[e012]所有権と無体財産権

競走馬等の物の所有権は,その物の有体物としての面に対する排他的支配権能であるにとどまり,その物の名称等の無体物としての面を直接排他的に支配する権能に及ぶものではないから,第三者が,競走馬の有体物としての面に対する所有者の排他的支配権能を侵すことなく,競走馬の名称等が有する顧客吸引力などの競走馬の無体物としての面における経済的価値を利用したとしても,その利用行為は,競走馬の所有権を侵害するものではないと解すべきである(最高裁昭和58年(オ)第171号同59年1月20日第二小法廷判決参照)。
平成16年2月13日最高裁判所第二小法廷[平成13(受)866等]

美術の著作物の原作品は、それ自体有体物であるが、同時に無体物である美術の著作物を体現しているものというべきところ、所有権は有体物をその客体とする権利であるから、美術の著作物の原作品に対する所有権は、その有体物の面に対する排他的支配権能であるにとどまり、無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではないと解するのが相当である。そして、美術の著作物に対する排他的支配権能は、著作物の保護期間内に限り、ひとり著作権者がこれを専有するのである。そこで、著作物の保護期間内においては、所有権と著作権とは同時的に併存するのであるが、所論のように、保護期間内においては所有権の権能の一部が離脱して著作権の権能と化し、保護期間の満了により著作権が消滅すると同時にその権能が所有権の権能に復帰すると解するがごときは、両権利が前記のように客体を異にすることを理解しないことによるものといわざるをえない。著作権の消滅後は、所論のように著作権者の有していた著作物の複製権等が所有権者に復帰するのではなく、著作物は公有(パブリツク・ドメイン)に帰し、何人も、著作者の人格的利益を害しない限り、自由にこれを利用しうることになるのである。したがつて、著作権が消滅しても、そのことにより、所有権が、無体物としての面に対する排他的支配権能までも手中に収め、所有権の一内容として著作権と同様の保護を与えられることになると解することはできないのであつて、著作権の消滅後に第三者が有体物としての美術の著作物の原作品に対する排他的支配権能をおかすことなく原作品の著作物の面を利用したとしても、右行為は、原作品の所有権を侵害するものではないというべきである。
小説のような言語の著作物の原作品である原稿が、通常、美術の著作物の原作品のようにそれ自体としては財産的価値を有しないのは、美術の著作物の場合は、原作品によらなければ真にその美術的価値を享受することができないことから、原作品自体が取引の対象とされるのに対し、言語の著作物の場合は、原作品によらなくとも複製物によつてその表現内容を感得することができるところから、いきおい出版物としての複製物が取引の対象とされるからにすぎず、言語の著作物の原作品についても、有体物としての面と無体物としての面とがあることは、美術の著作物の原作品におけると同様であり、両者の間に本質的な相違はないと解されるのであつて、所論のように、美術の著作物の原作品についてのみ、著作権の消滅により原作品に対する所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも有することになると解すべき理由はない。そして、美術の著作物の原作品の所有権が譲渡された場合における著作権者と所有権者との関係について規定する著作権法451項、47条の定めは、著作権者が有する権利(展示権、複製権)と所有権との調整を図るために設けられたものにすぎず、所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも含むものであることを認める趣旨のものではないと解される。また、保護期間の満了後においても第三者が美術の著作物の複製物を出版すると、所論のように、美術の著作物の原作品の所有権者に対価を支払つて原作品の利用の許諾を求める者が減少し、原作品の所有権者は、それだけ原作品によつて収益をあげる機会を奪われ、経済上の不利益を受けるであろうことは否定し難いところであるが、第三者の複製物の出版が有体物としての原作品に対する排他的支配をおかすことなく行われたものであるときには、右複製物の出版は単に公有に帰した著作物の面を利用するにすぎないのであるから、たとえ原作品の所有権者に右のような経済上の不利益が生じたとしても、それは、第三者が著作物を自由に利用することができることによる事実上の結果であるにすぎず、所論のように第三者が所有権者の原作品に対する使用収益権能を違法におかしたことによるものではない。原判決が、被上告人の複製物の出版によつては上告人の原作品に対する使用収益権能が物理的に妨げられるものではなく、また、他人の権利の経済的価値の下落をもたらすような結果を生ぜしめる行為であるというだけではこれを違法とはいえない旨判示するのも、その意味するところは、ひつきよう、右に説示したところと同趣旨に帰するものと解されるのである。更に、博物館や美術館において、著作権が現存しない著作物の原作品の観覧や写真撮影について料金を徴収し、あるいは写真撮影をするのに許可を要するとしているのは、原作品の有体物の面に対する所有権に縁由するものと解すべきであるから、右の料金の徴収等の事実は、所有権が無体物の面を支配する権能までも含むものとする根拠とはなりえない。料金の徴収等の事実は、一見所有権者が無体物である著作物の複製等を許諾する権利を専有することを示しているかのようにみえるとしても、それは、所有権者が無体物である著作物を体現している有体物としての原作品を所有していることから生じる反射的効果にすぎないのである。若しも、所論のように原作品の所有権者はその所有権に基づいて著作物の複製等を許諾する権利をも慣行として有するとするならば、著作権法が著作物の保護期間を定めた意義は全く没却されてしまうことになるのであつて、仮に右のような慣行があるとしても、これを所論のように法的規範として是認することはできないものというべきである。
