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漢字教材の翻案性が問題となった事例
外国人児童向け漢字教材事件平成201023日東京地方裁判所(平成19()25428 

【コメント】本件は、被告らにおいて作成した「被告教材」(外国人児童向け漢字教材)等が、原告らが作成した「原告教材」に改変を加えたものであり、被告らにおいて、被告教材を作成して東京外大公式サイトに掲載した行為は、原告らが原告教材につき有する著作権(翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権)を侵害する等と主張して、被告らに対し、著作権侵害及び著作者人格権侵害の不法行為に基づく損害賠償等を求めた事案です。 

 著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(著作権法211号),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分について,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,既存の著作物の翻案に当たらないと解するのが相当である(最高裁判所平成13628日第一小法廷判決参照)。
 
このように,翻案に該当するためには,既存の著作物とこれに依拠して作成された著作物との間において同一性を有する部分が,思想又は感情の表現であり,かつ,その表現が創作的であること(著作権法211号)が必要である。
 
そこで,原告らが原告教材と被告教材及び被告教材試作品との間で類似すると指摘する各個所につき,翻案に当たるか否かを個別に検討する。
 
(略)
 
以上によれば,原告教材と被告教材又は被告教材試作品とは,いずれも,著作権法によって保護されない,表現それ自体でないアイデア又は表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎず,被告教材又は被告教材試作品を作成し,東京外大公式サイトに掲載する行為が,原告教材について原告らが有する翻案権及び同一性保持権を侵害するということはできない。

【コメント】以下、参考までに、いくつかの個別検討箇所を挙げておきます。

別表1(1)の記述と同1(2)の記述は,いずれも,各教材の目次の部分であり,両者は,@教材を構成する課の数を20としている点,A教材で学習するすべての漢字が1頁以内に収められている点,B同一の課で学習する漢字の組合せとして,「一二三四五」,「六七八九十」,「上下中」,「山川水火」,「大きい小さい貝犬」,「玉金百千円」(「玉お金百千十円」),「町車人村」及び「天気雨音」(「天気雨音」)という組合せを採用している点において同一性があると認められる。しかしながら,上記のうち,@及びAの点は,いずれも,表現それ自体ではなく,アイデアにおいて共通するにすぎないというべきである。また,上記Bの漢字の組合せは,平凡かつありふれたものであって,記述者の個性が現れているとみることはできない。別表1(2)の記述は,同1(1)の記述と,著作権法によって保護されない,表現それ自体でない部分や表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。』

別表3(1)の記述と同3(2)の記述とは,@「山」,「火」,「川」及び「水」を表す絵が含まれる1枚のイラストを使用している点,A例文中において,外国人児童にとって難読であると思われる漢字を用いずにその漢字が表す絵に置き換えている点,B上記@のイラストとAの例文とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら,上記の点は,いずれも,表現それ自体ではなく,アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表3(2)の記述は,同3(1)の記述と,表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。

別表5(1)の記述と同5(2)の記述,同20(1)の記述と同20(2)の記述とは,いずれも,@「石」及び「虫」という漢字を学習させるために石の下に虫がいる様子を表したイラストを使用している点,A「石の下に虫」という文章の表現それ自体,B上記@のイラストとAの文章とを組み合わせている点において同一性があると認められる。しかしながら,上記の点のうち,Aについては,その文章の表現自体が短文である上,平凡かつありふれたものであって,記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。また,@及びBについては,いずれも,表現それ自体ではなく,アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表5(2)及び同20(2)の各記述は,同5(1)及び同20(1)の記述と,表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。

別表6(1)の記述と同6(2)の記述,同21(1)の記述と同21(2)の記述とは,いずれも,「町」,「村」及び「人」という漢字を学習させるために村や町を表すイラスト又は写真に「ここは( )です。」との例文を付した出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら,上記の点は,表現それ自体ではなく,アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表6(2)及び同21(2)の各記述は,同6(1)及び同21(1)の記述と,表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。

別表8(1)の記述と同8(2)の記述,同23(1)の記述と同23(2)の記述とは,いずれも,「赤」,「青」及び「白」の漢字の具体例として苺,空及び牛乳を選択した出題形式を採用している点において同一性があると認められる。しかしながら,上記の点は,表現それ自体ではなく,アイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表8(2)及び同23(2)の各記述は,同8(1)及び同23(1)の記述と,表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。

別表12(1)の記述と同12(2)の記述とは,@「右」及び「左」という漢字を学習させるために視力検査の際に使用される記号(ランドルト環)を用いたイラストを使用している点,Aランドルト環を上下に並べ,その左側に視力検査を受けている児童のイラストを配置している点において同一性があると認められる。しかしながら,上記@の「右」及び「左」を表現するために視力検査で左右の方向を示すのに使用されるランドルト環を用いることはアイデアであり,このアイデアを表現する方法は極めて限られているから,ランドルト環のイラストの表現につき記述者の個性が現れたものと認めることはできず,創作性があるということはできない。また,Aの点については,ランドルト環の近くに視力検査を受けている児童のイラストを配置するというアイデアにおいて共通しているにすぎないというべきである。別表12(2)の記述は,同12(1)の記述と,表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。

別表35(1)の記述と同35(2)の記述,同45(1)の記述と同45(2)の記述とは,いずれも,「信号が赤のときは止まる」,「信号が青のときは歩く」及び「いっしょうけんめい走る」との文章の表現それ自体において同一性があると認められる。しかしながら,上記同一性を有する部分は,その文章の表現自体が短文である上,平凡かつありふれたものであり,記述者の何らかの個性が現れたものとは認められない。別表35(2)及び同45(2)の各記述は,同35(1)及び同45(1)の記述と,表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。

別表37(1)の記述と同37(2)の記述,同46(1)の記述と同46(2)の記述とは,いずれも,@「矢」という漢字を学習させるためにウィリアム・テルがりんごに向けて矢を放ち,矢がりんごに当たった旨の文章を例文として使用している点,A「刀をもっています」との文章の表現それ自体において同一性があると認められる。しかしながら,上記@の「矢」という漢字を学習させるためにウィリアム・テルが矢をりんごに当てた旨の文章を用いることはアイデアであり,このアイデアを表現する方法は制約されていて選択の余地に乏しい。別紙37(1)及び同46(1)の文章は,上記アイデアを一般的な形で表現したものにすぎず,記述者の個性が現れたものと認めることはできない。また,上記Aの点についても,その文章の表現自体が短文である上,平凡かつありふれたものであり,記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。別表37(2)及び同46(2)の各記述は,同37(1)及び同46(1)の記述と,表現上の創作性がない部分において同一性が認められるにすぎない。

別表63(1)の記述と同63(2)の記述とは,「油」という漢字を学習させるために,@目玉焼きの作り方に関する文章の表現それ自体,Aフライパンに入れるものを「油」を含む複数の漢字から選択させる出題形式を採用している点,B上記文章の横にフライパンのイラストを配置している点において同一性があると認められる。しかしながら,上記@の点については,別表63(1)の「目玉やきを作ります。フライパンに油を入れます。それからたまごを入れます。」という文章の表現それ自体は,平凡かつありふれたものであり,記述者の何らかの個性が現れたものと認めることはできない。また,上記A及びBの点については,いずれも,表現それ自体ではなく,アイデアが共通しているにすぎないというべきである。別表63(2)の記述は,同63(1)の記述と,表現上の創作性がない部分や表現それ自体でない部分において同一性が認められるにすぎない。 












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