著作権重要判例要旨[トップに戻る]







著作者の認定
「『チユーリツプ』・『コヒノボリ』作詞者認定事件」平成10816日東京地方裁判所(昭和58()12198/平成50316日東京高等裁判所(平成1()2844 

【コメント】本件を見ると、「真の著作者」を認定することが、時としていかに困難な作業(立証を含めて)を伴うかがよくわかります。

 
なお、本件が提起された背景には、概ね次のような事情(認定事実)がありました。

 
「訴外協会」は、昭和5111日発行の機関誌「教育音楽」誌上において、チユウリツプ、コヒノボリ、てふてふ、おうま、たんぽぽ、かみなりさま等の「本件歌詞」の題目を含む31の題目について、幼稚園唱歌の歌詞を募集しました。そして、この募集に対しては、30篇余りが公募によって集まりましたが、10篇位が足りなかったため、これを専門家に依頼することとなり、訴外協会の【P5】が原告の父【P6】(以下の控訴審では【P15】と表記)に対してこれを依頼し、【P6】は、娘である原告にその作詞を命じ、原告は、本件歌詞を含む10篇位の歌詞を作詞して、訴外協会にこれを託し、少なくとも本件歌詞6篇は、訴外協会において採用され、「エホンシヤウカ」ハルノマキ、ナツノマキにおいて、無名著作物として公表されました。原告は、昭和6年に本件歌詞を作詞してから、昭和45年あるいは同58年ころに至るまで、本件歌詞について著作権を行使する旨の特段の主張をしたことはありませんでしたが、P14】(以下の控訴審では【P9】と表記)らがこれまで無名とされてきたチユーリツプ及びコヒノボリの作詞者を【P14】等と主張し始めたため、本訴の提起に至った、ということです。 


【原審】

 
右に認定したところによれば、チユーリツプ及びコヒノボリの作詞者が【P14】であると認めることは到底困難であり、そして、本件歌詞の作詞者が原告であるか否かの点については、訴外協会の幼稚園唱歌募集の経緯、原告の父【P6】と訴外協会の理事【P5】との密接な関係、原告、原告の父母及び原告の夫の経歴と原告の家庭環境並びに本件歌詞の作成経緯についての原告本人尋問の結果及び原告作成の報告書等における原告の供述の信憑性など前認定の事実を総合すれば、本件歌詞は、原告主張の経緯で作詞されたものであつて、その著作者は原告であると認めるのが相当である。なお、被告【P1】ら4名は、原告は、作詞について専門的な教育を受けたことはなく、それまで作詞の経験も全くないのに、短期間に本件歌詞を作詞し、しかも、それが音楽教育の専門家の集団である訴外協会に選ばれ、その後は現在にいたるまで一曲も作詞していないというのは、不自然であると主張するが、前認定判断によれば、原告の家庭環境は、本件歌詞の作詞をするのにふさわしいものであつたし、また、原告は、殊に父の仕事を秘書として手伝うことにより、作詞についての訓練も受けていたものであり、また、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件歌詞を作詞した後、子供が生まれ、その養育のために忙しく、作詞の仕事は継続しなかつたものの、現在でも日本文芸家協会の準会員であり、短歌又は俳句の創作活動を継続していることが認められ、右認定の事実によれば、被告【P1】ら4名が主張するような不自然さも特に感じられず、したがつて、被告らの右主張は採用することができない。また、被告【P1】ら4名は、原告は、訴外協会との関係も深く、その親密なつながりの中で、本件歌詞の作詞を依頼された旨主張するが、そうだとすれば、何故原告が作詞をしたとの事実が埋れてしまつたのかという疑問が残ると主張するが、…によれば、当時一般から公募された歌詞は、すべて無名著作物として公表されたことが認められるのであるから、原告が作詞したものについても、これを一般公募の歌詞と同様に無名著作物として取り扱うことにし、そのため原告が本件歌詞の作詞者であることが公表されず、一般には知られないまま長年月が経過したとしても、何ら異とするに足りず、したがつて、被告【P1】ら4名の右主張は、採用の限りでない。…
 
(略)
 
[原告の著作者人格権の確認請求について]
 
原告が本件歌詞を著作し、本件歌詞について著作者人格権を有するか否かについて、被告らが争つていることは、本件における被告らの主張から明らかであるところ、原告が本件歌詞を著作したことは、前の判断のとおりであるから、原告は、本件歌詞について著作者人格権を有するものであり、したがつて、原告の被告らに対する本件歌詞について著作者人格権を有することの確認を求める請求は、理由がある。

