我が家に初めてステレオがやって来たのは中学1年生(1969)。初めて買ったレコードがStonesの「Tell
me」でした。 グループサウンズが衰退し、ビートルズが解散寸前、といった頃です。 当時、中学生で外タレを聴いている連中は限られていたので、情報源は彼らとの情報交換が全てでした。 BS&Tが本格的なRockバンドとして日本で公演したのがこの頃です。 私の友人は、中学2年生の時、たった一人、家出当然でこのコンサートに行っています。 何しろ田舎(四国)なので、大阪への日帰りは無理でした。もう完璧に彼は英雄でした。 私は吹奏楽をやっていた関係で、当時流行りだしたブラスロックの先駆者、BS&T,Chicago等をよく聴きました。 そんな時書店で見つけた「Music Life」が私の趣向を変えてしまったのです。 今回秘蔵館で紹介した写真は、主に私がプログレにはまっていた中学生から高校生の頃に、コンサート等で撮っていて20年以上の間眠っていた写真達です。 撮影した時の状況を教えてほしい、といった要望が多かったので、以下かすかな記憶をたどり、思いつくままボチボチ書いていこうと思います。 当時を体験された方々の、ご協力・アドバイス投稿をお待ちしております。 -Kagemusya- |
Led Zeppelin |
私がはじめてZeppelinを知ったのは、中学生の時代に友人が貸してくれた「胸一杯の愛を」のsingleでした。ジミーページの向こう側でロバートプラントがシャウトしているジャケットです。
今だに私にとってフェイバリットショットです。その次に聴いたのが「リビング ラビング メイド」のsingle。これも大好きなジャケットです。 |
・最初に買ったZeppelinのアルバム 98/8/16 Upload
2つ折りジャケットのファーストアルバムを、1ヶ月分の小遣いをはたいて買いました。
ボリュームを相当上げて針をおろしたもので、1曲目の「Good times.....」のイントロだけで腰を抜かしそうになり、母親が驚いて部屋に飛び込んできたのでした。 これで、私は完璧にロック少年になってしまったのです。 セカンドアルバムは、親に小遣いの前借りをしてすぐ買いました。 いまだに、Zeppのアルバムの中で最も好きなのは、この2枚です。当時は共に2つ折りジャケットでした。 |
・初めて聴いたBootについて (98/8/16 Upload)
超有名なBootleg「ブルーベリーヒル」を、中学2年の時、先輩(この人は医者の長男でお金持ち)の家へ行った時、無理を言って聴かせてもらいました。
まだ家にレコードが数枚しかない頃、Bootlegがいったい何かも知らないまま、聴かせてもらったのですが、 ほとんど無言のまま、ステレオに向かって正座した状態で、私は聞き入ってしまいました。 どの曲も原曲はわかるのですがレコードとは全然違ったアレンジで、やたらギターソロが長いなあといった印象でした。 サ-ドアルバムがまだ発売されていなかったので、Immigrant songを聴いたのはこの時が確か初めてだったと思います。 私の先輩がこのアルバムを、どうやって手に入れたかは不明ですが、この録音されたコンサートがあってからまだ数ヶ月しか経っていない頃に、聴いたことになります。(たぶん1970年の暮れ頃だったと思います。) |
・幻のZeppelin初来日広島公演のチケットについて((98/8/16 Upload)
私が完璧にZeppelinにはまってしまうのを決定付けたのが、1971初来日の広島公演のチケットでした。
当時ワーナーだったと思いますが、レコードを買って帯に付いてる応募券を送れば何かが当たるということで、送ってあったようなのですが、ある日突然、Zeppelinの広島公演の招待券が送られてきました。(私が懸賞等で当たったのは、後にも先にもにこれだけです。) 大阪なら行けていたかも知れないのですが、残念ながら当時中学生だったので、広島までは一人では行けませんでした。Music Lifeでその時の記事を読みつつ、泣いていました。 私の部屋が、Zeppelinのポスター一色になったのは言うまでもありません。 ※そのチケットは、送られてきた封筒に入った状態で、未使用のまま今もどこかに眠っています。(現在行方不明) 発見次第秘蔵館ページに追加します。 |
・Led Zeppelin Research (L.Z.R.)って知ってますか? (98/10/8 Upload)
初来日のコンサートを体験できなかった私は、それ以降異常にZeppelin
