著作権重要判例要旨[トップに戻る]







偽書であるとの疑いのある史書において、報告論文の侵害性が問題となった事例
「石垣の写真と古代史事件」平成90130日仙台高等裁判所(平成7()207 

 [本件論文の著作権]
 
…によれば、控訴人が本件論文を発表したことが認められ、また本件論文はその内容に照らして著作物に当ることが明らかであるから、控訴人がその著作権を有すると認められる。
 
[著作権侵害の有無]
 
控訴人は、「東日流外三郡誌」は、被控訴人【A】による偽作であり、その中において控訴人による本件論文を剽窃、盗用し、複製権又は翻案権を侵害した旨主張する。
 
…によれば、以下の事実が認められる。
 
「東日流外三郡誌」は、被控訴人らの説明によれば、「東日流内三郡誌」「東日流六郡誌」などとともに、前九年の役に敗れた安倍氏の末裔の安東一族の歴史と伝承とを中心的内容とする全368巻に及ぶ長大な史書であるとのことであり、江戸時代末期に安東家の後裔の【G】とその縁者の【H】が日本全国を回り、安倍氏、安東氏にかかる様々な伝承を収集記録して編纂され、その原本は【G】家に伝えられ、写本が【H】家に残されていたが、【G】家の原本は消失し、現在は【A】家にのみその写本が残されているとされている。これらは【A】家において門外不出、他県無用とされて秘蔵されてきたが、戦後被控訴人【A】により発見されたといわれ、これが昭和50年から52年までに青森県北津軽郡市浦村から「市浦村史資料編」として三巻に分けて刊行され、また昭和58年から61年にかけて弘前市の有限会社北方新社から全七巻が、平成元年には株式会社八幡書店から全六巻が刊行された。
 
これに対して「東日流外三郡誌」等は被控訴人【A】による偽書であると主張する者があり、右偽書説の根拠としては、@【A】家において昭和23年頃に天井裏から写本が発見されたという経緯が極めて不審であり、A記述の内容に明治時代以降用いられるようになったと思われる表現、用語が随所に見られ、B写本は被控訴人【A】の曾祖父の筆写によるとされているのにその筆跡が被控訴人【A】のそれと酷似していることなどを始めとするさまざまな疑問点が指摘されている。
 
ところで、控訴人の主張する本件論文の著作権侵害は、「東日流外三郡誌」が被控訴人【A】の執筆にかかることを前提とするものであるところ、同被控訴人が本件写真を前記のように用いていることのほか、右偽書説の根拠として主張されている点と、これに対する被控訴人【A】の対応、反論とを対照して、本件各証拠上の裏付の有無を検討すると、右偽書説にはそれなりの根拠のあることが窺われるものの、このような一面で学問的な背景をもって見解の対立する論点に関して、訴訟手続において提出された限られた資料から裁判所が判断するのは、それが争訟の裁判を判断する上で必要な場合には当然行うべき筋合いではあるが、結論を導くのに不可欠とはいえない場合には、これを差し控えるのが相当であると考えられる。そこで、とりあえず右の判断はひとまず留保した上、「東日流外三郡誌」等にある記述中控訴人の指摘箇所が控訴人の有する本件論文の著作権を侵害するような、著作物としての同一性を有するものであるか否かをまず検討することとする。
 
(略)
 
以上検討したとおり、控訴人主張の「東日流外三郡誌」等の個々の記述から見て、それが本件論文と著作物としての同一性を有すると判断することは困難であるが、さらに「東日流外三郡誌」全体と本件論文とを対比して検討するとしても、前者は長大な史書の体裁をなすものであるのに対して、後者は本件石垣の調査結果の報告論文である点で全く異なる上、前者が古代日本に存したとされる耶馬台国及び耶馬台城の石垣に関するいわば伝説的な記述であるのに対し、後者は熊野地方に存する石垣の客観的な性状を探求してそれが構築されるに至った理由、過程を学問的に探求しようとするものである点においても全く異なるのであるから、全体的な対比においても、著作物としての同一性を肯認することは到底困難であり、結局、前者には後者の記述にヒントを得たと見られる部分があるという程度に止まるというべきである。
 
したがって、「東日流外三郡誌」等の記述が本件論文の複製であることはもちろん、翻案であると認めることもできないのであるから、控訴人の有する著作権を侵害することを前提とした本件論文に関する請求は、「東日流外三部誌」等の著作者が誰であるかの判断に立ち入るまでもなく、理由がないことは明らかである。











相談してみる

ホームに戻る