有名な祖録などは本で出てますが、大覚禅師の物はなかなか読む 機会はないと思いUPしました。
住山蘭渓道隆白す
* [ ]内は一文字の漢字 [才+施-方]:才は手辺、侘に同じ [哉-口+異]は口の所に異がはいる
*若しの前に「不(オオイ)に」があったが意味上必要ないということでいつの間にかきえたらしい
*道隆直筆のものには寮ではなく「衆」とある
べんめいをみてのちにいくは、すなわちりょうめにあらず。くんじをもってこ ころざしをはっするは、じつにこうそうにあらず。しょひんていおなじくしょ うじょうのがらんにじゅうして、すでにきかんのくるしみなし。まさにこのじ をもってこれをおもうことここにあるべし。もしがんこうまさにしゃせんとす るのとき、そのがいはなはだおもし。このゆえにこじんいわく、たといなんじ しょしひゃっかさんじょうじゅうにぶんきょうにつうずるも、なんじがぶんじ ょうにおいて、ならびにすくうことをえず、もしむろのどうをきわめば、げん ざいとうらい、まことにこうやくをなさん。かつむろのどう、そもさんかきわ めん。まいにちいっこのしがいをひいて、しょうしょうげげきしょうとめ、さ らにこれたそ。ひゃくにんのうち、しんじつここにおいてこうべをめぐらし、 へんしょうするものすくなし。わずかにふにょいのじあれば、すなわちかくこ してゆく。かくのごときのもの、なんぞただいちにのみならん。さんぜんべん どうは、ただこのしょうじだいじをりょうせんがためなり、あにもくよくほう かのひも、すなわちじょうをほしいままにしてらんまんすべけんや。ちょうろ うしゅそくくとしてつとめおこなって、たがいえのじをなすということをしら ず。ぶっけさをかけ、しんじのじをうく、いやしくもけんしょなくんば、たじ たいかくひもうせんしょう、ばんごうたにつぐないさることならん。いまより のちもくよくのひも、こじめいよりにこうのさんてんにいたり、しこうにてん じ、ぎょうしょうのときにいたるまでならびにざぜんをようす。どうにきせ ず、りょうにおもむくものは、ばっしていんをいださん。どうちゅうおこのう ところのじほぼいちにをていす。おのおのよろしくみずからまもるべし。この きをおかすことなかれ。つつしんでここにぶもんするていぶんぐにあらず。じ ゅうさんらんけいどうりょうびゃくす