昭和59年1月20日最高裁判所第二小法廷[昭和58(オ)171]

 原告は,本件錦絵を被写体とする写真である本件錦絵写真を無断で転載して利用する行為は,主位的に,商慣習又は商慣習法に違反するもので原告の法律上保護される利益を侵害する行為であるから不法行為を構成すると主張し,予備的に,本件錦絵写真の原作品である本件錦絵について原告の所有権を侵害する行為として不法行為を構成する旨主張する。
ところで原告は,本件において,本件教材への本件錦絵の掲載が,原告の許諾を受けて撮影された本件錦絵写真をさらに複写ないし撮影するなどの方法でなされたことを問題にしているが,そこで利用の対象となっているのは,有体物である本件錦絵そのものではなく,有体物である本件錦絵を撮影して得られた写真から感得できるところの本件錦絵の美術の著作物としての面,すなわち無体物としての面であるから,被告の行為は,その行為態様だけでなく,その利用対象の面においても,有体物である本件錦絵の排他的支配権能をおかすものでないことは明らかである。
したがって,そこでは本件錦絵の所有権侵害は問題となり得ないから,原告が予備的請求原因として主張する所有権侵害の主張はこの点で明らかに失当である。
そして,本件錦絵の無体物の面は,原告も自認しているとおり,著作権の保護対象となるものではないところ,原告は,その上で,そのような無体物の面の利用について所有者の許諾を得て対価を支払う商慣習又は商慣習法があり,これにより不法行為法にいう法律上保護される利益が基礎づけられるように主張する。
しかし,事実上の商慣習に違反しただけでは不法行為法上違法とはいえないことは明らかであるから,ここで問題とされるべきは,少なくとも,それ自体で法規範足り得る商慣習法である必要があるが,商慣習法が存在すると認められるためには,事実上の商慣習が存在し,それが法的確信でよって支持されていることが認められなければならない。
そこで原告主張に係る商慣習法の存否について検討するに,証拠によれば,原告所蔵品の映像は,講談社が昭和52年に発行した全12巻の「錦絵幕末明治の歴史」等の出版物を介して,既に一般にも容易に入手され得る状態になっていたが,その出版物から映像を得て転載利用あるいは放映しようとする出版社や放送事業者は,原告から許諾を得て原告の定めた利用規定に従い利用料金を支払うなど,原告主張の商慣習法が存在するかのような対応をしていることが認められる。
また各掲記の証拠によれば,①文化庁,国公立博物館,資料館等においては,その所蔵する資料写真の使用を許可するに当たり,その使用に所定の料金を徴収しているところが多く,また館外所蔵者の所蔵品の資料写真の写真原版を貸し出す場合には,その利用につき所有者の許諾を求める扱いとされていること,②国立国会図書館の所蔵する資料を放映する場合,及び,同図書館の許可を得て出版物等に掲載された資料を,別の出版物等に再利用する場合には,著作権が消滅した著作物であっても,事前に同図書館の許諾を要するものとされていること(ただし,無償である。),③写真エージェンシー等は,その管理する写真を,著作権の有無にかかわらず有償で貸与していることなどの事実が認められる。
そうすると,これら事実によれば,著作権の存否とは関係なく,著作物の無体物の面の利用については,その所有者から許諾を得ることが必要であったり,対価の支払を必要としたりすることが一般的になっており,そのような慣習が存在するように見受けられるところである。
しかし,原告所蔵品の映像は一般に入手可能であるのに,その利用のため,原告の定める利用規定に従って契約締結をするという上記の前者の中には,原告所蔵品の文化的価値を尊重して,その対価支払が当然と考えてしている者もいるであろうが,そうでなく,本件錦絵の所有者である原告との紛争をあらかじめ回避して円滑に事業を遂行するため,原告の定める利用規定に従っている者もいるであろうことは容易に想像できるところであり(原告は,利用規定に従わずに原告所蔵品の映像等を利用した者に対する訴訟を複数回提起している),その点をおいたとして,その対価の支払根拠は,結局,原告との合意に基づくことになるから,このような事実関係から,原告主張に係る商慣習又は商慣習法の存在を認めることはできない。
他方,後者の博物館等については,あたかも著作権のない無体物を有償利用させているように見えるが,その利用者は,直接写真撮影をできない所蔵品等について写真映像を利用することができることから,博物館等から資料写真の写真原版を借り受け,その対価(対価額は少額にとどまる。)を支払っていると考えられ,そこには対価を支払う経済的合理性も認められるし,なによりそのような有償契約を利用者に求める根拠は,所蔵品の所有者としての博物館等の所有権の権利行使としても,写真原版自体の所有権行使としても説明できるものであり,必ずしも原告主張に係る商慣習又は商慣習法の存在を認めさせ得るものではない(なお,博物館等が,館外所蔵者の所蔵品の資料写真の写真原版を貸し出す場合に,その利用につき所有者の許諾を求める扱いとされているのは,その資料写真の被写体となる所蔵品の所有者によるその公開範囲を決する権能を受けてされているものと解されるのであって,これも結局,所有権の問題として説明され得る。)。
