著作権重要判例要旨[トップに戻る]







「謝罪広告」の掲載の可否(2)
「三島由紀夫手紙事件」
平成111018日東京地方裁判所(平成10()8761/平成120523日東京高等裁判所(平成11()5631 

【コメント】本件は、原告ら(亡F(筆名G、以下「G」という。)の相続人)が、Gが書いた未公表の手紙を掲載して、書籍を発行した被告らの行為が、@原告らが相続したGの当該手紙に係る複製権を侵害する行為であり、また、AGが生存していたならばその公表権の侵害となるべき行為であると主張して、当該書籍の出版等の差止め、損害賠償の支払及び謝罪広告等を請求した事案です。 

【原審】

 
名誉回復措置について
 
前記のとおり、本件書籍を出版した被告らの行為は、「Gが生存しているとしたならばその公表権の侵害となるべき行為」(著作権法60条)に該当する行為である。ところで、@被告会社は、本件書籍を出版するに当たり、平成10314日付朝日新聞朝刊の第二面に、五段抜きの大きさで、本件書籍の広告をしたり、被告会社の発行に係る「週刊文春」の同月12日号と同月19日号に、延べ7頁にわたる特集記事を掲載したり、同月26日号の「週刊文春」に、1頁ほとんど全部を使って、全面広告を行ったりして、大々的に宣伝広告を実施したこと、A原告らは、被告らに対し、平成10314日付け内容証明郵便によって、本件書籍の出版は、著作権を侵害する旨警告し、本件書籍の出版の中止、既に発行された本件書籍の回収、損害賠償並びに朝日新聞及び週刊文春等本件書籍の広告を掲載した出版物への謝罪広告の掲載を求めたにもかかわらず、被告らは、原告らの警告に従うことなく、著作権法60条に違反する行為を継続したこと、B本件書籍は、短期間であるが、9万冊を超える部数が販売されたこと、C本件各手紙は、Gと被告Eとの間で、個人的に交わされた私的な手紙であり、その文体、内容に照らし、およそ第三者への公表を念頭に置かずに書かれたものであること、D被告らは、今日に至るまで、Gの社会的な名誉声望を回復するために適切な措置を採っていないこと等の事情を総合すると、Gの社会的な名誉声望を回復するためには、著作権法1161項、115条により、同人の名誉回復のための適当な措置として、広告文の掲載を命ずることが必要と解される
 
そして、前記認定した本件に関する一切の事情を考慮すれば、名誉回復のために必要な範囲の事実経過を広告文の内容として摘示、告知すれば足りるものと解される。したがって、別紙広告目録()二記載の内容の広告文を、同目録一記載の新聞に、同目録一記載の条件で掲載するのを相当と解する。

【控訴審】

 
[憲法21条違反の主張について]
 
控訴人らは、本訴差止請求は、同性愛者に対する差別感情に基づき、本来ならば公表を差し止める意思も必要もない手紙の著作権に名を借りたものであると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。前記の事情、特に、右差止めは、本来、控訴人らが控訴人ら自身の思想、感情を創作的に表現することを差し止めようとするものではなく、控訴人らが、控訴人ら自身の思想、感情を創作的に表現するのに役立てるためとはいえ、他人の思想、感情の創作的表現を複製、公表することを差し止めようとするものにすぎないものであることに照らせば、本訴差止請求を認めることを憲法21条に違反するものということはできない。
 
[名誉回復措置について]
 