に対してこだわりを持つようになります。
ファンクラブなるものはないものかと探していて見つけたのが、上記(L.Z.R.)なのです。 横浜にお住いの是石さんという方が中心になって、活動されていました。 当時送っていただいた会報なども、上記幻のチケット同様、その他Zeppelinの宝箱と一緒に、私の家のどこかに今も眠っています。 最近になって、「えすか@NYさん」から1978年会報のコピーを送っていただきました。 今はこうやってインターネットという便利な物が出来てますが、当時は当然ながら活字でプリントされた会報が年に何回か届くといった内容でした。でもやっていることといったらどっかのBBSと一緒で、売ります買いますとか、アルバムのレビューだとか、Boot情報だとか、とてもほのぼのしています。 違うところといったら、あの頃はまだバンドが解散していなくて進行形であった事かな。 しかし、あの頃あれだけ熱くなっていた人達は、今どうしているのでしょうか。きっと私と同じように、また病気がそのうちきっと再発することでしょうが。。。 ※会報の一部(Jimmy Pageへの質問状)が残ってました。見たい方はここをクリックして下さい。 実際にPageが書いたものかは不明です。 |
上記(L.Z.R.)で知り合った方が、若林志郎くんです。
約4年間程メールフレンドとして、色々な情報を送ってくれました。 「70s Rock 秘蔵館」でアップしてある写真の半分近くが、彼から頂いた写真です。 もう約20年ほど音信不通なのですが、今彼を捜しています。 もし見つかれば、相当な当時の資料が発見できるはずです。 彼を一緒に探してくれる方、昔の彼を知っている方、いらっしゃいましたら是非私宛にメールを下さい。 |
・1971初来日のZeppelin写真について (98/8/16 Upload)
これらの写真は、上記若林志郎くんから頂いた写真です。私の中学時代のアルバムに無造作に貼ってありました。
一緒に写っている人達は、彼の友人だと思いますが、詳細はわかりません。 ホテルでの撮影は、東京ヒルトンホテルだと思います。 それにしてもピントの合い具合、メンバーとの接近度はすばらしいショットだと思います。 当時いただいたプリントから、スキャナで取り込みしました。 |
・1972再来日大阪公演のコンサート写真について(98/8/16 Upload)
これらは、正真正銘私が撮影した写真です。
初来日の体験を逃した私は、この日が来るのをどれだけ待ったことか。 高校1年の秋でした。貧しかったので、10月4日の公演は私の友人が、10月9日は私がというように、 わかれて行きました。お互いテープを隠し録りすれば、2回分体験できると思ったからです。 当時としては高性能な、SONY製のテープデッキを使って録音したのですが、友人の録ったテープは、マイクを椅子の下へ置いていたものだから、残念ながら聞ける状態ではありませんでした。 私は、友人のアドバイスを参考にした上で、入り口でのボディチェックを無事突破し、2階中央前列(チケットのコピー)にて、録音及び撮影を実行しました。 2階ではガードマンもいないし、ヤリ放題。デッキをイスの下に置き、マイクは左手、右手にはカメラといったいでたちでした。 カメラは写真に詳しい友人に借り受け、Kodak トライX、200㎜の望遠で撮影しました。 残念ながら、私はカメラの素人でしたのと、Zeppelinの演奏に陶酔していたため、ピンぼけが大半でした。結果は見ての通りです。 撮影した頃は、友人達に披露したりで結構活躍した写真なのですが、時代と共に忘れ去られ、私の古いアルバムに数枚貼ってあったのみしか残ってないとあきらめていたのですが、この度私の妻が保管してあった箱の中からこのネガを発見し、ネット上でめでたく公開したという次第です。 |
・1972再来日大阪公演の録音テープについて (98/10/8 Upload)
録音テープはどうなったんじゃ~、とコレクターの方達は気をもんでらっしゃると思いますが、結論から言いまして、私の弟がそのテープに上書きしてしまっちゃいました。(>_<)
誰かに私がダビングしてあれば残っている可能性もあるのですが、頼りは捜索中の「若林くん」のみ。(彼にはコピーしてあると思う。) 今無いものを自慢しても仕方ないのですが.....。 当日のBootを先日聴かせてもらったのですが、その音源も非常に良かったけど、2階で録音したということで私の音源の方が勝っていました。 私は今でも大阪フェスティバルホールは、音響が最高だと思っています。 しかし残念! 開演前の雰囲気から、終了してからのアナウンスまでフルに録音していたんだけど。(>_<) |