【控訴審】

 
そこで、以上の経緯を踏まえて、本件歌詞の作詞者は被控訴人であるとする主張について検討する。
 
まず、被控訴人が本件歌詞の作詞者であることを推認せしめる間接事実のうち、本件歌詞が作成された当時の諸事情から検討することとする。
 
(略)
 
以上の@ないしCの各事実によれば、被控訴人の父親である【P15P17とは、訴外協会が前記各唱歌集の編纂に着手する以前から、家庭的な付合いの面において親密な関係にあったというに止まらず、作詞家と作曲家という面においても極めて密接な関係にあったということができるばかりか、訴外協会が編纂した前記の唱歌集の中の新高等小学唱歌の歌詞の作成に当たっても極めて重要な役割を果たしたものということができる。また、被控訴人の夫であるP48は、前記に認定の訴外協会の唱歌研究部委員会等との関係は明らかではないが、訴外協会主催の講習会における前記講演内容からみて、訴外協会編纂の新幼稚園唱歌及び新尋常小学唱歌の歌詞選定作業に相当深く関与していたものと推認することができる。そして、新幼稚園唱歌集の歌詞選定に当たり、予定歌詞40題目に対し、10題目については応募歌詞中に適当なものがないため、専門家に作成を委嘱したこと、及び、P17が右唱歌集の編纂の中心的役割を果たしていたことは前記に認定したとおりであるところ、かかる事実に、P17と【P15】及びP48との前記の関係を考慮すると、前記の歌詞委嘱に当たり、右P17が【P15】に歌詞作成を依頼し、あるいはその作成について、【P15】あるいはP48に相談する事態は充分にあり得ることであるというべきである。
 
…によれば、被控訴人は、明治40321日、【P15】及びP47の長女として出生し、大正153月、東京府立第三高等女学校を、同153月、同校高等科(国文学専攻)をそれぞれ卒業した後、父【P15】の仕事を手伝う傍ら短歌の勉強をするなどしてすごし、昭和643日、P48と結婚した事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。
 
ところで、被控訴人が本件歌詞を作詞したとする事情について、前掲…において述べるところの要点は、以下のとおりであることが認められる。すなわち、@昭和68月頃から同年9月頃にかけての間に、訴外協会から父親に対し本件歌詞を含む10題目程度について作詞の依頼があり、父親から右題目の幼稚園唱歌の作詞を勧められ、一箇月位の間に本件歌詞を作詞した、A「チユーリツプ」の歌詞(一番)については、いわゆるサクラ読本冒頭の「サイタ サイタ サクラガ サイタ」を参考に作詞した(もっとも、被控訴人は、昭和6年当時、サクラ読本が刊行されていなかったことを指摘された後、父の書斎にあったサクラ読本の資料をもとに作詞したとその供述を変更した。)、B「テフテフ」は、当時よく歌っていた「落花散る花」を下敷きに作詞した、C「オウマ」は、子供時代に隣家の陸軍官舎にいた馬と馬車屋の馬を対比して作詞した、D「タンポポ」は、子供時代の千駄ヶ谷の野原一面に咲いていたタンポポの花を思い浮かべて作詞した、E「コヒノボリ」は、自宅から眺望できる鯉幟の情景を見て、かっては大きいマゴイとヒゴイだけであったが、小さいマゴイがついたのが印象的であり、可愛らしく感じて作詞した。また、F「コヒノボリ」の原案は「アオゾラ タカク」、「オオキイ マゴイ」、「チイサイ ヒゴイ」であったが、編集会議で「ヤネヨリ タカイ」、「オオキイ コイ」、「チイサイ コイ」と変更されたが、後二者については変更に同意せず、原案のままとなった経緯があること、(なお、右歌詞の変更の点は、昭和5854日のフジテレビからの取材に対して明らかにしたものであるとする。)、G作成した歌詞は訴外協会の担当者であるP8に渡した、H訴外協会から、作詞の謝礼として、昭和6年暮にP49夫人と書かれた袋に入れて金200円を受領した(もっとも、この中には夫に対する講師謝金も含まれているかも知れないとする。)、などである。
 
