著作権重要判例要旨[トップに戻る]







「編曲」の意義
「『どこまでも行こう』・『記念樹』/作曲家事件」平成120218日東京地方裁判所(平成10()17119等)/平成140906日東京高等裁判所(平成12()1516 

【コメント】本件(原審)は、「どこまでも行こう」の作曲者である原告【A】及び同曲の著作権者である原告金井音楽出版が、「記念樹」の作曲者である被告に対し、「記念樹」は「どこまでも行こう」を複製したものであると主張して、原告【A】において氏名表示権及び同一性保持権侵害による損害賠償を求め、原告金井音楽出版において複製権侵害による損害賠償を求め、他方、被告は、原告【A】に対し、「記念樹」は「どこまでも行こう」とは別個の楽曲であると主張して、「記念樹」について著作者人格権を有することの確認を求めた(反訴事件)事案です。

 
一方、控訴審は、別紙楽譜の歌曲(以下、歌詞付きの楽曲として「歌曲」の用語を用いる。)「どこまでも行こう」に係る楽曲(「甲曲」)の作曲者である控訴人A及びその著作権者である控訴人金井音楽出版が、別紙楽譜の歌曲「記念樹」に係る楽曲(「乙曲」)の作曲者である被控訴人に対し、乙曲は甲曲を編曲したものであると主張して、控訴人Aおいて著作者人格権(同一性保持権及び氏名表示権)侵害による損害賠償を、控訴人金井音楽出版において著作権(編曲権)侵害による損害賠償をそれぞれ求め、他方、被控訴人が、控訴人Aに対し、反訴請求として、乙曲についての著作者人格権を有することの確認を求めた事案です。

 
なお、控訴人らは、原審においては、複製権侵害の主張をしましたが、控訴人らの本訴請求をいずれも棄却し被控訴人の反訴請求を認容した原判決に対して控訴するとともに、編曲権(控訴人らは準備書面等において「翻案権」との用語を用いていましたが、甲曲及び乙曲は楽曲に係る音楽の著作物であるところ、著作権法が、2111号において、楽曲にのみ特有の「編曲」を「翻訳」、「変形」及び「翻案」と並んで二次的著作物の創作態様として規定した上、27条において、「編曲権」を「翻案権」等とともに著作者の排他的な権利の一つとして規定していることにかんがみ、控訴人らのいう「翻案権」は「編曲権」の趣旨にほかならないものと解されるので、以下、この表記による。)侵害の主張を追加し、複製権侵害の主張を撤回しました。 


【原審】

 [両曲の特徴・性質と両曲の同一性を判断するに当たって考慮すべき要素]
 
…を総合すると、甲曲(管理人注:「どこまでも行こう」のこと)はいわゆるコマーシャルソングであり、乙曲(管理人注:「記念樹」のこと)は唱歌的なポピュラーソングであって、両曲とも、比較的短くかつ分かり易いメロディーによって構成されているものと認められるから、両曲の対比において、第一に考慮すべきものは、メロディーであると認められる。
 
しかしながら、…によると、音楽は、メロディーのみで構成されているものではなく、和声、拍子、リズム、テンポといった他の要素によっても構成されているものと認められ、…を総合すると、両曲とも、これらの他の要素を備えているものと認められる。
 
そうすると、両曲の同一性を判断するに当たっては、メロディーの同一性を第一に考慮すべきであるが、他の要素についても、必要に応じて考慮すべきであるということができる。
 
[甲曲・乙曲の各要素の対比]
 
別紙楽譜一及び同二に基づいて、両曲の各要素を対比する。
 
(メロディーについて)
() メロディーの同一性の判断方法
 
本件のように、ある楽曲全体が別の楽曲全体の複製であるかどうかを判断するに当たって、メロディーの同一性は、一定のまとまりを持った音列(フレーズ)を単位として対比した上で、それらの対比を総合して判断すべきである。
() 両曲を構成するフレーズ
 
