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学術論文(英文)の侵害性が問題となった事例
「‘音素’英文論文事件」平成220527日知的財産高等裁判所(平成22()10004
 

 本件事案の概要は,以下のとおりである。すなわち,
 
控訴人兼附帯被控訴人(以下「原告」という。)は,東京大学医学部教授であったが,自己の主催する研究室(東京大学大学院医学系研究科博士課程)において,音素−書記素変換及び書記素−音素変換を研究テーマとし,機能的磁気共鳴画像法(f−MRI)を用いて音読及び書き取りにおける脳の賦活部位を解析する実験を実施した。原告は,研究室に属する大学院生であった被控訴人兼附帯控訴人(以下「被告」という。)に対して,被告の博士論文の研究に必要な知識と手法を学ばせ,被告の業績を作るために,実験終了後のデータの処理と研究結果に係る論文原稿(英文)の執筆を指示した。被告は,指示を受けて,実験結果に基づく論文原稿を執筆した。原告は,被告が執筆した当初の論文原稿に添削を施したり,加筆修正を指導した。被告は,同指導に基づき,当初の論文原稿について10回を超えて修正加筆を伴う執筆を行うことにより論文を完成させた(英文論文。題名・「An fMRI study on common neural correlates of reading aloud and writing to dictation」。以下「第1論文」という。未公表)。
 その後,被告は,研究を継続し,自ら実験を実施して,研究目的,実験の前提となる仮説,実験の課題,実験により得られた結果及び結論において,第1論文とは相違する論文(別紙著作目録記載の論文,英文論文。以下「第2論文」という。)を作成した。ただし,第2論文は,機能的磁気共鳴画像法(f−MRI)を用いていること,「音素−書記素変換」に活用される神経的基盤を明らかにすることなどの点において,第1論文と共通する部分がある。そして,被告は,第2論文を,別紙通知先目録記載の通知先「Lippincott Williams & Wilkins」(以下「LWW社」という。)が発行する学術雑誌「NeuroReport」(以下「ニューロレポート誌」という。)に,発表した。
 
原告は,@第1論文が原告と被告との共同著作物であること,A第2論文を作成,発表した被告の行為等は,第1論文に係る著作権者(共有者)である原告の合意(著作権法641項,652項)に基づかずにした複製,翻案,改変及び公表に当たること,Bしたがって,被告の上記行為は,原告が第1論文について有する(共有する)著作権(複製権,翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権,公表権)を侵害すると主張して,原告が,被告に対し,著作権法117条,1121項,2項に基づく侵害の停止のための措置又は同法115条に基づく名誉又は声望の回復のための措置として,LWW社に第2論文の撤回の通知行為をするように求めるとともに,上記著作権侵害及び著作者人格権侵害の不法行為に基づく損害賠償を求めた。
 
原審は,原告の請求について,第1論文について原告の有する(共有する)複製権及び公表権を侵害したとして,損害賠償金40万円の支払を求める限度で認容し,その余の請求を棄却した。
 
これに対して,原告が控訴をし,被告が附帯控訴をした。
 
(略)
 
当裁判所は,原判決中の原告の請求を認容した部分には,誤りがあるものと解する。すなわち,当裁判所は,
 @ 「第2論文中の複製権又は翻案権を侵害したと原告が主張する部分」(以下「第2論文該当箇所」,「第2論文の当該表記部分」などという場合がある。)は,「第1論文中の複製権又は翻案権が侵害されたと原告が主張する部分」(以下「第1論文該当箇所」,「第1論文の当該表記部分」などという場合がある。)と,表現上の創作的な部分又は本質的な特徴部分において共通しないから,第2論文を作成,発表した被告の行為は,複製権又は翻案権の侵害に当たらず,また,公表権侵害にも当たらない,
 
A 第1論文が,原告と被告との共同著作物であるかについて検討するまでもなく,原告の請求は成り立たない,
 
B 原告の請求はいずれも棄却すべきである,
 
と判断する。その理由は,以下のとおりである。
 
(略)
 
原告は,「第2論文中の複製権又は翻案権を侵害したと原告が主張する部分」が,「第1論文中の複製権又は翻案権を侵害されたと原告が主張する部分」を複製又は翻案したものであると主張する。
 
