[c001]契約における「映画化権」の意味が争われた事例
昭和53年2月27日東京地方裁判所[昭和48(ワ)3464]≫

【コメント】
本件は、共同して映画「七人の侍」(「本件映画」)の脚本(「本件脚本」)を著作し、本件脚本につき共有著作権を取得したと主張する原告らが、原告らが本件脚本について映画化権を有することを争つている被告に対して、当該映画化権を有することの確認を求めた事案です。

【被告の「抗弁」】
一 被告は、原告Aとの間に、昭和27111日、(1)原告Aは、被告の製作配給する映画の脚本を、他社より優先して執筆すること、(2)原告Aが被告の製作配給する映画のために執筆した脚本の映画化権は、被告に帰属(当然移転)すること、(3)脚本料は、共同執筆や特殊な作品の場合については別途協議決定するが、原則として一作品あたり金30万円とすることという内容を含む、いわゆる優先脚本家契約を締結した。
被告は、昭和27年暮ころ、右契約に基づき、原告Aに対して、原告B及び同Cと共同して本件映画の脚本を執筆完成するよう指示した。
二 被告は、原告B及び原告Cとの間に、昭和27年暮ころ、口頭で、(1)原告B及び原告Cは、原告Aと共同して本件映画の脚本を執筆完成すること、(2)右脚本の映画化権は、被告に帰属(当然移転)すること、(3)原告Bの脚本料は金50万円、原告Cの脚本料は金20万円とすることという内容を骨子とする、いわゆる一作品脚本家契約を締結した。
三 原告らは、右各契約に基づいて、昭和28年末ころ、本件脚本を執筆完成し、これを被告に引渡し、被告は、脚本料として、そのころ、原告Aに金30万円、原告Bに金50万円、原告Cに金20万円をそれぞれ支払つた。
四 かくして、被告は、本件脚本につき映画化権を取得した。
ところで、右各契約においていわゆる映画化権とは、著作権者の許諾に基づく単なる債権的な利用権ではなくして著作権の一支分権である物権的な権利を意味する。
原告らは、当時、映画の脚本家が映画会社に対して、その著作にかかる脚本につき、映画化の権限を付与する場合は、一般に、一回限りの利用許諾をするにすぎず、かつ、その製作期間は一年半とする商慣習があつたと主張する。しかし、脚本の物権的映面化権は映画会社に帰属するとする契約が通常であり、原告ら主張のような慣習は存在しなかつた。原告らは、わが国の映画会社が資力に乏しく、そのためにこのような商慣習が成立したというが、被告は、昭和28年に、原告らに対し合計金100万円の脚本料を支払つており、この金額は当時の貨弊価値からみて極めて高額なものであつて、原告らの主張は、その前提においてすでに誤つている。
また、原告らは、利用許諾を得た映画会社による映画化が遅れた場合、脚本家はその脚本を他に利用させる機会を失うことになるので、製作期間は許諾後一年半に限ることになつたとも主張する。しかし、フリーの脚本家で、未だ脚本料の支払いも受けていないというような場合ならばともかく、本件のように、映画会社の企画と指示に従い、かつ、その会社が映画製作することを予定して、脚本が執筆され、しかも前述のように、多額の脚本料が支払われているような場合に、原告らが主張するような商慣習が成立する余地はない。のみならず原告らと被告との間にも原告ら主張のような取引慣行は成立していない。
五 原告らは、また、物権的映画化権の譲渡は、法律上一般に許されていない著作者人格権の譲渡を認める結果になる旨主張する。しかし、原告らは、著作財産権の一支分権たる映画化権と著作者人格権との関係について、混乱を来たしている。被告は、著作財産権の一部である映画化権の取得を主張しているのであつて、著作者人格権の譲渡を受けたとは主張していない。
ところで、一回限りの映画化の利用許諾の場合であつても、原著作物の同一性の範囲を超える改変を加えようとするときには、原著作者の同意を要するのであつて、このことは、物権的映画化権の譲渡の場合も全く同様である。著作権が同一性保持権を有するからといつて、一回限りの映画化の利用許諾はありうるが、物権的映画化権の譲渡はありえないとすることはできない。
六 原告らは、さらに、被告が本件脚本につき物権的映画化権を取得したものであるならば、被告がアルシオナ・プロダクシヨン・インコーポレーテツド(以下単に「アルシオナ」という。)に対し本件脚本の映画化権を譲渡する契約を締結したことにつき、原告らの承諾を求めるはずがないと主張する。しかしながら、被告が原告らの承諾を求めたのは、原告らが本件脚本について著作者人格権(とくに同一性保持権)を有するところから、背景、登場人物の名前、性格付けなどにおいて、本件脚本の内容に変更を加えることにつき許諾を求めたものである。また、被告がアルシオナから受領した金員(金7500ドル)を全額原告らに交付したのは、右許諾に対する対価として支払つたものである。

