著作権重要判例要旨[トップに戻る]







適法引用における主従関係(2)
「『ゴーマニズム宣言』事件」
平成120425日東京高等裁判所(平成11()4783 

【コメント】本件は、漫画家である原告が、原告の創作した漫画のカットを採録した書籍の著者、発行者及び発行所である被告らに対し、当該カットの採録は複製権の侵害であること、採録されたカットの一部は原告の意に反して改変されているから同一性保持権を侵害していること等を主張して、被告書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め及び損害賠償を求めた事案の控訴審です(「控訴人」は「原告」です)。 

 引用における附従性について
 [引用の目的について]
 控訴人は、被控訴人書籍では、32のカットに関して、カットを取り去ると文章としてはつながらず、本文が独自主体的な存在たり得ていないことを理由として、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとし、これを前提に、本文とカットとの主従関係は認められないと主張する。
 しかし、カットを取り去った場合に文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、直ちに、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとみる根拠とすることはできない。カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなる原因としては、様々なものがあるからである。例えば、同じく他人の詩の一部を引用するとしても、自分の言いたいことについて文章を書く代わりに、他人の詩の一部を引用して代替するという場合もあれば、他人の詩を批評するためにその一部を引用し、それについて批評の文章を書く場合もある。前者の場合、詩の部分を取り去れば文章がつながらなくなるのは当然であり、この場合には、本文そのものの重要な部分を書く代わりに「他人の詩の一部をして語らしめた」ということができよう。後者の場合でも、その引用部分を取り去れば、批評の対象がなくなってしまい、やはり文章がつながらなくなる。しかし、こちらの方では、批評の対象を引用によって明示しているために(引用しなければ、批評の対象を示せないことも多いであろう。)、それがなくなれば、批評の対象がなくなってしまって、文章がつながらなくなってしまうにすぎないのである。そして、このような場合に、本文そのもの(批評)を書く代わりに引用された詩に「語らしめ」ているということができないことは明らかというべきである。
 控訴人主張の32のカットについて、控訴人カットを取り去った場合に文章がつながらなくなる理由は、後者の例に対応するものである。… このように、控訴人カットは、批評の対象を示すために採録されているものであって、本文そのものの重要な部分(すなわち、批評)を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているものではない。したがって、右32のカットについて、本文とカットとの主従関係は認められないとする控訴人の主張は、前提を欠くものであって、失当である。

 [両著作物のそれぞれの性質・内容について]
 控訴人は、@漫画カットには、強力なアイキャッチ力・メッセージ伝達力・顧客吸引力があり、それはすなわち、商品力・商品価値があり、一コマであっても独自に極めて大きな商品価値と情報量と訴求力を持つ、A漫画カットを「従」として「引用」するためには、そのカットを批評する文章の方には更に高度の存在価値や著作物性が認められなければならない、B被控訴人が書いた批評文は、一行であったり、抽象的で陳腐な「感想」を一言述べているだけであったりで、カットの批評とはほど遠く、到底、それ自体が「主」となり、カットを「従」として無断利用するだけの相対的価値のある文章とは言い難い、と主張する。
 しかし、文章が、商品価値や情報量において、漫画カットに劣るとしても、そのことをもって、文章が漫画カットに対して、主従関係に立てないというものではない
 (略)
 以上の点からすれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係があるということができるのである。

 [分量について]
 控訴人は、漫画カットに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないと主張する。
 しかし、漫画カットであることから、直ちにそれに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないというものではない
 また、控訴人は、カットと文章とを量的に比較するための一つの指標として、被控訴人書籍のカット採録頁中における、文章と控訴人カットとの占める面積割合を考慮すべきであるとし、これを根拠として、主従関係を判断しようとする。
 しかし、…によれば、被控訴人書籍では、控訴人カットを例証又は資料とする論説が、カット採録頁だけでなく、前後の頁にわたって書かれていることが認められるから、カット採録頁における文章と控訴人カットとの占める面積割合をもって主従関係を判断すべきものではない
 (略)
 控訴人は、被控訴人書籍では、合計90頁の間に57カット(69コマ)を複製掲載していることを指摘して、控訴人カットの引用数が多いから分量の点からみて主従関係がない旨主張する。
 しかし、控訴人は、その意見を、「意見主張漫画」として漫画という表現形式によって表現しているのである。ところが、他人の意見を批評、批判、反論しようとすれば、他人の意見を正確に指摘する必要があるから、控訴人の意見を批評、批判、反論するために、その意見を正確に指摘しようとすれば、漫画のカットを引用することにならざるを得ないのは理の当然である。そして、その批評、批判、反論が多岐・多面的にわたればそれだけ引用する漫画カットの数も増加することになるのは、やむを得ないところである。
 右事情を前提に前認定に係る被控訴人書籍における控訴人カットの分量の全体に対する比率を考慮すれば、引用されたカット数が前記の程度であるとしても、被控訴人書籍の本文とカットとの間には、十分主従関係が認められるというべきである。

 [被引用著作物の採録の方法・態様について]
 控訴人は、被控訴人書籍では、読者に対し、本文の代替としてカットに含まれるネーム(セリフ)を読ませ、カットをして語らしめたうえで、そのネームに対する被控訴人の批評・反論を加えるというやり方がとられており、カットを取り去った場合には文章がつながらないことを理由として、文章とカットとの間に主従関係がないと主張する。
 しかし、カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、文章とカットとの間に主従関係がなくなるというものではないことは前示のとおりである。
 被控訴人書籍では、控訴人書籍におけるカットよりも拡大して複製した物を掲載している箇所が7か所ある。右のように拡大複製する合理的必要性については、疑問がないではないが、そのことは、本文と控訴人カットとの間の主従関係を失わせるものではない

 [主従関係についてのまとめ]
 以上検討したところ、とりわけ、控訴人書籍が「意見主張漫画」として、漫画という表現形式によって意見を表現したものであり、被控訴人書籍は、右意見に対する批評、批判、反論を目的とするものであること、及び、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、右批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められないことを考慮すれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係が成立しているというべきである。
 
控訴人カットに独立した鑑賞性があることは認められるけれども、控訴人書籍と被控訴人書籍の右関係に照らせば、そのことによって、被控訴人論説と控訴人カットとの右主従関係が失われるということはできないのである。











相談してみる

ホームに戻る