当裁判所は,第1論文が,原告の共同著作物であるか否かの判断を留保した上で(そのため,原判決…は引用しない。),共同著作物であると仮定した場合に,「第2論文中の複製権又は翻案権を侵害したと原告が主張する英文記述部分」が「第1論文中の原告が複製権又は翻案権を侵害されたと主張する英文記述部分」を複製又は翻案したものであるか否かについて検討することとする。
 著作権法において,著作物とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(著作権法211号)と規定する。したがって,著作権法により保護されるためには,思想又は感情が創作的に表現されたものであることが必要である。そして,当該記述が,創作的に表現されたものであるというためには,厳密な意味で,作成者の独創性が表現として現れていることまでを要するものではないが,作成者の何らかの個性が表現として現れていることを要する
 
また,著作権法が保護する対象は,思想又は感情の創作的な表現であり,思想,感情,アイデアや事実そのものではない。したがって,原告が著作権の保護を求める「第1論文中の複製権又は翻案権が侵害されたと原告が主張する部分」が著作権法による保護の対象になるか否か,また,第2論文の該当箇所が第1論文の該当箇所を複製又は翻案したものであるか否かを判断するに当たって,上記の点を考慮すべきことになる。
 
本件においては,前記のとおり,第1論文は,「書き取りにおける音素−書記素変換」と「音読における書記素−音素変換」に共通する脳内部位を明らかにすることを目的とした研究に係る論文であるのに対して,第2論文は,「書き取りにおける音素−書記素変換」の脳内部位に焦点を当てて発展させた研究に係る論文である。第2論文は,研究の目的,課題設定及び結論を導く手法等において,第1論文とは相違する独自の論文であるが,一方で,機能的磁気共鳴画像法(f−MRI)を用いていること,「音素−書記素変換」に活用される神経的基盤を明らかにすることなどの点において,第1論文と共通する点がある。両論文を対比するに当たり,各部位の名称,従来の学術研究の紹介,実験手法や研究方法の説明など,内容の説明に係る部分は,事実やアイデアに係るものであるから,それらの内容において共通する部分があるからといって,その内容そのものの対比により,著作権法上の保護の是非を判断すべきことにはならない
 
上記観点に照らして,@「第1論文中の複製権又は翻案権が侵害されたと原告が主張する英文記述部分」(第1論文該当箇所)における表現上の創作性の有無,A「第2論文中の複製権又は翻案権を侵害したと原告が主張する英文記述部分」(第2論文該当箇所)が,対比表第1論文該当箇所を複製し,又は翻案したものであるか否か,について検討する。
 
(略)
 
1論文該当箇所の表現は,専ら,対象となる現象を正確かつ客観的に記述,伝達する観点から,ごく普通に選択されたものであると解され,また,叙述方法や配列の点で格別の特徴があるとは認められない。そのような諸点を総合すると,各英文記述部分は,著述者の個性が現れた表現とはいえず,創作性があると認めることはできない
 
以下,対比表の12ないし4について,個別的,具体的に述べる。
@ 対比表12について
 
1論文の当該表記部分は,「これら2つの変換,書記素−音素および音素−書記素変換の神経基盤については,少ししか知られていない。」という事実を述べるために,英文により,「Little is known about the neural substrate of these two conversions, grapheme-to-phoneme and phoneme-to-grapheme conversions.」と,ごく普通の構文で表記したものである。
 
これに対して,第2論文の該当表記部分は,「音素―書記素変換の神経的基盤については,少ししか知られていない。」という事実を述べるために,英文によりLittle is known about the neural substrates of the phoneme-to-grapheme conversion.」と表記したものである。
 
1論文の当該表記部分は,事実を端的に,ごく普通の構文を用いた英文で表記したものであって,全体として,個性的な表現であるということはできず創作性はなく,また表現の本質的な特徴部分も認められないから,第2論文該当箇所は,第1論文該当箇所を複製したものということはできず,また翻案ということもできない。
A 対比表13について
 
1論文の当該表記部分は,「我々の研究は,機能的磁気共鳴画像法を用いて,2つの変換の神経的基盤を明らかにすることを目指している。」という研究目的を述べるために,英文により,「Our study aims to clarify the neural substrate of the two conversions with functional magnetic resonance imaging.」と,ごく普通の構文で表記したものである。
 
