Q&A(著作権制度の意義)

著作権を取得するためには、何か手続きが必要ですか?

何の手続きも必要ありません。
著作権法
17条2項は、次のように述べています:「
著作者人格権及び著作権の享有には、いかなる方式の履行をも要しない。これは、著作権制度の根幹部分(大原則)の1つを述べた規定で、著作権の世界では、非常に重要な規定です。つまり、この規定は、どこかの公的機関へ著作物を登録等したりしなくても(例えば、文化庁に登録したり、国立国会図書館に納本したりしなくても)、著作権及び著作者人格権が、著作物を創作したという事実によって当然に(自動的に)その著作者のもとに発生することを宣言したものです。さらに、この規定は、発生した自己の著作権を他人に有効に主張するために、著作物にいわゆるマルC表示「©」を付す必要はない、ということも含んでいます。
以上のような考え方を「無方式主義」と呼んでいて、現在、国際的にも主流の考え方です。同じ「知的財産権」の範疇に属する「産業財産権」(特許権や意匠権など)は、「特許庁」(国の機関)へ「出願」して、「審査」を経て、「登録」されてはじめて権利が発生することになります(特許法66条1項等参照)。

マルC表示(©)」というものがありますが、これは、著作物に必ず付さなければいけないものなのですか?

そういうことはありません。
著作権の帰属を主張したり、著作権による権利行使を有効に行うために、自己の著作物に「
マルC表示」を付す必要はありません。もちろん付すことは構いませんが、付さなかったからといって、著作権の帰属が否定されたり、著作権による権利行使が許されなくなるものではありません。
もともと、「マルC表示(©)」というのは、「万国著作権条約」というのがあって、その条約の締約国のうち、著作権保護の条件として自国の法令に基づき一定の「方式」の履行を求めている締約国で著作権の保護を受けるために、「(著作物のすべての複製物が著作権者の氏名・名称及び最初の発行年を伴うかたちで©の記号を表示している」という方式要件を満たしていなければならなかった(このような考え方を「方式主義」といいます。)という事情に由来するものです。ところが、現在では、著作権の国際的保護の枠組みは、「無方式主義」、つまり、著作権の享有及び行使にはいかなる方式の履行も条件とされないとする考え方を大原則とする「ベルヌ条約」が主流となっているため(著作権法17条2項参照)、日本やアメリカをはじめとするベルヌ条約同盟国間では、「マルC表示」という「方式」が義務づけられることがなくなりました。つまり、マルC表示の有無によって著作権保護の有無が法律的に左右されることはありません。マルC表示が付されていないからといって著作権の帰属の主張や権利行使が不可能になることはありません。一方、マルC表示が付されているからといって、当然にそれが当該国で著作権による保護を受ける著作物と認められるものでもありません。要するに、マルC表示の有無とこれを表示した著作物が日本をはじめとするベルヌ条約同盟国内において保護されるか否かは法律的には関係がないということです。
それでは、マルC表示を付す意義は全くなくなったのかというと、そうではありません。ベルヌ条約が主流となった現在でもマルC表示を付している事例がかなり見られます。これはなぜか。「意味はよくわからないが、周りがみんなそうしているから」とか、「なんとなく付けておいた方がよさそう」など、消極的な理由でマルC表示を付けている場合も多いと思われます。ただ、マルC表示の現代的な機能として、「自己の著作物であること、及び自己が著作権者であり、その権利が有効に存続していることを積極的に表明しつつ、マルC表示の付された著作物を無断で使用する場合には著作権侵害になることを第三者に対し警告するという機能」は、ひとつ、指摘することができます。裁判例の中には、マルC表示が付されていたという事実から著作権侵害者の過失を認定した例もあります。

文化的な価値のない低俗な作品でも、著作権法によって保護されるのですか?

