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芸術的・思想的価値のある文書と猥褻性
「『
悪徳の栄え(続)』事件」昭和441015日最高裁判所大法廷(昭和39()305 

 論旨は、原判決が、文書の猥褻性と芸術性・思想性とはその属する次元を異にする概念であり、芸術的・思想的に価値の高い作品でも、刑法175条の猥褻罪の適用の対象となる旨判示し、本件「悪徳の栄え(続)」を猥褻の文書にあたるものとしたのが、刑法175条の解釈適用を誤り、憲法21条および23条に違反するというのである。
 しかし、右論旨は、左記(一)ないし(五)に記載するところにより、理由がないものといわなければならない。
(一) 原判決が、刑法175条の文書についての猥褻性と芸術性・思想性との関係について、当裁判所昭和32313日大法廷判決(いわゆるチヤタレー事件の判決)の見解にしたがうことを明らかにしたうえ、猥褻と芸術性・思想性とは、その属する次元を異にする概念であり、芸術的・思想的の文書であつても、これと次元を異にする道徳的・法的の面において猥褻性を有するものと評価されることは不可能ではなく、その文書が、その有する芸術性・思想性にかかわらず猥褻性ありと評価される以上、刑法175条の適用を受け、その販売、頒布等が罪とされることは当然である旨判示したことは、原判決の記載によつて明らかである。そして、所論の点について、前記大法廷判決は、右回趣旨の理由のほか、なお、「芸術といえども、公衆に猥褻なものを提供する何等の特権をもつものではない。芸術家もその使途の遂行において、差恥感情と道徳的な法を尊重すべき、一般国民の負担する義務に違反してはならないのである。」と判示しており、当裁判所も、また、右各見解を支持すべきものと考える。そして、右各見解によれば、芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられるもとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない。当裁判所は、文書の芸術性・思想性を強調して、芸術的・思想的価値のある文書は猥褻の文書として処罰の対象とすることができないとか、名誉毀損罪に関する法理と同じく、文書のもつ猥褻性によつて侵害される法益と芸術的・思想的文書としてもつ公益性とを比較衡量して、猥褻罪の成否を決すべしとするような主張は、採用することができない。
(二) 刑法175条は、文書などを猥褻性の面から規制しようとするもので、その芸術的・思想的価値自体を問題にするものではない。けだし、芸術的・思想的価値のある文書は、猥褻性をもつていても、右法条の適用外にあるとの見解に立てば、文書の芸術的・思想的価値を判定する必要があるであろうが、当裁判所がそのような見解に立つものでないことは右(一)において説示したとおりであるからである。原判決が、「現行刑法の下では、裁判所は、文書が法にいう猥褻であるかどうかという点を判断すれば足りるのであつて、この場合、裁判所の権能と職務は、文書の猥褻性の存否を社会通念に従つて判断することにあつて、その文書の芸術的思想的の価値を判定することにはなく、また裁判所はかような判定をなす適当な場所ではない。」と判示したのは、措辞に妥当を欠く点がないではないが、要は、裁判所は、右法条の趣旨とするところにしたがつて、文書の猥褻性の有無を判断する職責をもつが、その芸術的・思想的価値の有無それ自体を判断する職責をもつものではないとしたのであつて、なんら不当なものということはできない。
(三) 以上のような考え方によると、芸術的・思想的価値のある文書でも、猥褻の文書として処罰の対象とされることになり、間接的にではあるが芸術や思想の発展が抑制されることになるので、猥褻性の有無の判断にあたつては、慎重な配慮がなされなければならないことはいうまでもないことである。しかし、刑法は、その175条に規定された頒布、販売、公然陳列および販売の目的をもつてする所持の行為を処罰するだけであるから、ある文書について猥褻性が認められたからといつて、ただちに、それが社会から抹殺され、無意味に帰するということはない。
(四) 文書の個々の章句の部分は、全体としての文書の一部として意味をもつものであるから、その章句の部分の猥褻性の有無は、文書全体との関連において判断されなければならないものである。したがつて、特定の章句の部分を取り出し、全体から切り離して、その部分だけについて猥褻性の有無を判断するのは相当でないが、特定の章句の部分について猥褻性の有無が判断されている場合でも、その判断が文書全体との関連においてなされている以上、これを不当とする理由は存在しない。したがつて、原判決が、文書全体との関連において猥褻性の有無を判断すべきものとしながら、特定の章句の部分について猥褻性を肯定したからといつて、論理の矛盾であるということはできない。
(五) 出版その他の表現の自由や学問の自由は、民主主義の基礎をなすきわめて重要なものであるが、絶対無制限なものではなく、その濫用が禁ぜられ、公共の福祉の制限の下に立つものであることは、前記当裁判所昭和32313日大法廷判決の趣旨とするところである。そして、芸術的・思想的価値のある文書についても、それが猥褻性をもつものである場合には、性生活に関する秩序および健全な風俗を維持するため、これを処罰の対象とすることが国民生活全体の利益に合致するものと認められるから、これを目して憲法21条、23条に違反するものということはできない
 
原判決が、本件「悪徳の栄え(続)」のうち原判決摘示の14個所の部分を右訳書の内容全体との関連において考察し、右部分は、性的場面をあまりにも大胆卒直に描写していて、情緒性に欠けるところがあり、その表現内容も非現実的・空想的であるうえに、その性的場面が、残忍醜悪な場面と一体をなし、あるいはその前後に接続して描写されているなどの理由で、いわゆる春本などと比較すると、性欲を興奮または刺激させる点において趣を異にするものがあるが、なお、通常人の性欲をいたずらに興奮または刺激させるに足りるものと認め、これらの部分を含む右訳書を刑法175条の猥褻の文書にあたるものとしたのは正当であり、したがつて、原判決に所論憲法の違反があるということはできない。











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