(略)
() 両曲の各フレーズの対比
 
(略)
() 両曲のメロディーの同一性
 
以上のとおり、甲曲と乙曲をフレーズごとに対比してみると、一部に相当程度類似するフレーズが存在することは認められるが、右のフレーズを含めて各フレーズごとの同一性が認められるとはいえないから、それらのフレーズによって構成されている乙曲のメロディーと甲曲のメロディーの間に全体としての同一性を認めることはできない。
 
(和声について)
 
(略)
 
(拍子について)
 
(略)
 
[両曲の同一性]
 右のとおり、両曲は、対比する上で最も重要な要素であるメロディーにおいて、同一性が認められるものではなく、和声については、基本的な枠組みを同じくするとはいえるものの、具体的な個々の和声は異なっており、拍子についても異なっている。
 
そうすると、その余の点について判断するまでもなく、乙曲が甲曲と同一性があるとは認められないから、乙曲が甲曲を複製したものということはできない。

【控訴審】

 
[表現上の本質的な特徴の同一性について]
◆総論
(1) 「編曲」の意義
 
歌曲「どこまでも行こう」は、控訴人Aの作詞に係る歌詞と同人の作曲に係る楽曲(甲曲)との、いわゆる結合著作物と解されるところ、本件では、後者すなわち歌詞を除く楽曲としての音楽の著作物に係る著作権(編曲権)の侵害が問題となっている。著作権法は、楽曲の「編曲」(同法2111号、27条)について、特に定義を設けていないが(文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約2(3)12条も同じ。)、同法上の位置付けを共通にする言語の著作物の「翻案」が、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう(最高裁平成13628日第一小法廷判決)のに準じて、「編曲」とは、既存の著作物である楽曲(以下「原曲」という。)に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が原曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物である楽曲を創作する行為をいうものと解するのが相当である。
 
なお、社団法人日本音楽著作権協会の編曲審査委員会の審査基準は、音譜を単に数字や符号などに書き変えたもの、原曲の調を単に他の調に移調したもの等を編曲著作物として取り扱わないと定めているが、これは主として編曲に至らない程度の改変と編曲との区別に着目した基準と解されるものであって、原曲と、その改変の程度が大きくなり、別個独立の楽曲の創作としてもはや編曲とはいえなくなるようなものとの区別に関して参考にすることはできない。
 
ところで、一般用語ないし音楽用語としての「編曲」(アレンジメント)については、例えば、代表的な国語辞書では、「ある楽曲を他の楽器用に編みかえたり、他の演奏形式に適するように改編したりすること」(株式会社岩波書店発行の「広辞苑第5版」)、「ある楽曲をその曲本来の編成から他の演奏形態に適するように書き改めること」(株式会社三省堂発行の「大辞林」)などとされ、平成11228日株式会社音楽之友社発行の「新訂 標準音楽辞典」においては、「(1)(2)…」とされているが、上記(1)の例として挙げられている「大規模な編成を小編成に改める場合」などは、著作権法上はむしろ「複製」の範ちゅうと解されるものであり、結局、一般用語ないし音楽用語としての「編曲」が著作権法上の「編曲」と必ずしも一致するものとはいえない。また、当審証人Iによれば、音楽業界で一般に「編曲」という場合には、上記(2)の趣旨、すなわち、旋律と和声の構造の確定した楽曲について、その構造を変更することなく、バックのオーケストラのスコアを制作することを指すものと認められるが、著作権法上の「編曲」がこのような態様のものに限定されるものでないことは当然である。
 
そこで、一般用語ないし音楽用語としての「編曲」と著作権法上の「編曲」とでは、概念が必ずしも一致しないことを前提に、以下では、上記に示した著作権法上の解釈に従って、まず、乙曲が甲曲の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているかどうかについて検討する。
(2) 楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性の判断基準
 
音楽の著作物としての楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性の判断に当たって、控訴人らは、専ら旋律に着目すべきことを主張するのに対し、被控訴人は、旋律と和声は一体不離の関係にあると主張するとともに、旋律、和声、リズム、テンポ、形式等は音楽の著作物の本質的な特徴であるからその総合的な判断が行われるべきであると主張する。
 
