MAZER v. STEIN(1954)
(「実用品」に利用される小像の著作権による要保護性が問題となったケース)

【注:本件は、現行法(1976年法)制定以前の最高裁ケースですが、「応用美術をどこまで著作権で保護するべきか」という難題に一定の方向性を与えた重要な判例です】

≪本ケースの概要

被上告人(Stein)らは、「電気ランプ」(electric lamps)の製造と販売に従事している者たちです。そのうちの1の者が「伝統的な粘土細工の技法で人の形をした彫刻作品(原型)」(original works of sculpture in the form of human figures by traditional clay-model technique)を制作しました。そして、このモデル(原型)から、複製物(磁器)を製造するための工業生産用の鋳型が作られました。このようにして出来上がった磁器製の「小像」(statuettesこの「小像」は電気ランプの土台に使われることが意図されていましたは、電気ランプとしてその他の必要な部品を加えずに、連邦著作権局に「美術の著作物」(works of art)又はその複製物として申請され、登録証明書が交付されました。
当該「小像」を利用した電気ランプの完全な形での販売は、当該著作権登録に先行していましたが、当該「小像」は、ランプの土台としても、また純粋に小像としても、全米で大量に売れました。
本ケースは、被上告人らが、被上告人らと同様に、電気ランプの製造と販売に従事している上告人(Mazer)に対し、上告人が無断で当該「小像」をコピーして、ランプにはめ込んで販売していることが当該「小像」の著作権を侵害すると主張して提起した事案です。
連邦地裁は原告(被上告人ら)の主張を退けましたが、控訴審では、逆に、原告(被上告人ら)の主張を容認しました。最高裁は、控訴審を支持し、「その小像は著作権によって保護されるものであった」(The statuettes were copyrightable.)との判断を示しました。

解説

本ケースは、「小像」半ガラス製で、ダンスをしている男女の人型の陶磁器に対して、被上告人らが取得した著作権の有効性に係わるものです。とりわけ、問題の「小像」そこには電気のワイヤー、ソケット、ランプシェイドが取り付けられているがテーブルランプの土台として使用することを意図し、実際にそのように使用されているという事実が「美術の著作物」に対する著作権の有効性を考えるに際しどのように評価すべきかが議論の中心となりました。最高裁は、当該著作権の有効性を認めた控訴審の判断「美術の著作物が後に工業製品に利用され得る場合であっても、そのような利用(実用化)は、いかなる意味においても、当該美術の著作物それ自体が侵害から保護されるべき著作権者の権利に影響を及ぼすものではない。」(A subsequent utilization of a work of art in an article of manufacture in no way affects the right of the copyright owner to be protected against infringement of the work of art itself.を支持しました。

本ケースにおける最大の争点は、つまるところ、「著作権によって保護され(う)る物品(品物)の実用的利用に関する問題」(the question as to utilitarian use of copyrighted articles)、すなわち、ある作品について、その著作権を主張する者(著作権登録を申請する者)の意図が主として当該作品を実用品(その一部に利用する場合を含む。)として利用することにある場合に、そのような場合であっても、当該作品(本ケースで言えば「小像」)を著作権によって保護すべきか、ということです。この点、連邦議会及び著作権登録を所管する連邦著作権局の考え方は、伝統的に、「寛容である」(美術の著作物に対する著作権をより広く解釈しようとする)傾向にあると言えそうです。本ケースにおいて、最高裁も、立法的な経緯や著作権局の実務を考慮しつつ、この伝統的な考え方を踏襲したものと言えます(So we have a contemporaneous and long-continued construction of the statutes by the agency charged to administer them that would allow the registration of such a statuette as is in question here.…The successive acts, the legislative history of the 1909 Act and the practice of the Copyright Office unite to show that "works of art' and "reproductions of works of art" are terms that were intended by Congress to include the authority to copyright these statuettes.)。

本ケースにおいて、上告人は、「意匠法・特許法を制定する連邦議会の権限は、工業製品(量産品)に具現化ないし複製される美術的な品物に対する保護を否定する方向で解釈されるべきである」(congressional enactment of the design patent laws should be interpreted as denying protection to artistic articles embodied or reproduced in manufactured articles.)とも主張しました。「著作者又は発明者[考案者]に意匠・特許権又は著作権を選択できる権利を与えるような、両者間の立法上のオーバーラップ[重複的保護]は許容されるべきではない」(overlapping of patent and copyright legislation so as to give an author or inventor a choice between patents and copyrights should not be permitted.)ということです。本ケースに即して言えば、「産業[工業]上利用できる小像に対する権利は、そこに何らかの保護が与えられるとすれば、意匠・特許によってのみ取得されうるものである」(protection for a statuette for industrial use can only be obtained by patent, if any protection can be given.)。
彼らのこのような主張の根底には、同じく知的財産権に属しながら、意匠特許が独占排他権を獲得するために「厳格な審査」(critical examination)を要するのに対し、著作権はそのような審査を経ることなく創作と同時に排他独占権が自動的に付与されるという法システムの相違を重大視する考え方があったようです。
以上のような上告人の主張に対し、最高裁は、「本件で問題となっている小像に著作権による要保護性が認められる以上、その特許可能性の問題を決する必要はない」(As we have held the statuettes here involved copyrightable, we need not decide the question of their patentability.)と判示しました。つまり、上告人の主張する考え方を採用しませんでした:「当裁判所は、当該小像の特許可能性の有無それがランプに適するか否かにかかわらずが美術の著作物に対する著作権を排除することにはならないと考える。著作権法その他法令は、ある物に特許可能性があるからといって、その物に対して著作権による保護を与えてはいけないとは一切述べていないのである。」(We do hold that the patentability of the statuettes, fitted as lamps or unfitted, does not bar copyright as works of art. Neither the Copyright Statute nor any other says that because a thing is patentable it may not be copyrighted.

特許権と異なり、著作権は、アイディアそれ自体ではなく、「アイディアを表現したもの」(the expression of the idea)にのみ与えられる権利(排他独占権)です。しかも、特許権とは異なり、「絶対的」な排他独占権ではありません。他人の作品への「依拠」がない場合、すなわち、相互に「独立して」(independently)創作がなされた場合には、排他独占権が2以上並立することが可能です(相互に一方の著作権を侵害することにはならない)。このように、同じく知的財産権に属しながらも、その排他独占権としての性質に微妙な違いがある―特許権はいわば絶対的独占権=アイディアを保護する排他権、著作権はいわば相対的独占権=オリジナリティーを保護する排他権ことを考慮すると、著作物性のある物品に産業[工業]上の利用可能性があり、また、実際にそのように利用されていても、そのことで著作権登録が排除されたり、その効力が否定されたりということにはならないと言えそうです(※We find nothing in the copyright statute to support the argument that the intended use or use in industry of an article eligible for copyright bars or invalidates its registration.)。

なお、本ケースは、最後に、次のように締めくくっています:
「連邦議会に特許権及び著作権を付与する権限を承認している条項の背後にある経済的な思想は、次の確信に基づく;個人に利益を与えることで当該個人の(創作や発明への)意欲を奨励することが、『科学[学術]及び有用な技芸』において著作者及び発明者の才能を通して公共の福祉を増進させるのに最も良い方法である、と。そのような創作的活動に捧げられる献身的な時間は、そこで費やされる労力に見合うだけの報償に値するのである。」
The economic philosophy behind the clause empowering Congress to grant patents and copyrights is the conviction that encouragement of individual effort by personal gain is the best way to advance public welfare through the talents of authors and inventors in "Science and useful Arts." Sacrificial days devoted to such creative activities deserve rewards commensurate with the services rendered.




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