控訴人らは、本件各手紙は、【F】(管理人注:原審の「G」)の名誉や声望を低下させるようなものを一切含んでいないから、名誉回復措置の請求はできないと主張する。
 
しかし、著作物の公表権は著作者にあるから、本件各手紙を公表することは、【F】が生前、本件各手紙を公表することを了解していたか(私信であっても、事前又は事後に著作者が公表を了解することは、十分あり得ることである。)、又は、その遺族が公表を了解した(すなわち、公表に対して、【F】が存していたとしたならその著作者人格権となるべきものの保護のための措置を採らないことを約束した)という世人の誤解を招くものということができる。そして、世人が右のように誤解すれば、これにより【F】の社会的名誉声望が低下することは明らかである。すなわち、本件各手紙は、【F】の思想又は感情を個性的に表現したものではあるものの、公表を予定しない私信であることがあずかって、少なくとも控訴人らからは、「氏の文名を貶めこそすれ、高めるに資するようなものではない」、「中学生風の言いまわし…どこの言葉か判らぬ単語…悪趣味な表現…本当に【F】氏が書いたのかと、首を傾げざるを得ないことになるのである」と評価されているものであるから、その文学的・内容的水準を右と同様に評価したうえ、このような低い水準のものについて【F】自身が公表を了解した、あるいは【F】は肉親である遺族からこのような低い水準のものでも公表を了解するであろう人物と思われているからこそ遺族が公表を了解したのであろうなどと誤解して、【F】の文学性や品性に対する評価を下げる者が出ることは、避けられないところであるからである。
 
控訴人らは、原判決別紙広告目録()の広告文について、@「私どもがご遺族に無断で公表、出版したものであります」という部分は、遺族らには公表につき承諾を与える権原がないから、法の論理に反する、A「これにより、大変ご迷惑をおかけしました」という部分は、誰に迷惑をかけたのかが曖昧であり、著作権法115条による「適当な措置」を要求し得ない遺族に対して迷惑をかけたと詫びさせるのは道理に合わないし、故人に対して詫びさせるのもおかしいと主張する。
 
しかし、著作権法は、著作権者の遺族は、故意又は過失により、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をした者に対し、同法115条の適当な措置を請求できることとしており(同法1161項、60条)、その意味で、遺族が、著作権者の死後において著作者の人格的利益を保護する権利を有することを認めているのであるから、その権利者である遺族に「無断で公表、出版した」ものであることをも明らかにすることが、【F】の名誉声望を回復するために適当な措置の一つとなることは、明らかというべきである。このことは、前記において説示したとおり、本件各手紙の公表について、遺族が了解したと誤解されるおそれがあることからも明らかである。控訴人らが、遺族が同法115条の適当な措置を請求できないことを前提として右主張をするものとすれば、それは失当である。
 
また、「これにより、大変ご迷惑をおかけしました。」との部分は、控訴人らが、本件書籍の出版により、【F】又はその遺族が本件各手紙の公表に了解を与えたものと、広告文の読者に誤解を与えたことを、読者にとっての迷惑ととらえ、これについて謝罪したものと優に理解することができ、新聞掲載の広告文の一部であることを前提にすれば、これが最も自然な理解というべきである。この点についての控訴人らの主張も採用できない。
 
以上のように解して原判決主文第四項のとおり広告の掲載を命じたとしても、憲法に違反するものではない。
 控訴人らは、原判決が、広告文の掲載を命じることを必要とするものとした事情@ないしDについて、名誉声望とは何の関係もない事項であると主張する。
 
しかし、右@ないしDが、【F】の名誉回復のための適当な措置として、広告文の掲載を命じるか否かの判断に当たって重要な要素であることは明らかである。例えば、@及びBは、本件各手紙が多数の者に公表されたために名誉声望の低下が大きいことを裏付ける事実、Aは、本件各手紙の公表権侵害について、「被控訴人らが【F】の人格的利益を低く見て事実上保護していなかったためであり、被控訴人ら(ひいては【F】)の自業自得である」というような事情がないことを示す事実、Cは、将来の公表の可能性を念頭に置いていた場合(例えば、著名作家への手紙については、将来往復書簡集として刊行される可能性を考える場合もある。)には、表現にも注意することは当然であるから、それでもなお本件各手紙の程度のものを書いたとすれば、多少の文名の低下はやむを得ないというべき場合もあり得るが、本件はそのような場合ではないことを示す事実、Dは、控訴人らが既に【F】の社会的な名誉声望を回復するための適切な措置を採っていれば、その内容によっては、広告文が必要なくなったり、あるいは、掲載場所や大きさが小さくてすんだりする場合もあるが、本件はそのような場合ではないことを示す事実であり、これらの事情を考慮することは当然である。
 
控訴人らの主張は、採用することができない。











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