この点に関して、Jの意見書は、単旋律だけで表現される楽曲や打楽器のリズムだけで表現される曲もあるとの留保付きながら、大多数の曲は「旋律・和声・リズム・テンポ・形式が一体となって表現されたもの」であるとし、Kの意見書は、上記同様の留保付きながら、ほとんどの音楽は「リズム、メロディー、ハーモニー、形式等の一体化したもの」であるとし、いずれの意見書においても、楽曲の比較の上では、これらの諸要素が聴く者の情緒に一体的に作用することを踏まえて全体的に判断されるべき旨が述べられている。
 
確かに、一般に、楽曲の要素として、旋律(メロディー)、リズム及び和声(ハーモニー)をもって3要素といわれることがあり、また、場合によってはこれに形式等の要素を付け加えて、これら全体が楽曲に欠くことのできない重要な要素とされていることは、当審証人Lや控訴人A自身の著書によっても認められるところである。
 
そして、一般に、楽曲の本質的な要素が上記のような多様なものを含み、また、それら諸要素が聴く者の情緒に一体的に作用するのであるから、それぞれの楽曲ごとに表現上の本質的な特徴を基礎付ける要素は当然異なるはずである。そうすると、具体的な事案を離れて「表現上の本質的な特徴の同一性」を論ずることは相当でないというべきであり、原曲とされる楽曲において表現上の本質的な特徴がいかなる側面に見いだし得るかをまず検討した上、その表現上の本質的な特徴を基礎付ける主要な要素に重点を置きつつ、双方当事者の主張する要素に着目して判断するほかはない
 
もっとも、単旋律だけで表現される楽曲もあることは、上記J意見書及びK意見書の指摘するところであって、旋律は、例えば浪曲のように単独でも音楽の著作物(楽曲)として成立し得るものである上、旋律自体を改変することなく、これに単に和声を付するだけで、旋律のみから成る原著作物の表現上の本質的な特徴の同一性が失われることは通常考え難いところである。これに対し、和声は、旋律を離れて、それ単独で「楽曲」として一般に認識されているとは解されず、旋律と比較して、著作物性を基礎付ける要素としての独自性が相対的に乏しいことは否定することができない。そして、このことは、打楽器のみによる音楽のような特殊な例を除いて、リズムや形式についても妥当するものと解される。そうすると、楽曲の本質的な特徴を基礎付ける要素は多様なものであって、その同一性の判断手法を一律に論ずることができないことは前示のとおりであるにせよ、少なくとも旋律を有する通常の楽曲に関する限り、著作権法上の「編曲」の成否の判断において、相対的に重視されるべき要素として主要な地位を占めるのは、旋律であると解するのが相当である。ちなみに、ドイツ著作権法(1965年)は、第1章「著作権」第4節「著作権の内容」第3款「使用権」中の23条「翻案物及び変形物」において、「著作物の翻案物その他変形物は、翻案又は変形された著作物の著作者の同意を得た場合に限り、公表し、又は使用することができる」と規定した上、24条「自由利用」において、「独立の著作物で、他人の著作物の自由利用によって作成されたものは、利用された著作物の著作者の同意を得ることなく、公表し、使用することができる」(1項)、「第1項は、音楽の著作物の利用で、ある旋律が明らかにその著作物から借用され、それが新たな著作物の基礎となっているときは、適用しない」(2項)と規定している(社団法人著作権情報センター発行「外国著作権法令集(16)−ドイツ編−」の訳による。)。このように、ドイツ著作権法242項が、旧ドイツ文学音楽著作権法(1901年)132項の規定を踏襲して、旋律が原著作物に依拠してこれを感得させることができる新たな音楽の著作物の利用については原著作物の著作者の同意を得ることを要する旨特に規定し、旋律を厳格に保護する法理を明文で定めていることは、立法例の相違を超えて顧慮すべきものを含む
 
被控訴人において、旋律と和声は一体不離であると主張する趣旨が、およそ判断の一過程であっても、旋律だけを取り上げて検討すること自体の不当性をいうものであるとすれば、上記のような旋律の独自性を否定するに帰する議論であって、これを採用することはできない。

