人の所有物を利用することによつて所有者の使用収益を阻害してはならない法的関係にあるとはいえ、右は有体物についての使用収益にとどまり、所有者が、有体物を離れて無体物である美術の著作物(美術的価値)自体を排他的に支配し、使用収益することができる訳ではない。右美術の著作物の排他的な支配権は、法律の許容する範囲内で、著作権者がこれを専有するのである。すなわち、美術的著作物の著作権者は、その著作物を複製する権利及び原作品により公に展示する権利を専有し(著作権法第21条、第25条)、その権利を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができ(同法第112条第1項)、その請求をするに際し、侵害の行為を組成した物、侵害の行為によつて作成された物等の廃棄その他の侵害の停止又は予防に必要な措置を請求することができる(同条第2項)。
 
右美術の著作物についての排他的な利用・支配権能は、原作品により公に展示する権利は別として、著作権者の利益を保護するため著作権法が特に創設したものであり、従前所有者の有していた権能を所有者の犠牲において著作権者に付与したものではない。前記のとおり、所有者は、有体物についての排他的な利用・支配権能を有するにとどまり、もともと無体物である美術の著作物(美術的価値)自体についてはなんらの権能を有しないのである。
 
右の理は、著作権の保護期間が満了し、著作権が消滅した場合にも妥当するのであり、美術の著作物(美術的価値)を体現している有体物の所有者が、著作権の消滅を理由として、美術の著作物自体について右の排他的な利用・支配権能を取得できるいわれはない
 
なるほど、右有体物について、その複製物を製作・頒布することに経済的価値が存するかぎり、右有体物の所有者は、右複製物の製作・頒布に際して、第三者から対価を徴することが可能であり、著作権者による複製許諾に類似の現象が生じることは否定できない。また、それゆえに請求の原因第4項(二)記載の慣行が確立している場合を想定すると、第三者により無断で複製物が製作・頒布されたために、新たな複製物を製作する経済的な意義が薄れ、所有者が収受しえたであろう対価が減少しあるいは無に帰することとなつたり、自己所有の右有体物について、複製物の製作を全く又は部分的な形でしか望まない所有者の願望がそこなわれる結果を招来するなどの場合に、所有権の侵害の有無が一個の法律問題として提起されることは無理からぬ面があると評することができよう。
 
しかしながら、右所有者が美術の著作物(美術的価値)について著作権者に認められるような排他的な利用・支配権能を持たず、有体物についての支配・管理権能を有するに過ぎないことは前記のとおりであつて、右所有者は、所有物に対する使用収益権に基づいて、その物を自ら自由に鑑賞し又はいずれも対価を徴して、他人に賃貸し、公に展示し若しくは直接の写真撮影を許す等の行為を行うことができるのは当然とはいえ、有体物を直接撮影させるべく撮影者に開示して接触させるにとどまらず、右撮影による写真又は従前撮影済みの写真を利用して、美術の著作物(美術的価値)自体の複製物の製作・頒布を行うことを許諾して対価を収受する行為は、所有物の使用収益権の内容そのものとはなし難い。前記著作権類似の現象は、所有者が所有物を合理的に活用するために、所有物を支配・管理していることの反射的効果として行つているに過ぎず、事実上の利益享受に外ならないものというべきである。
 
翻つて本件を見るに、被告らによる本件刊行物の出版をもつて、原告がその所有する「自書告身帖」について有する使用収益権の侵害と解することができないことは以上述べたところから明らかであつて、原告が主張するように、有体物としての物が体現している美術的価値自体を、その物の所有権の使用収益権の効力として、第三者による無断の複製物の製作・頒布行為を差し止めるなどにより、排他的に支配しうる旨解することはできないといわざるを得ない。
 
もつとも、原告が請求の原因第4項(二)で主張するごとき実務上の慣行の確立を前提にすると、そのような慣行に従うことなく、所有者に無断で物の複製物を製作・頒布する行為は、その具体的な態様いかんによつては、所有者が複製許諾の対価として一定の経済的利益を得ることについて有する正当な利益を侵害するものとして、不法行為が成立し、損害賠償責任を負担すべき場合がないではないであろうし、所有者と所有物利用者との間で、著作物利用契約類似の合意がなされている場合に、契約当事者間において、特約に基づく差止請求権を認める余地を全く否定することもできないであろう。
 
しかし、原告の本訴請求は、所有権に基づく複製物の販売の差止め及び廃棄請求であるから、結局法的根拠を欠くに帰し、その余の点について判断するまでもなく失当たるを免れない。

【控訴審】

 
当裁判所も、控訴人の被控訴人らに対する請求は、いずれも失当としてこれを棄却すべきものと判断するものであるが、その理由は、原審における双方の主張立証に関しては、原判決理由説示と同一であるからこれを引用する。
 当審における控訴人の主張について判断する。
 
