著作権重要判例要旨[トップに戻る]







「引用」の意義
「パロディ・モンタージュ写真事件」
昭和550328日最高裁判所第三小法廷判決昭和51()923 

【コメント】本件では、旧著作権法301項第2にいう「引用」が問題となりましたが、ここでの解釈は、現行著作権法321項の「引用」の解釈にも妥当すると思われます。 

 法301項第2は、すでに発行された他人の著作物を正当の範囲内において自由に自己の著作物中に節録引用することを容認しているが、ここにいう引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならないというべきであり、更に、法183項の規定によれば、引用される側の著作物の著作者人格権を侵害するような態様でする引用は許されないことが明らかである。

参考 

【原審】「パロディ・モンタージュ写真事件」昭和471120日東京地方裁判所(昭和46()8643

 右事実によれば、原告が本件写真について著作権を有していることはいうまでもない。
 被告は、別添(2)の写真は、モンタージユ写真であって、他人の写真を素材にしてはいるが、原写真の思想、感情とは別個の思想、感情を表現する新たな著作物であるから、原写真の偽作となるものではないと主張するが、別添(2)の写真のようないわゆるモンタージュ写真が、一つの芸術形式として認められ得るということ、あるいは、現に一つの芸術形式として認められているということと、別添(2)のいわゆるモンタージユ写真が原告の本件写真の著作権を侵害しているかどうかということとは全く別個の問題であり、別添(2)の写真が本件写真とは別の思想、感情を表現する新たな著作物であるからといつて、別添(2)の写真が本件写真の偽作となるものではないということはできない。モンタージユ写真の中には、他人の写真や絵画等の中から小部分のみを引き出してつなぎあわせ、全体として元の写真なり絵画なりの原形が分らないまでにモンタージユされ、したがつて、原著作権者の著作権の侵害が問題となりえないようなものも存在するであろうが、別添(2)の写真は、右のような場合と異なり、前認定のように本件写真の右寄り上部にタイヤを配置しただけのものであって、別添(2)の写真が本件写真を素材としているものであることは一目瞭然である。このように、自己の著作物の中に、他人の著作権のある著作物を、その著作権者の承諾を得ることなく、一部または全部をとり込んで公表することは、いわゆる剽窃であって、他人の著作権を侵害するものであるのはもちろんである。本件写真は、カラー写真であり、別添(2)の写真は白黒写真であるが、別添(2)の写真がカラーを白黒に変えた以外は本件写真の大部分をそのまま複製しているものであり、右複製につき原告の承諾を得たとのことは被告の主張立証しないところであり、前認定の事実によれば、被告には少なくとも過失があつたものというべきであるから、他に被告の右複製を正当化しうる事由の認められない本件においては、被告の右本件の写真の複製は、原告の著作権を侵害する違法のものであるといわなければならない。このことは別添(2)の写真が本件写真とは別個の表象、思想、感情を与えるものであるかどうかということとは全く別の問題である。
 
被告は、別添(2)の写真製作の意図は、巨大なタイヤによつて自動車を表象し、スキーのシユプールを自動車のわだちにたとえ、写真の下のスキーヤーは自動車から人が逃れんとしている様をあらわして、自動車による公害の現況を諷刺的に批判したものであり、したがつて、本件写真の製作意図を破壊したり、茶化したり、侮辱したりしたものではなく、また、被告の右写真は、スキーシユプールがタイヤのわだちに似ていることを指摘することにより、原写真の美術的評価を批判するとの意図をも有するものであつて、このために原写真を引用したものであるから、なんら著作権の侵害となるものではなく、右引用は正当なる範囲内で行われたものであるから出所の明示を要しない、と主張するので、以下その主張について検討する。
 