◆本件における考慮要素
(1) 甲曲の表現上の本質的な特徴について
 
本件において、甲曲と乙曲の表現上の本質的な特徴の同一性を判断する前提としてまず検討されるべきは、甲曲の表現上の本質的な特徴がいかなる側面に見いだされるかである。すなわち、甲曲が備える表現形式であっても、表現上の創作性がない部分において乙曲と同一性を有するとしても、そのことから表現上の本質的な特徴の同一性を基礎付けることはできないからである(前掲最高裁平成13628日第一小法廷判決参照)。
 
このような観点から甲曲を見るに、甲曲は、控訴人A自身の作詞による歌詞を付され、Cの歌唱に係るテレビコマーシャルソングとして公表された楽曲であることからも明らかなように、旋律に沿って歌唱されることを想定した歌曲を構成する楽曲であり、そのような性格上、おのずと旋律に着目されやすいものということができる。しかも、甲曲は、歌曲の中でも、オペラ等のように大規模な楽器編成を想定するものではなく、基本的には、簡素で親しみやすい旋律中心のサウンドを想定した楽曲であると考えられるものである。すなわち、甲曲は、2分の2拍子で全16小節を1コーラスとする、軽音楽の中でも比較的短い楽曲であり、その構成も、フレーズA〜Dの全4フレーズ中、フレーズAとフレーズDはほぼ同一の旋律の繰り返しであるから、A−BC−Aと定式化することができる簡素な形式が採用されているものであるし、和声も、基本3和音によるいわゆる3コードで進行する常とう的といってよい和声が付けられているにとどまるものである。そうすると、甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、和声や形式といった要素よりは、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあると解するのが相当であり、このことは、Iの意見書において、控訴人Aの作風として指摘されているところにも沿うものである。
 
この点に関して、被控訴人は、アメリカの判例法にいう「trite(ありふれた、陳腐な)」の概念を引用した上、甲曲の旋律は慣用的な音型の連続であって、そのような慣用的な音型に創作性は認められない旨主張する。
 
確かに、I意見書、Nの意見書等にも指摘されているとおり、甲曲の旋律を部分的、断片的に取り上げる限り、@フレーズA、Dの「ドレミーードシードレドーーーーー」は、「ミルク色だよ」(中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ歌唱)とその原曲とされる「ケアレスラブ」(米スタンダード曲)の「ドレミーードシーレードーーーーー」や、「涙くんさよなら」(浜口庫之助作曲)の「ドレミーードシーレードーーーーー」と類似するほか、冒頭が「ドレミ」で始まる曲は、「テネシー・ワルツ」(P・E・キング作曲)、「ドレミの唄」(R・ロジャース作曲)、「カントリー・ロード」(B・タンホフ外作曲)等に、続く「ドシードレド」の部分も、「時計」(R・キャントラル作曲)等にも見られること、AフレーズBの「ドドファーーファファファソラソーーーーー」は、「モーツァルトの子守歌」の「ドファファファソラソーーー」と類似すること、BフレーズCの「ソソラーーソファーソラソーーミドー」の前半部分は、「ステンカラージン」(ロシア民謡)の「ラーーソファラソー」、「アンジェリータ」(マルセロ・ミネロビ作曲)の「ラーラソファーソラ」等に類似するほか、後半部分に類似する「ソーミレドー」の旋律が、「風に吹かれて」(ボブ・ディラン作曲)、「明日に架ける橋」(P・サイモン作曲)等に見られることが認められ、このような部分的、断片的な旋律として見る限り、甲曲は慣用的な音型で成り立っているということもできないではない。
 
しかし、上記のような同一ないし類似する旋律のまとまりとして挙げられるのは、せいぜい1フレーズ(2分の2拍子で4小節、4分の4拍子で2小節)までの長さのものであって、4フレーズを1コーラスとする甲曲を全体として見た場合に、その全体の旋律が慣用的に用いられていたことを示すものとはいえない
 
