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八巻姓の歴史

山木兼隆公
八巻の始祖 山木兼隆公
 山木兼隆(治承4年、1180年・没)は、伊勢平氏の本流であり、八巻氏の始祖である。

 京都から検非違使のまま、山木遺跡のある伊豆・韮山の山木に目代(警察・裁判官兼務)として任じられる。

 兼隆は、住民から「兼隆さん」と慕われ、今でも地元の「皇大神社」に「神」として祀られている。

 着任から数年後、頼朝の監視役を務めていたが、頼朝の旗揚げと平氏を裏切り同調した「北条時政」等の夜襲に遭い討死する。
  




兼隆公供養塔

景雲山・香山寺

 伊豆の韮山・山木の地の目代に任ぜられた兼隆は、ここの静かな山中に景雲山・香山寺を開いた。

 現在、景雲山・香山寺に兼隆公の供養塔がある。
皇大神社

 「兼隆」は、「香山寺」の隣のある、「皇大神社」
に「神」として祀られている。

 「兼隆」は、今でも「兼隆さん」と呼ばれ、地元の
人から親しまれる存在で、なかなかの文化人でもあったようです。
八巻家は桓武天皇がご先祖

 桓武天皇は第50代目の天皇で、西暦781年〜806年の間、天皇在位。

 桓武天皇は、長期間日本の首都となった京都に都を移転、造営し、平安な都になるよう念願して「平安京」と名づけた。

 奥州の蝦夷の親分「阿弖流為(あてるい)」が再三官軍を撃破していたが、桓武天皇は坂上田村麻呂を派遣してこれを降伏させるなど数々の功績を残した。

平家と山木家の系図

山木家系図と八牧系図


「平家と山木家の系図」は、平家の起源と、平家(平清盛・山木兼隆)と平氏(北条時政)の関係を表したものです。

「平家」の由来は、朝廷に仕えていた藤原氏を「藤家」、菅原氏を「菅家」、大江氏を「江家」と呼んでいたため、朝廷に仕えていた「伊勢平家」のことも「平家」と呼ばれたのです。

「八牧系図」(八巻光宏氏所蔵)は、「山木兼隆」を祖先とした「八巻家」が、「武田家」滅亡後に武士を辞め百姓となりますが、百姓になる直前までの系図です。

「八牧」は「吾妻鑑」や「平家物語」に「山木」「八牧」「屋巻」などの表記があることから、「八牧」という呼称は実際に使われていたと考えられます。

「八巻」は、頼朝(鎌倉幕府)に追われていた一族が秩父の山中に逃れますが、ここで追及を逃れるため法華経の八の巻が「やまき」と読めることから「八巻」に改名したといわれています。

「八巻」の姓が、「山木」⇒「八牧」⇒「八巻」と変わりますが、これは「武田信光」に助けられるまで、頼朝(鎌倉幕府)からの厳しい追及を逃れるために改姓したと言い伝えられています。


八牧系図



八牧(八巻)系図  1/3


八牧(八巻)系図  2/3


八牧(八巻)系図  3/3





調査・研究・発見

[判明事例]


 調査の過程で判明したことが多々ありますが、その一例を記します。


1. 八巻の先祖は「平重郎兼隆」で、京都に生まれて検非違使を務め、後に伊豆の目代として韮山に赴任した「山木判官平兼隆」と判明。


2. 八巻の名字を辿り遡って行くと、「桓武天皇」に行き着く伊勢平氏の一族である。


3. 「兼隆」は、赴任後「姓」を地元の土地の名前を取り「山木」と改名。


4. 「兼隆」は、伊豆へ赴任後韮山に「香山寺」を建立。


5. 「兼隆」は、「香山寺」の隣の「皇大神社」にいまでも神として祀られている。


6. 「兼隆」は、今でも「兼隆さん」と呼ばれ、地元の人から親しまれる存在で、なかなかの文化人でもあった。


7. 「兼隆」は治承四年(1180年)、伊豆・蛭ケ小島に島流しされていた「源頼朝」の旗揚げと、同じ平家である「北条時政」の裏切りにより、三島大社の大祭の日に大勢の兵士が出払っている隙を衝かれ、夜襲を受け討死をして果てる。


8. NHKの大河ドラマで、「北条政子」との婚約話があるが、この話のころには頼朝と政子は同棲生活をしており、すでに大姫という子供がいるのでこの説は後世の作り話であることが判明。


9. 闇討ちで敗走した「兼隆」の一族は、埼玉県秩父の山中に逃れ、ここで五年から九年の間過ごし、寺で見かけた法華経の経典の八の巻が「やまき」と読めるところから「八巻」に改名したと言われる。


10. 八巻一族は、平家最初の「落人」となった。


11. 鎌倉幕府の追及が厳しくなり、一族は「甲斐国・江草郷(現・北杜市須玉町江草)」に移り住み、ここで「武田家」の庇護を受ける。


12. 一族は、「川中島の合戦」を経て武田家の滅亡の時まで仕えますが、「八巻一族」の一部の人達は「川中島の合戦」の後、「上杉家」に召し抱えられる。


13. 上杉家は、越後から会津に、さらに米沢へと移封され、それに伴い「八巻」氏も移住。


14. 上杉家が米沢へ移封される際、財政上の理由で同行出来なかった人たちが居り、この人たちは会津藩主となる「伊達家」に召し抱えられる。


15. 「伊達家」が、仙台に移封される際「八巻」氏も同道移住する。


16. 北海道の「八巻」氏は、「伊達家」が明治政府より有珠郡の支配を命じられ、開拓役所と支配所を設置した際に同道移住した人たちの末裔であると思われる。


 詳しくは、「八巻一族八百年の歴史」をご覧ください。







(兼隆公位・600年前)







(兼隆公位・200年前)








(山形県米沢市の石碑)



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