本件に適用ある(昭和45年法律第48号著作権法附則第17条参照。)旧法第30条第1項は、「既ニ発行シタル著作物ヲ左ノ方法ニ依リ複製スルハ偽作ト看做サス」とし、同項第2号は、「自己ノ著作物中ニ正当ノ範囲内ニ於テ節録引用スルコト」と規定している。「節録引用」とは、短く記載して引用することであり、短くとは、引用するものと引用されるものとの相対関係によつて決めらるべきものであり、「引用」とは、著作物に創作的に表現された思想または感情を、原作のまま、自己の著作目的に適合するように摘録して、自己の著作物中に利用することをいうのであり、原作の思想感情を改変して自己の著作物の中に取り入れ、これを自己の著作物とすることは、原作の表現の大部分をそのまま利用するものであつても、すでに改作であつて、引用ではないと解するのが相当である。別添(2)の写真は、前説明のように、本件写真の上部に、中央より右側寄りに自動車のタイヤを配したことにより、本件写真に表示されている右側の山はタイヤによつて隠され、被告自身主張するように、本件写真とは異なつた思想なり感情なりを表示するものとなつているのであつて、被告による本件写真のこのような使用方法は引用であるとはいえないのである。みずから原作を改変破壊しておきながら、それが原作に対する批評であるから、右の改変は原著作権者の承諾を得なくても著作権を侵害することにならないというがごときは、それ自体許されないといわなければならない。別添(2)の写真によつて、自動車による公害の現況を諷刺的に批判するということが、本件写真を改変して原告の著作権を侵害することを正当化するものでないことはいうまでもなく、被告の右写真は、少くとも本件写真の製作意図を破壊してしまつていることは、両者を対比することにより、説明をまつまでもなく明らかである。
 
以上のとおり、別添(2)の写真は、本件写真を「正当の範囲内において節録引用」したものではないから、仮に被告が別添(2)の写真に本件写真の出所を表示して公表したとしてもなお原告に対する関係でその著作権を侵害することとなり、それによつて生じた損害を賠償しなければならないものというべきである。

【控訴審】「パロディ・モンタージュ写真事件」昭和510519日東京高等裁判所(昭和47()2816

 
そこで、控訴人主張の抗弁について審究するのに、本件モンタージユ写真が出版物に掲載されたのはいずれも昭和4611日前であるから、その作成が偽作に該当するか否かについては、著作権法附則第17条により、なお旧著作権法(明治32年法律第39条)第29条、第36条及び第36条ノ2の規定の例によるべく、したがつて、同法第30条の規定が適用される。そして、同条は、著作物の社会性に鑑み、何人にも広く利用し得るものとすることが公共のためであるという考え方から、第1項各号に規定する方法によることを要件として著作物を複製することを偽作とみなさないものとする反面、第2項の規定により、利用者にその著作物の出所明示の義務を負わせて著作権者の保護をはかつていると解されるが、控訴人が本件モンタージユ写真の作成を偽作とみなされないとする主張の根拠はその第1項第2の「自己ノ著作物中ニ正当ノ範囲内ニ於テ節録引用スルコト」に該当するというにあるので、その当否について考察する。
 
まず、本件モンタージユ写真が控訴人からみて右規定にいう「自己ノ著作物」に該るかについてみると、その表現形式は本件写真の主要部分たる雪山の景観がそのまま利用されているけれども、作品上、これに巨大なタイヤの映像を組合わせることによつて、一挙に虚構の世界が出現し、そのため、本件写真に表現された思想、感情自体が風刺、揶揄の対象に転換されてしまつていることが看取される(本件モンタージユ写真が本件写真の思想、感情を全く改変してしまつていることは被控訴人自身の認めるところである。)が、それは、本件モンタージユ写真に組入れた自動車タイヤの映像の選択と配置(大きさ、位置関係等)によるものと認められ、この点にフオト・モンタージュとしての創作力を見出すことができるから、本件モンタージユ写真は本件写真のパロデイというべきものであつて、その素材に引用された本件写真から独立した控訴人自身の著作物であると認められるのが相当である。被控訴人は、本件モンタージユ写真には控訴人自身の著作物が存在せず、本件写真の剽窃が存在するだけであると主張するが、剽窃とは、一般に、他人の詩歌、文章その他の著作物に表現された思想感情をそのまま自己の作品に移行させる意図のもとに、その表現形式を自己の著作物に取りこむ場合に起る問題であつて、たとえ原著作物の表現形式を取りこんでいても、それが原著作物の思想、感情を批判、風刺、揶揄する等まつたく異なる意図のもとに行なわれ、しかも、作品上客観的にその意図が認められる場合には、原著作物の剽窃ではなく、原著作物の存在を前提とするものの、それとは独立したいわゆるパロデイの領域に属するのである。(例えば、小倉百人一首の「ほととぎすなきつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」に対して、江戸時代の狂歌に「ほととぎすなきつる方をながむればただあきれたるつらぞ残れる」があるが、後者は、前者を本歌とするパロデイであつて、前者の剽窃と目すべきものではない。)から、被控訴人の主張は当らない。
 