仮に、本件において、乙曲の旋律との同一性ないし類似性が問題とされているのが、このような1フレーズ程度の旋律部分に係るものであるとすれば、創作的な表現とはいえない慣用的な音型の一致又は類似にすぎず、表現上の本質的な特徴の同一性を基礎付けないということもあり得ようが、本件で控訴人らが問題としているのは、甲曲の旋律全体と乙曲の旋律全体の類似性にあるのであり、このような4フレーズの旋律全体の構成として考えた場合、甲曲特有の創作的な表現が含まれていることは明らかというべきである。
 
(略)
 以上の趣旨は、M証言及びM意見書にも示されているとおりである。すなわち、M証言及び上記M意見書は、甲曲のフレーズA〜Dが、順に起承転結を構成するとした上、乙曲との対比においては、2小節程度の旋律の類似性という部分的な問題ではなく、このような旋律全体の起承転結の組立ての同一性こそが最も重要な問題であると的確に指摘している。
 
したがって、甲曲と乙曲の表現上の本質的な特徴の同一性を検討する上で、まず考慮されるべき甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあるというべきであり、しかも、旋律を検討するに際しても、1フレーズ程度の音型を部分的、断片的に取り上げるのではなく、フレーズA〜Dから成る起承転結の組立てというその全体的な構成にこそ主眼が置かれるべきである。
(2) 本件における旋律以外の要素の位置付け
 
一般に、旋律を有する通常の楽曲において、編曲の成否の判断要素の主要な地位を占めるのは旋律であると解されること、これを甲曲の楽曲としての本質的な特徴という観点から具体的に見ても、その表現上の本質的な特徴が、主として旋律の全体的な構成にあることは上記のとおりであるが、甲曲は和声等を含む総合的な要素から成り立つ楽曲であるから、最終的には、これらの要素を含めた総合的な判断が必要となるというべきである。
 
本件においては、控訴人らにおいて、甲曲と乙曲の表現上の本質的な特徴の同一性を基礎付ける具体的な事実として、旋律に着目した主張立証をし、被控訴人において、その同一性を否定すべき事情として、旋律自体に着目した同一性を争うととともに、和声、リズム、テンポ、形式等の要素に係る主張立証をしているので、以下、13で控訴人らの主張に係る旋律の要素を独立してまず取り上げて検討した上、被控訴人の主張する和声等の要素は、下記145でその減殺事由として考慮することとする。
 13 旋律の対比
(1) 両曲の旋律の対応関係
 
(略)
(2) 数量的分析
 
まず、ごく形式的、機械的な対比手法として、別紙に基づいて、甲曲と乙曲の対応する音の高さの一致する程度を数量的に見ると、…が、それぞれ音の高さで一致する。そうすると、乙曲の全128音中92音(約72%)は、これに対応する甲曲の旋律と同じ高さの音が使われていることが理解される。
 
(略)
 
もとより、楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性が、このような抽象化された数値のみによって計り得るものではないことはいうまでもないが、上記のような形式的、機械的な対比手法によって得られた数字が示す甲曲と乙曲との旋律の音の高さの一致の程度は、旋律の類似例として本件の主張立証中に数多く現れている他のいかなるものと比較しても、格段に高く、むしろ、原曲とその編曲に係るものとして公表されている楽曲と同程度であるということは、看過することのできない一つの事情と解される
(3) 起承転結の構成の類似性
 
(略)
 
上記のように各フレーズの最初の3音以上と末尾の音が全く同一であるということは、単に断片的な一部の音型が一致することを意味するにとどまらず、あるフレーズから次のフレーズに移る楽曲としての組立て自体の看過し得ない類似性を基礎付けるものといわなければならない。すなわち、甲曲と乙曲の旋律は、数量的に見て約72%が音の高さで一致しているにとどまらず、楽曲の旋律全体としての組立ての上で重要な役割を担っている起承転結の連結部及び強拍部が、全フレーズにわたって、基本的に一致しており、その結果、乙曲の[a−b−c−a′]−[a−b−c−a]の構成は、甲曲のフレーズA〜Dから成るA−BCAという起承転結の構成を2回繰り返し、反復二部形式に変更したにとどまるといっても過言ではないほど、両者の構成は酷似しているといわざるを得ない。そして、以上の諸要素が相まって、両曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴の同一性が強く基礎付けられるというべきである。
 