そうすると,上記事実関係があるからといって,それが原告主張のような商慣習があると認めることさえ困難であるし,したがって,さらにそれから進んで,それが法的確信によって支持され商慣習法にまで至っているものとは認めることはできないというほかない。
また,そもそも原告が商慣習又は商慣習法で保護されると主張する利益は,著作権法の保護しようとしている利益と全く一致しているものであるところ,著作権法は,一定の範囲の者に対し,一定の要件の下に独占的な権利を与え,その権利の保護を図り,その反面として,その使用権の付与が国民の経済活動や文化的活動の自由を過度に制約することのないようにするため,その発生原因,内容,範囲,消滅原因等を定め,その権利の範囲,限界を明確にしているところであるから,著作権法が保護しようとしているのと同じ利益であり,しかも著作権法が明確に保護範囲外としている利益を保護しようとする慣習は,著作権制度の趣旨,目的に明らかに反するものであって,それが存在するとしても,そこから進んで,これを法規範として是認し難いものである。
したがって,本件錦絵を被写体とする写真である本件錦絵写真を無断で転載して利用する行為が,商慣習又は商慣習法に違反するもので原告の法律上保護される利益を侵害するとの原告の主張は採用できないというほかない。
 上記のとおり本件錦絵を含む原告所蔵品の利用については,多くの出版社,放送事業者が原告の定める利用規定に従って利用契約を締結して対価を支払っている事実が認められる。
しかし,上記1で説示したとおり,著作権の保護対象ではない本件錦絵の無体物の面の利用について所有者から許諾を得て対価を支払うべき商慣習又は商慣習法の存在は認められないから,その利用は本来的に自由であるはずだし,またその利用が本件錦絵の所有権を利用したともいえるわけではない。
そうすると,原告所蔵品の利用者の多くが原告の定める利用契約の締結に応じたからといって,これに応じずに本件錦絵の無体物の面を利用することが法律上許されないわけではないから,本件錦絵を掲載した本件教材の販売により原告が利益を得,他方で原告が被告と利用契約の締結をした場合に得られるはずの対価を得られなかったとしても,被告が法律上の原因なく利益を得たということはできず,またそのために原告に損失が及ぼされたということもできない。
したがって,原告の被告に対する不当利得返還請求には理由がない。
 原告所蔵品である本件錦絵が掲載された本件教材には,その裏表紙の「写真・資料提供(敬称略・順不同)」欄に原告の名称も,その通称である「P1コレクション」の名称も記載されていないことは当事者間に争いがないところ,原告は,同欄には他の写真・資料提供者の名称が記載されていることから,この行為が,あたかも,本件錦絵が他者の所蔵品であるかのごとく表示するもので,原告の所有権を否定するに等しいとして原告の信用を著しく毀損する旨主張する。
確かに本件錦絵の所有者が原告であるとの知識を前提にすれば,本件教材裏表紙の「写真・資料提供(敬称略・順不同)」欄に原告の名称が記載されていないことは,これを見る者をして原告がもはや本件錦絵の所有者ではないと認識させる可能性があることを否定できないといえる。
しかし,指摘に係る「写真・資料提供(敬称略・順不同)」欄には,小さな文字で数百単位の所蔵者名称が記載されているのであるから,上記知識を有する一般読者であっても,現実にそのような点に気付いて上記認識に至り得るとは考えられないし,また原告の名称がないことに気付いたとしても,記載漏れの可能性も容易に想い至るところであるから,原告の記載がないことをもって本件錦絵の原告の所有権が否定されたと積極的に理解されるとまで解することはできない。
そうすると,本件錦絵の掲載箇所ごとに他者の名称を所蔵者として付記したというのならともかく,上記のような事実関係のもとでは,これによって,原告の所有権が否定されるとは理解されず,さらにそこから進んで原告の信用が毀損されるような事態が生じるとまでは認められない。
したがって,本件教材の「写真・資料提供(敬称略・順不同)」欄に原告の名称を記載しないことが原告の本件錦絵の所有権を否定するものであり不法行為を構成する旨の原告の主張は採用できない。
なお,証拠によれば,博物館,資料館等からその所蔵品の写真原板等を借り出して出版物等で利用する場合においては,所蔵者名を明示することが義務づけられていることが一般的であると認められるが,これはその利用規約等に従って貸与を受けるという契約関係に入った者の契約上の義務にすぎないと解される。
したがって,上記慣行から著作物の所有者があたかも著作者人格権の一つである氏名表示権類似の権利を有するものと認める余地はないし,またその旨の商慣習法が認められるわけではないから,本件教材において,他の写真・資料の所蔵先を明示しながら,所蔵先として原告を明示しなかったことがいかなる意味においても不法行為を構成することはないというべきである。
平成27年9月24日大阪地方裁判所[平成27(ワ)731]

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