【原告の「抗弁に対する認否」】
一 被告主張の抗弁事実は、すべて否認する。
原告らは、被告に対して、昭和282月末日ころ、本件脚本につき、一回限り映画化することを許諾したに過ぎない。しかして、被告は、昭和30年ころ、右利用許諾に基づき、本件映画を製作したのであるから、その後は本件脚本につき何らの権利も有しないものである。
二 原告らが、被告との間の契約において、本件脚本につき、もし、いわゆる映画化権を譲渡するという表現を用いたことがあつたとしても、右表現は、物権的映画化権の譲渡を意味するものではない。けだし、当時、映画の脚本家が映画会社に対して、その著作にかかる脚本につき、映画化の権限を付与する場合は、一般に、一回限りの利用許諾をするにすぎず、かつ、その製作期間は一年半とする商慣習が存在し、原告らと被告との間の契約も、かかる商慣習にしたがつて解釈されるべきだからである。すなわち、東宝、東映、大映等の映画会社と日本シナリオ作家協会との間において、昭和223 年ころ、「米国においては、映画会社が脚本家から脚本著作権をその映画化権とともに譲り受け、数次の映画化を行う慣習があるが、わが国では、映画会社の資本力をもつてしては、脚本家に対し満足すべき対価を支払うことができないから、映画会社が映画化できるのは初の一本だけとし、二本目からは別に契約することとし、また映画化が遅れた場合は、脚本家が当該脚本を他に利用させる機会を失うことになるので、許諾後一年半経過すれば、映画化する権利が消滅する。」という協議が成立し、その後それが慣習として行なわれてきたのである。かりに、各映画会社と日本シナリオ作家協会との間に、右のような慣習が存在しなかつたとしても、少なくとも原告らと被告との間にはかかる取引慣行が成立し、今日に至つている。
三 また、脚本の映画化とは、原著作物である脚本を翻案改作して映画という二次的著作物を作出することをいうものであるところ、それは、原著作物に新しい内容を附加したり、削減したり、登場人物を入れ替えたり、場所や時代を変更したりして、脚本の著作者がもつ著作者人格権を侵害する可能性を有する。したがつて、映画化する者は、何度も映画化する場合には、その都度原著作者から改変についての許諾を得ることを要するのであつて、何回改作しても原著作者の許諾を要しない物権的映画化権の譲渡というのは、法律上一般に許されていない著作者人格権の譲渡を認めるという背理を犯すことになる。ゆえに、原告らと被告間の契約において映画化権の譲渡という表現を用いたとしても、それは、著作権者による債権的な利用許諾を意味するにすぎないものと解すべきである。
四 原告らが被告に対して、本件脚本につき、一回限り映画化することを許諾したに過ぎないことは、次の事実からも明らかである。すなわち、被告は、アルシオナに対して、昭和339月に、本件脚本について被告が映面化権を有するとして、これを譲渡する契約を締結した。しかし、被告は、この事実を秘匿したまま、昭和3511月ころ、原告らに対して、本件脚本の映画化権をアルシオナに譲渡することを承諾してほしい旨申入れてきたことがあり、原告らはこれを承諾した。そして、原告らは、被告から金5000ドルと金2000ドルとを各別に受領した。もしも、被告が、原告らとの間の契約により、本件脚本の物権的映画化権を取得していたのであれば、被告は、原告らの承諾を得ることなく、勝手に自己の取得したとする物権的映面化権をアルシオナに譲渡することができたはずである。しかるに、被告が原告らに対して右申入れをしたり、アルシオナから受領した金員を配分したりしたということは、被告が原告らから物権的映画化権を取得していなかつたことを自ら認めたものにほかならない。