(略)
(4) 両曲の旋律の相違部分について
 (略)
(5) 旋律全体としての考察
 
(略)
 
以上の認定判断を総合すると、旋律に着目した全体的な検討としては、両曲は表現上の本質的な特徴の同一性を有するものと解するのが相当である。
 
14 和声について
 
(略)
 
そこで、乙曲が上記のような新たな和声表現を備えるものであることから、旋律に着目した場合の両曲の表現上の本質的な特徴の共通性を減殺し、ひいてその同一性を損なうこととなるかどうかという観点から更に検討するに、甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあることは前示のとおりであり、他方、乙曲も、大衆的な唱歌に用いられる楽曲としての基本的な性格は甲曲と同じであり、乙曲に接する一般人の受け止め方として、歌唱される旋律が主、伴奏される和声は従という位置付けとなることは否定し難い。これらの点を踏まえると、和声の相違が両曲の曲想に前述したような差異をもたらしているとはいえ、その差異も決定的なものとはいい難く、旋律に着目した場合の両曲の表現上の本質的な特徴の共通性を上回り、その同一性を損なうものということはできない
 
(略)
 15 その他の要素について
 
(略)
 
まとめ
 
以上のとおり、乙曲は、その一部に甲曲にはない新たな創作的な表現を含むものではあるが、旋律の相当部分は実質的に同一といい得るものである上、旋律全体の組立てに係る構成においても酷似しており、旋律の相違部分や和声その他の諸要素を総合的に検討しても、甲曲の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものであって、乙曲に接する者が甲曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものというべきである。

 
[依拠性について]
 
(略)
 
以上の認定判断を総合するに、甲曲は、昭和40年代から乙曲の作曲された当時(平成4年)にかけての時代を我が国で生活した大多数の者によく知られた著名な楽曲であって、甲曲と乙曲の旋律の間には乙曲が甲曲に依拠したと考えるほか合理的な説明ができないほどの上記のような顕著な類似性があるほか、被控訴人が乙曲の作曲以前に甲曲に接したであろう可能性が極めて高いことを示す客観的事情があり、これを否定すべき事情として被控訴人の主張するところはいずれも理由がなく、他に的確な反証もないことを併せ考えると、乙曲は、甲曲に依拠して作曲されたものと推認するのが相当である。この認定に反する被控訴人の当審における本人尋問の結果及び陳述書の記載は、採用することができない。

 
[本訴請求に係る侵害論のまとめ]
 
乙曲は、既存の楽曲である甲曲に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより創作されたものであり、これに接する者が甲曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものというべきである。そうすると、被控訴人が乙曲を作曲した行為は、甲曲を原曲とする著作権法上の編曲にほかならず、その編曲権を有する控訴人金井音楽出版の許諾のないことが明らかな本件においては、被控訴人の上記行為は、同控訴人の編曲権を侵害するものである。
 
また、被控訴人が控訴人Aの意に反して甲曲を改変した乙曲を作曲した行為は、同控訴人の同一性保持権を侵害するものであり、さらに、同控訴人が甲曲の公衆への提供又は提示に際しその実名を著作者名として表示していることは前示のとおりであるところ、被控訴人は、乙曲を甲曲の二次的著作物でない自らの創作に係る作品として公表することにより、同控訴人の実名を原著作物の著作者名として表示することなく、これを公衆に提供又は提示させているものであるから(乙曲について同控訴人の実名を原著作物の著作者名として表示することなく公衆への提供又は提示がされていることは当事者間に争いがない。)、この被控訴人の行為は、同控訴人の氏名表示権を侵害するものである。
 
そして、上記著作権及び著作者人格権の侵害について、被控訴人に故意又は過失のあったことは、これまでの認定事実に照らして明らかというべきであるから、被控訴人は、控訴人らに対する損害賠償義務を免れない。











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