控訴人は、美術の著作物は文芸の著作物と異なり原作品そのものに財産的、美術的価値があり、これを複製することは単に二次的価値しかないことを強調して、著作権の存続期間が満了すれば、美術の原作品の所有者は、原作品の影像や写真の排他的支配権を有することとなる、旨主張する。
 
しかしながら、まず第一に、美術の著作物と文芸の著作物との社会的取扱いの相違は、文芸の著作物と異なり美術の著作物についてはその精確な複製が不可能に近いことから生ずる事実上のものにすぎないのであつて、美術の著作物も、文芸の著作物と同じく本来無体のものであり、両者の間に本質的な相違はないから、これと異なる控訴人の主張を首肯することはできない。
 
さらにまた、著作権法の規定に照らして右主張の当否を検討してみるのに、美術の著作物の複製並びに原作品による公の展示に関しては、その著作者が排他的権利を独占的に有する旨を規定し(同法21条、25条)、一方、未公表の美術の著作物の原作品が譲渡された場合は、その著作物を原作品による展示の方法で公衆に提示することについて、著作者は同意したものと推定され(同法1822号)、また、美術の著作物の原作品の所有者は、右著作物をその原作品により公に展示することができると定め(同法451項)、そのほか、美術の著作物の原作品の所有者は、これを公に展示するに際し、観覧者のために著作物の解説または紹介を目的とする小冊子に著作物を掲載することができると定めている(同法47条)。
 
右各規定によれば、美術の著作者は、著作権の存続期間中無体物である美術の著作物につきその複製権及び展示権を専有するわけであるが、同法1822号の場合には著作者の同意が推定される結果、同法451項、47条の場合には著作者の専有する右複製権及び展示権が制限される結果、原作品の所有者による美術の著作物の公の展示もしくは複製が著作権法に牴触せずに許されるとするにとどまるのであつて、著作者ではない原作品の所有者に無体物である美術の著作物の複製権及び展示権を認めたものではないと解せられる。そうして、美術の著作者が専有する無体物たる美術の著作物の複製権及び展示権は、著作権の存続期間満了後においては、いわゆるパブリツク・ドメインに帰するところ、この場合、美術の著作物の原作品の所有者が、有体物についてこれを直接かつ排他的に支配する権利である所有権の内容として、無体物たる美術の著作物につき排他的な利用・支配権能を取得して原作品の影像や写真に対し排他的支配権を取得するに至ると解する余地は全くないのである。
 
尤も、美術の著作物の原作品の所有者は、有体物たる所有物そのものの使用・収益・処分について排他的な権利を有するから、他人(著作権者をも含む。)が、原作品の所有者に対し、著作物の内在する所有物に接近するのを求めたり、その開示、貸出及び写真撮影等を求めたりするのに対し、これを拒むことができるし、また、著作権者の権利を侵害しない限り、対価を得てこれを許すこともできるが、それ以上に無体物たる著作物についてなんらかの権利を主張することはできないのである。
 
したがつて、控訴人の前記主張は、いずれにしても失当として採用できない。
 
なおまた、控訴人は被控訴人の本件印刷物の印刷・発行により控訴人の「自書告身帖」に対する所有権に基づく使用収益権が害せられたとして、この事実を前提として本件各請求をなしているものであるところ、控訴人の「自書告身帖」に対する使用収益とは、自らこれを観賞あるいは複製しあるいは、他人に対しこれらの行為をなすことを許諾してその対価を得ることなどであるから、控訴人がこれらの使用収益をなす権利が、被控訴人の前記行為によつて物理的に妨げられると解すべき余地はない。もつとも、被控訴人の刊行した複製を入手した者があらためて控訴人に対し、対価を支払つて「自書告身帖」の複製許可を求めたりすることはないであろうから、控訴人が被控訴人の行為により「自書告身帖」を利用しての収益の機会を奪われ、経済上の不利益を受けるであろうことは否定できないから、控訴人の右使用収益権の経済的価値がこれによつて減少したということはいえるであろう。しかしながら、貨幣を媒介とする交換経済のもとにおいては、移転可能なあらゆる法律的権利には経済的価値があり、かつ右経済的価値は各種の要因によつて変動することを免れない(例えば交通機関の整備による近隣地価の上昇、新製品の開発による旧製品の値下り等)のであるが、他人の権利の経済的価値の下落をもたらすような行為も、自由競争の範囲内では当然に許されるから、そのような結果を生じたというだけで違法とはいえないのは当然である。そうして被控訴人の本件印刷物の印刷・刊行の行為についてこれを違法と目すべき特段の事情は、以上認定の事実中には見当らないし、他にこれについての主張立証はない。それ故控訴人の右使用収益権侵害の主張も採用できない。











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