【裁判所の判断(理由)】
二 そこで、被告主張の物権的映画化権取得の抗弁について検討する。
(一)(証拠等)によれば、被告と原告Aは、昭和27111日、(1)原告Aは、昭和27111日から昭和281031日までの間、被告が製作し国内及び国外に配給する映画の脚本を、他社に優先して三本執筆するとともに、被告の企画に協力すること、(2)右(1)に基づいて書かれた原告Aの著作物の映画化権は被告に属すること、但し、映画化以外の行使に関しては、原告Aは被告の諒解を求めること、という内容を含む契約を締結したことが認められ、これに反する証拠はない。
(二) そこで、右契約にいわゆる映画化権が、被告主張のとおり、物権的映画化権を意味するかどうかについて検討するに、(証人)の各証言によると、同証人らが供述しようとするところは必ずしも明確ではないが、要するに、右契約における映画化権とは、被告が主張するような物権的権利であり、したがつて本件映面化権は現に被告に属するものであるとするにあるようである。しかしながら、被告主張に添う右各証言は、後記各証拠に照らし、にわかに措信することができないのである。
却つて、(証拠等)によれば、右契約が締結された当時及び少なくともその数年後までの間において、脚本についていわゆる映画化権を取得した、被告会社を含む映画会社が、相当期間にわたり映画化をしない場合及び一旦映画化をしたのち相当期間を経過した場合には、当該脚本を著作した脚本家が他の映画会社に(再)映画化をさせる事例が少なくないことが認められ、また、(証拠等)よれば、被告は、昭和401011日に、オリジナル脚本「蜘蛛巣城」につき、一切の権利は脚本家に帰属し、被告はその脚本により映画を一本だけ製作し、利用する権限を取得したものにすぎない旨を宣言し、また、昭和50年には、オリジナル脚本「天国と地獄」につき、全く同様の宣言をしていることが認められる。
そして、これらの事実に、原告A、同C各本人尋問の結果によると、 前記契約が締結された当時、日本の映画界では、脚本家が映画会社のために脚本を書いた場合、その脚本の映画化権は映画会社に属するけれども、映画会社が脚本を買い取る金額、いいかえれば映画化権を永久的に映画会社に帰属させるに充分な対価を脚本家に支払いえない経済事情下にあつたことなどから、そのころ、シナリオ作家協会と被告会社を含む映画会社五社との間で、映画会社がその脚本によつて映画を一本製作したらその脚本の映画化権は脚本家にもどるし、もし脚本について映画化権を取得したのち一年もしくは一年半を経過しても映画会社が映画を製作しない場合には、映画化権は当然に脚本家にもどるとするとりきめがなされていた事情を窺い知ることができないでもないことを斟酌すると、前記契約に「映画化権」というのは、被告主張のような物権的映画化権ではないと解するのが相当である。
なお、(証拠等)よれば、被告は、昭昭和32215日に、原告A、G及びHの共同著作にかかる脚本「妻こそわが生命」の映画化権を、株式会社麦のグループに代金120万円で譲渡したことが認められるが、右契約にいわゆる映画化権を被告が主張するような物権的映画化権と解釈しなければならない理論的必要性はなく、また、そう解すべきことを裏づける証拠もない。したがつて、右事実をもつて、被告の前記主張事実を推認すべき徴憑とみることはできない。また、原告らが本件脚本料として被告から被告主張の金員を受領したことは原告らも明らかに争わないところ、この金員総額は、これが支払われた当時の額としては決して低い額ではないというべきであるが、このことを考慮に入れてもいまだ直ちに被告の右主張を肯認し難いのである。してみれば、右契約に、いわゆる映面化権は被告の主張する物権的映画化権とはいい難い。
他に、被告が原告Aから本件脚本につき取得した映面化権が被告主張のような物権的映画化権であることを認めるに足りる資料はない。
(三)本件全証拠によるも、被告が、昭和27年暮ころ、原告B及び原告Cとの間で、被告主張のような内容の、いわゆる一作品脚本家契約を締結した事実を認めることはできない。もつとも、原告B及び原告Cが、本件脚本の脚本料額決定の時あるいはその受領の時(右原告らと被告との間で脚本料を決定し、被告主張の脚本料を同原告らが受領したことは同原告らも明らかに争わない。)に、本件脚本の映画化について、被告との間になんらかの契約を締結したであろうことは、窺われないでもないが、右原告両名が被告に対して被告主張の物権的映画化権を譲渡したことを認めるに足りる証拠は全くない。
三 そうすると、進んでその余の点につき判断するまでもなく、被告主張の抗弁は採用できず、原告らの本訴請求は、すべて理由があるものということができるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

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