Grand Funk Railroad |
私が生まれてはじめていったロックコンサートでした。
ウッドストックを映画で見ていたので、ひとつのイベントとして参加するといった感じでした。 なにぶん私は中学生でしたし、日帰りは無理な所に住んでいたので旅もかかねていました。 同級生の友人と二人して、今は取り壊されようとしている難波大阪球場のコンサートです。 打ち上げ花火をする者、爆竹を鳴らす者、バックネットに登る者、至る所で何かが起こっています。 開演までの間、当時流行っていた曲が流れています。とりわけZEPPのSince I've been lovin youが流れた時は、まるでZEPPのコンサートが始まるのではと錯覚する様な盛り上がりでした。 前座は麻生レミ(ジャニスの曲をやってました。) Mashmakhan(霧の中の二人というヒット曲が当時流行っていました。)の2グループだったと思います。 そしていよいよGFRの登場。 司会の斉藤努(糸井五郎との情報もありますが、私の記憶では斉藤努であったように思います。ヤングオーオーの司会をやっていた人)がマネージャーのテリー・ナイトに何やらインタビュー。その間観衆は、あのLIVE ALBUM同様の「We want Grand Funk」のコール。司会はご親切にも「この雨だから、マークファーナーが感電するかもしれない。」とのご注意、そしていよいよ「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れるや、黒い車が球場内に現れてステージ横に到着。そこからメンバーが現れるといった演出でした。 演奏は今から思えば、LIVE ALBUMとほとんど同じ、MCまで同じだったような。。。 でも、中学生の私にはコンサートに参加していること、観衆の一挙一動が全て感動的であったこと、裸になって踊り狂う連中の姿、GFRの決してバランスがいいとは言い難いけどさすがの大音響、そして雨と霧、全てがショックでした。 GFRのページにも出してあるとおり、スポーツ新聞でも話題になるほどの出来事でした。 どうやって当時少年の私たちが、帰路に着いたかは記憶にないのですが、天候が更に悪化して、船が欠航となり帰れなくなってしまい(四国に帰るには船に乗らないと帰れなかった。)翌日の昼頃家に着くなり、親に叱られ、学校へ直行、学校ではちょっとした事件になっていた様子でした。(自分の子供が今、このような行動をしたら許してやれるか、ちょっと考えさせられる。)やはりロック少年は不良扱いされていたのかも。 しかし、良きにしろ悪しきにしろ、今の自分に何らかの影響を与えた1日であったように思います。 |
これらの写真は、若林志郎くんから頂いた写真です。最近発見したネガの中から出てきました。
残念ながら、ネガでもプリントでもありません。なんと、べた焼きプリントのみ残っていました。 あきらめてはいたのですが、駄目もとでスキャナで取り込んでみたら、以外にも雰囲気が伝わってきたので公開することにしました。 GFRのライブ写真は当時でも本当に少なく、色々と発見が出来ました。 しかし、東京公演は本当にすごい天候だったようです。大阪はここまでひどい嵐ではなかったと思います。 (撮影者は不明です。) |
・1971ホテルでの写真について (98/10/8 Upload)
これらの写真も、若林志郎くんから頂いた写真です。
これらの写真はどういう訳かネガが残っています。彼からもらったか、返却していないのかはわかりません。 メンバーと一緒に写っている人達は、彼の友人だと思いますが、詳細はわかりません。 ホテルでの撮影は、東京ヒルトンホテルだと思います。 しかし、マーク・ファーナーって人が良さそうですね。 |
Deep Purple |
・1973大阪公演について (98/10/8 Upload)
メンバーチェンジする最後の公演であったように思います。
