著作権重要判例要旨[トップに戻る]







ノンフィクション作品の複製権侵害の成否(2)
「夕刊フジ連載記事『ソニー燃ゆ』事件A」
平成140919日東京高等裁判所(平成13()602/「夕刊フジ連載記事『ソニー燃ゆ』事件@」平成140130日東京高等裁判所(平成13()601 

【A事件】

 
まず,遺影や遺骨に関する控訴人著作物の前記の表現と,これに対応する被控訴人書籍の表現についてみる。
 
同一又は類似する表現としては,次のものが認められる。
・控訴人著作物で「首を少し左側にかしげ」とされているのに対し,被控訴人書籍で「首を少し左に傾げ」とされている点,
 
以下同様に,
・「左手を頬に添えて(微笑んで)」に対し,「左手を頬に添えて」という点,
・「葬送行進曲とともに,制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて,子息の亮の胸に抱かれた井深の遺骨が入場」に対し,「葬送行進曲とともに,制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導された格好で,長男・亮の胸に抱かれた井深の遺骨が入場」という点,
・「祭壇一番上に安置された」に対し,「祭壇のいちばん上に安置された」という点,
・「黒い布で覆われ,十字架をかけた遺骨を収めた箱」に対し,「骨箱は黒い布で覆われ,十字架がかけられていた」という点,
・「それを見下ろすように飾られた大きな遺影」に対し,「それを見下ろすかのように(微笑む)井深の大きな遺影」という点,である。
 
そして,控訴人は,ソニーの元従業員として,井深氏に対するとりわけ深い思い入れがあり,この思い入れや尊敬の念が,控訴人著作物,とりわけ遺影や遺骨の描写に強く反映しており,控訴人著作物中の上記の表現は,極めて独創性が強いなどと主張する。
 
しかしながら,著作権法上保護されるのは,思い入れや尊敬の念などではなく,これらの表現における創作性であることは,いうまでもないところ,控訴人著作物と被控訴人書籍は,いずれも本件葬儀という歴史的又は時事的な事実を対象とするノンフィクションの作品であることからすれば,上記の同一又は類似する表現は,遺影,遺骨の状況等に関して一般的に用いられる語句や文章による客観的記述ないしありふれた表現にとどまっており,著作権法上保護されるべき表現上の創作性を認めるには足りない
 
むしろ,原判決が適切に指摘するとおり,控訴人著作物中でも「(遺骨を収めた箱は)遺影のなかの井深自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった。」という表現は,創作性を認め得るものではあるが,被控訴人書籍には,この表現に対応する表現は存在しないのである。

【@事件】

 控訴人が控訴人著作物の独創的な表現であると主張する表現のうち、まず、遺影及び遺骨の描写について見るに、この点の控訴人書籍の表現は、…というものであるのに対し、被控訴人書籍のこれに対応すると考えられる表現は、…というものである。
 
この両者の表現を対比するに、…との各表現は、部分的には同一であるか又は類似しているということができる。
 しかし、純然たるフィクションとして創作されたものであれば格別、控訴人著作物も、被控訴人書籍も、ともに本件葬儀という共通の歴史的事実を取り上げたノンフィクションであることを踏まえて、その創作的な表現部分の同一性を考える必要があり、上記の同一又は類似する部分に係る控訴人著作物の表現は、いずれも遺影の様子及び遺骨の入場シーンの様子を比較的客観的に描写した部分であって、着眼点や具体的な表現においても、ありふれた慣用的な表現にとどまり、表現上の創作性がない部分であるといわざるを得ない。他方、控訴人著作物の上記表現中、「遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった」との部分、被控訴人書籍中の「C氏の優しい眼差しで溢れた写真である」との部分については、いずれも表現上の創作性を看取することができると解されるが、前者の表現部分に対応する部分において、被控訴人書籍の具体的な表現は全く異なるものとなっている。さらに、控訴人著作物においては、遺骨の入場シーンの描写に先立って遺影の様子を叙述しており、両者は独立した描写となっているのに対し、被控訴人書籍においては、遺骨が入場して、祭壇に安置されたとの描写に続いて、「それを見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影」との表現を通じて、すなわち、遺影の中のC氏の視線を介して、一連の流れの中で遺骨から遺影の描写へと転じているものであって、このような創作的な構成において控訴人著作物とは全く異なるものとなっている。
 
したがって、遺骨及び遺影の描写中、控訴人著作物の創作的な表現部分において、被控訴人書籍の表現がこれと同一であるとも、類似するともいうことはできない。











相談してみる

ホームに戻る