「文化的な価値のない低俗な作品」であっても、その「作品」が著作権法に定める「著作物」(法
2条1項1号)に該当するものであれば、著作権による保護を受けることができます。
著作権法の究極的な目的が「文化の発展に寄与すること」(法1条)にあるのであれば、「文化的な価値がない著作物」を保護する必要はないのではないか、そういった疑問が出てくるかもしれません。しかし、そもそも個人の思想や感情の表現物であるところの「著作物」の「文化的な価値」とは何でしょうか?人の思想や感情、その表現の価値をどのように評価し、決定したらよいのでしょうか?
「文化」は、良い意味でも悪い意味でも、積み重なって後世に伝えられていくものです。ある時代に社会に受け入れられなかったものが、何十年か、何百年か先にその評価が見直され、名作としてその時代の社会に受け入れられた例はいくらでもあります。
ある作品に文化的な価値があるかないか、その程度の如何を法的に評価することはきわめて困難であり、「文化的な価値」の客観的な基準を確立することは実際上不可能に近いといえるでしょう。したがって、ド素人の作品であろうと著名な芸術家の作品であろうと、それが著作権法上の「著作物」であるならば、その「芸術性」の高低を問わず、著作権法上は同等に扱われるべきです。そして、ある著作物が文化的に価値があるかどうかは、その時代時代の、裁判所(司法判断)ではなく、一般社会の感覚(自然淘汰)に任せるべきだと思います。

刑法に抵触するような「わいせつな物」でも、著作権法によって保護されるのですか?

刑法に抵触するような「わいせつな物」であっても、その「物」が著作権法に定める「著作物」(法
2条1項1号)に該当する限り、著作権による保護を受けることができると考えます。「
猥褻と芸術性・思想性とは、その属する次元を異にする概念であり」( 昭和44年10月15日最高裁判所大法廷[ 昭和39(あ)305])、著作物性のある作品について、これと次元を異にする道徳的な面における猥褻性の有無を論じることは妥当でないからです。
著作権法にいう「著作物」やその複製物が同時に刑法175条1項にいう「わいせつな文書、図画…その他の物」に該当する場合はあると思います。しかし、刑法によってその頒布等が禁止される場合であっても、そのことによって著作権法による保護が排除されることにはなりません。もっとも、ある作品が著作物性を有し、芸術性や思想性の高い作品であっても、それが同時に「わいせつな物」と評価される場合には、当然に刑法175条の適用を受けることになります。

著作権は知的財産権の中の1つだと聞きましたが、「知的財産権」とは、どのような権利のことをいうのですか?

「知的財産権」とは何か?この点については、「知的財産基本法」という法律があって、その2条1項に「知的財産」の定義が、また同法2条2項に「知的財産権」の定義規定がありますので、これらの規定に沿って解説します。なお、「知的所有権」や「無体財産権」という用語も頻繁に使われていますが、この両者は、ほぼ「知的財産権」と同義で使われており、一般的にこれらの用語の間で概念上の区別をする必要ないと思います。
「知的財産権」とは、「知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利」をいいます(知的財産基本法2条2項)。そして、ここにいう「知的財産」とは、①「人間の創造的活動により生み出されるもの(発明や著作物など)」、②「事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの(商標や商号など)」、③「事業活動に有用な技術上又は営業上の情報(トレードシークレットなど)」をいいます。
より具体的には、次の組合せが、代表的な「知的財産権」ということになります:
「発明」-「特許権」
「考案」-「実用新案権」
「植物の新品種」-「育成者権」
「意匠」-「意匠権」
「著作物」-「著作権」
「商標」-「商標権」
「商号」-「商号に関する会社法上の権利」
「営業秘密」-「営業秘密に関する不正競争防止法上の権利」
一方、国際的なレベルでの「知的財産権(知的所有権)」(intellectual property)の捉え方・考え方としては、WIPO設立条約の規定(2条8号)が参考になります。ここでは、「科学的な発見」(scientific discoveries)に係わる権利まで「知的財産権(知的所有権)」の中に含めて捉えています。
近年、知的財産権の対象は拡大される傾向にあります。そのため、今後、わが国でも、今までにない「新しい知的財産権」が認められ、これが法律上の保護の対象となる可能性もあります。
最後に一つだけ重要な点を指摘しておきます。上述しました権利の中で、特許権に代表される「産業財産権」は、特許庁(国の機関)へ「出願」して「登録」されてはじめて権利が発生するのに対し(特許法66条1項等)、著作権(広義)は、どこかの公的機関へ「出願」したり「申請」したりしなくても、著作物を創作したという事実によって自動的に権利が発生します(このような考え方を「無方式主義」(ベルヌ条約5条(2)、著作権法17条2項)と呼んでいます)。この相違点は、是非覚えておいてください。



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