これに対して,第2論文の該当表記部分は,「我々の研究は,機能的磁気共鳴画像法を使用して,書取における音素−書記素変換の神経的基盤を明らかにすることを目指している。」という研究目的を述べるために,英文により「Our study aims to clarify the neural substrates of phoneme-to-grapheme conversion in writing to dictation using functional magnetic resonance imaging.」と表記したものである。
 1論文の当該表記部分は,研究目的を端的に,ごく普通の構文を用いた英文で表記したものであって,全体として,個性的な表現であるということはできず創作性はなく,また表現の本質的な特徴部分も認められないから,第2論文該当箇所は,第1論文該当箇所を複製したものということはできず,また翻案ということもできない(なお,両論文の研究目的は,相違する。)。
 
(略)
 研究論文において,執筆者が,自己の結論を導く前提として,第1論文や第2論文よりさらに先行する既存の損傷研究結果に触れたり,先行する研究結果から抽出される一般的な科学的知見等を説明することが必要であると判断した場合に,それらに言及することは,何ら不自然でない。自己の論文の前提として,言及する対象となる先行研究成果がどのようなものであるかは,事実に関する事柄であるから,その事実を紹介する記述内容は,執筆者によって,さほど異ならないのは通常であり,また,表現の選択の幅も狭いものとなる。
 
そのような諸点を考慮した上で,別紙対比表2cないしlの第1論文該当箇所における,同第2論文該当箇所と表現が共通する部分又は似通っていると原告が主張する部分について検討する。
 
(略)
B 対比表2のe
 
1論文の該当表記部分は,「英語を刺激として用いた損傷研究は音素と書記素の間の直接の置換を研究するには困難がある。」という判断内容を述べるために,英文により,「The lesion studies which used English as stimuli have difficulty to investigate direct translation between phoneme and grapheme.」と表記したものである。
 
1論文の当該表記部分は,判断した内容を,ごく普通に表現したものであって,創作的表現であるとはいえない。
 
また,第1論文と第2論文との共通する表現部分をみると,共通する表現部分は,「lesion studies」(「損傷研究」),「phoneme and grapheme」(「音素−書記素」)という通常使用される専門用語における共通表現と評価できる。逆に,「as stimuli」(「刺激として」,第1論文)と「as the stimulus languages」(「刺激言語として」,第2論文),「translation」(「置換」,第1論文)と「linkages」(「つながり」,第2論文),「have difficulty」(「困難がある」,第1論文)と「have been limited」(「制限をうけてきた」,第2論文)など異なる表現が用いられている。
 1論文の当該表記部分は,判断の内容について,ごく普通の構文を用いた英文で表記したものであって,全体として,個性的な表現であるということはできず創作性はなく,また表現の本質的な特徴部分も認められないから,第2論文該当箇所は,第1論文該当箇所を複製したものということはできず,また翻案ということもできない。
 
(略)
 以上のとおり,第1論文の当該表記部分は,判断を含めた事実について,ごく普通の構文を用いた英文で表記したものであって,全体として,個性的な表現であるということはできず創作性はなく,また表現の本質的な特徴部分も認められないから,第2論文該当箇所は,第1論文該当箇所を複製したものということはできず,また翻案ということもできない。
 
この点について,原告は,「Discussion」には,多数の書き方が存在するから,第1論文の当該表記部分は,創作性を有すると主張する。しかし,ある内容を表現するに当たり,他の表現の選択が可能であったとしても,そのことから,当然に,当該表記部分に創作性が生じると解すべきではなく,創作性を有するとするためには,表現に個性が発揮されていることを要する。第1論文該当箇所は,いずれも,語句の選択,順序,配列を含めて格別の個性の発揮された表現であるということはできないから,原告の主張は理由がない。
 
なお,第2論文は,第1論文と対比すると,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において共通する部分が存在するが,「Results」及び「Conclusion」の各章は,記載内容において相違すること,第2論文は,第1論文の全体記述及び個々の記述を総合勘案しても,第1論文の表現の本質的特徴を感得できるものではない点については,既に述べたとおりである。











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