次に、本件モンタージユ写真が本件写真を素材に利用したことが右規定にいう「節録引用」に当るか否かについてみると、「節録」の語は、本来、文書の著作物について「節略シテ記録スルコト」(「大言海)」、「適度にはぶいて書きしるすこと」(「広辞苑」)という意味であるが、右規定における「節録引用」も、他人の著作物の一部を省いて残部を原作のまま自己の著作目的に適合する形式において引用することを広く指称するものと解するのが相当であつて、その引用の結果、原著作物の思想、感情が改変されるような場合を排除する趣旨まで含むものと解することはできない。さような場合、原著作物の引用が偽作とみなされないか否かは、ひとえに、その引用がなおかつ右規定のいう「正当ノ範囲内ニ於テ」なされたということができるか否かによつて決せられる問題たるにすぎない。しかるところ、本件モンタージユ写真の作成は、前記認定のように、独自の著作目的に適合する形式態様をもつて本件写真を素材として利用したものであるから、本件写真の「節録引用」に該当するということができる。
 
したがつて、次には本件写真の引用が右規定のいう「正当ノ範囲内ニ於テ」なされたといえるか否かについて考えなければならないが、ここにいう「正当ノ範囲」とは、右規定が著作権の社会性に基づき、これに公共的限界を設け、他人による自由利用(フエア・ユース)を許諾する法意であることに鑑み、自己の著作物に著作の目的上引用を必要とし、かつ、それが客観的にも正当視される程度の意味と解するのが相当である。
 
(略)
 
以上の事実によると、控訴人は、本件写真を批判し、かつ、世相を風刺することを意図する本件モンタージユ写真を自己の著作物として作成する目的上、本件写真の一部の引用を必要としたものであることが明らかであると同時に、その引用の方法も、今日では美術上の表現形式として社会的にも受け容れられているフオト・モンタージユの技法に従い、客観的にも正当視される程度においてなされているということができるから、本件モンタージユ写真の作成は、他人の著作物のいわゆる「自由利用」(フエア・ユース)として、許諾さるべきものと考えられる。
 
ただ、問題は、本件モンタージユ写真の作成が本件写真のさきに認定のような改変を伴うので、その利用が著作者の有する同一性保持権(現著作権法第20条第1項参照)を侵害するとして、正当の範囲を逸脱するという議論の成否である。なるほど、その問題を原著作物とこれに依存する二次的著作物との対立として考えるならば、後者が前者の枠内に止まるべきことは著作物の同一性保持権の当然の要請であつて、原著作者の意に反する改変は許されないことになるであろうが、これと異なり、他人が自己の著作物において自己の思想、感情を自由に表現せんとして原著作物を利用する場合について考えるならば、その表現の自由が尊重されるべきことは憲法第21条第1項の規定の要請するところであるから、原著作物の他人による自由利用を許諾するため著作権の公共的限界を設けるについては、他人が自己の著作物中において原著作物を引用して、これに対して抱く思想、感情を自由な形式で表現することの犠牲において、原著作物の同一性保持権を保障すべき合理的根拠を見出すことはできない。したがつて、他人が自己の著作物に原著作物を引用する程度、態様は、自己の著作の目的からみて必要かつ妥当であれば足り、その結果、原著作物の一部が改変されるに至つても、原著作者において受認すべきものと考えるのが相当であるから、本件モンタージユ写真における本件写真の引用がその同一性保持権を侵害するとして正当の範囲を逸脱するという考え方は成立しない。
 
なお、一般にパロデイは、既存の著名作品に依存しがちであるため芸術相価値が相対的に低いといわれ、また、本格に対する破格という意味合で、多くの場合相当に不行儀でも、皮肉的でもあるが、批評の一形式として社会的には正当な表現方法というべきであるから、本件モンタージユ写真が本件写真のパロデイであるからといつて、その引用の目的における正当性を否定すべきいわれはない。











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