そこで、これらの点について以下、検討する。まず、前記Aからみるに、…によれば、「サイタ サイタ サクラガ サイタ」で始まるいわゆるサクラ読本と呼ばれた「小学校国語読本」巻一は、昭和8131日に発行されたことが認められ、この事実によれば、被控訴人がこのサクラ読本を参考にして「チユーリツプ」の作詞を昭和6年に行うことは不可能というほかない。そこで、進んで父の書斎にあったサクラ読本の資料を参考にしたとする点についてみるに、…によれば、サクラ読本編集の実務上の中心者は当時文部省に勤務していたP11であり、同人は欧米留学の成果を踏まえ、新たな思想に基づく国語読本の完成を図るべく、昭和7年度の実施を目指して新仮名遣いによる国語読本を準備したが、歴史的仮名遣いに編成替えを余儀なくされ、実施が昭和8年に延期された事実が認められるから、この事実によれば、サクラ読本の内容自体は既に昭和6年中に準備が整っていたものと推認して間違いがない。そこで進んで、この事実を前提とした場合、果たして【P15】のもとにかかる資料が有り得たか否かについてみるに、…によれば、【P15】は、昭和6年から同11年当時、文部省教科書調査会の委員ではなかったことが認められ、この点からすると、右委員としての職務上、前記のような資料を入手することは有り得ないところというべきである。しかしながら、…によれば、前記P11は、新しい思想に基づく小学国語読本を編集すべく、心理学者から児童の精神発達に関する意見を聴取したり、高等師範学校附属小学校の教師、その他の実際家等との共同研究の成果等も参考にしながら前記読本における教材の配列を構想した事実が認められるところ、これによれば、前記P11は小学国語読本を構想するに当たり、相当広範囲の者から参考意見を聴取したものと推認されるところである。一方、…によれば、前記P11は、昭和4年、東京帝国大学文科大学国文学科を卒業したもので、被控訴人の結婚披露宴にも出席するなど【P15】と親交を有していた事実が認められるのである。そして、…によれば、【P15】は昭和6年当時、文部省が高等小学唱歌を作成する際の委員を務め、また、同1011日には文部省の国語審議会委員に就任している事実が認められるところ、これらの事実からすると、前記P11が新しい思想に基づくサクラ読本を構想するに当たり、同学の先輩であり、かつ文部省との接触を有していた【P15】の意見を徴したとしても不思議ではないというべきである。してみると、被控訴人の前記Aの供述を排斥することはできないものというべきである。
 
(略)
 
以上、被控訴人が本件歌詞を作詞したとする昭和6年当時の事情について検討したところによれば、個々の歌詞についての作詞の動機に関する前記A、BないしE以外のA及びFないしHの点に関する被控訴人の供述に格別不合理とする点がみられないことはいずれも前項に認定説示したとおりである。そして、前記BないしEの各歌詞の作詞の動機に関する点についても、それなりに作詞の動機として理解し得るものがあり、かつその具体性に照らすと、これらのできあがった歌詞の存在を前提として、被控訴人と同年配者であれば現実に作詞に関与しない者でもこれを容易に想起し具体的かつ詳細に表現することが可能な事柄であると断ずることは到底できないものというべきである。
 
次に、被控訴人が本件歌詞の作詞者であることを推認せしめる間接事実のうち、後記のとおり、被控訴人が本件歌詞の作詞者であるとの新聞記事が公表された時期以降の諸事情について、控訴人らが【P9】の作詞とする「チユーリツプ」、「コヒノボリ」を中心として検討することとする。
 
(略)
 
以上に認定の事実に照らせば、被控訴人は、自己が本件歌詞の作詞者であることを公表した以後において、一貫して、特に、【P9】が自作と主張する「チユーリツプ」及び「コヒノボリ」について、その作詞者としての行動を採っているものと評価することができる。
 
前記に認定判断した被控訴人が本件歌詞を作詞したとする昭和6年当時の諸事情、作詞の動機に関する供述の具体性及び…に認定した被控訴人が「チユーリツプ」及び「コヒノボリ」等の作詞者であるとの新聞記事が公表された時期以降の本件歌詞、特に「チユーリツプ」及び「コヒノボリ」の作詞者としての一貫した行動を総合勘案すると、前記の事実、すなわち、本件歌詞の作詞者は被控訴人であるとの事実を優に推認することが可能というべきである。
 
(略)
 
以上を総合すると、「チユーリツプ」、「コヒノボリ」の歌詞が【P9】の作詞と認定するに足りる証拠はないといわざるを得ない。
 
(略)
 
[著作者人格権の確認請求について]
 
原判決…を引用する。











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