大阪厚生年金会館2階席からの撮影です。 Deep Purpleのコンサートは全体的にライトが非常に暗く、スポットライトが多かった為、あまりうまく撮れていません。 演奏の方は、Live in Japanが既に出ていたのと、2回目の来日であまりレパートリーが変わっていなかったので、盛り上がりが少なかったように思います。 後から聞くとメンバー間で仲が悪くなっていたらしく、演奏にも反映されていた様です。 でも、オープニングのハイウェースターはやはり格好良かったし、PAもハードロックといった感じでガンガン来ていました。 公演終了後、忘れ物をして席に帰ったとき、ステージで誰かが大喧嘩してたのが見えたのと、ホールを掃除していたおじさんが「このバンド仲が悪いらしいでえ」と忠告してくれました。案の定おじさんのいうとおり、直後にメンバーチェンジしてしまいました。 コンサートの終わりにメンバーが楽器をめちゃくちゃに壊し(まるでWHOやJimi Henのように)アンコールの要求もむなしく、イアンギランが出てきて何やらペラペラ。たぶんもう解散じゃといってたんじゃないだろうか。 ヒリュウさんの解説によると「The End」と言ったようです。 でも、イアンギランの言葉を理解した人少なかったようで、以外とあっさりみんな帰路に着いておりました。 |
・Roger Gloverの写真 (98/10/9 Upload)
コンサート当日、心斎橋をブラブラしていたら偶然彼に会いました。
私は熱烈なファンではなかったんで、彼の名前を知らなかったんです。 彼に「Are you Blackmore?」って聞いたような気がします。彼は「Yes」と言ってくれました。 私はしばらくの間彼がR・ブラックモアだと信じておりました。 |
Emerson Lake & Palmer |
・1972大阪公演(甲子園)について (98/10/8 Upload)
新生Freeとのジョイントコンサートでした。
GFRを体験していた私は、あの感動を期待していたのですがすっかり裏切られてしまいました。 甲子園というとやっぱり野球のイメージが強くかったのと、GFRの時のような天候の演出もなく、淡々と進行していった様に思います。東京後楽園では結構盛り上がったようなレビューを読みましたが、大阪は盛り上がりに欠けたように思います。はっきりは憶えていませんが、途中でコンサートが中止になったような。 きっと、ELPの演奏を聞きに来たというより、GFRの時のような雰囲気を期待して来た連中が多かったのでは、それが中止につながったんじゃないでしょうかねえ。 ELPはサウンドで聞かすバンドなので、ホールの方が良かったように思います。音もすごく小さかったし、余りにも遠くて、エマーソンのアクションも近視の私には何が何やら解らなかった。 なおステージの様子はFreeのページで出していますのでご参考に。但しバカチョンカメラで撮ったんで見にくいかもしれません。今から思うと、ちょっと貧弱なステージです。 残念ながら演奏中の写真は撮っていません。 |
・ホテルでの写真について (98/10/8 Upload)
大阪公演が終了した翌日、友人と東京の若林君宅へ行ったんです。
ヒルトンホテルにまだELPとFreeの連中がいるから会いに行こうということになり、彼らを捜しました。 すぐ見つかりました。 K.Emersonはとてもいい人っていう感じ。サインにもすぐ応じてくれ何枚もしてもらいました。 写真もいやな顔ひとつせず、バチバチ撮らせてもらいました。ところがバカチョンカメラで撮ったんで、室内で撮った写真は残念ながら全て真っ黒でした。 かろうじて屋外で撮った写真だけが写っていましたので、公開しています。 G.Lakeは何か気難しい感じの人。最近の写真を見ましたが、あの太り方この頃から少しその前兆が見えるようです。 C.Palmerは会えた記憶がないのですが、サインしてもらっています。だから会ったんでしょう。 30分位彼らの周りでうろうろして、ホテルから見送りました。ちょうど帰国する直前だったようです。 K.Emersonはとても小柄で痩せていて、格好良かった。 K.Emersonと一緒に写ってる日本人の女性はいったい誰でしょう。この写真を撮った後別れを惜しむように僕の目の前でぶちゅ~と、Kissしてました。 |
Free |
・1972大阪公演(甲子園)について (98/10/8 Upload)
ELPとのジョイントということにはなっていましたけど、ほとんど前座扱い。
そして、Freeのコピーバンドという感じのバンドでした。 オリジナルメンバーはポール・ロジャース、サイモン・カークだけで、キーボードにラビットとかいう聞いたことのなかった人、ベースが後でフェイセスに入る山内テツという編成でした。 一応フリーの曲はやるんだけど、ポール・ロジャースがギターを弾きながら歌うという、ちょっと無理のある編成でした。オリジナル曲をやった時より、クリームのクロスロードのコピーをやったときの方が盛り上がったような記憶があります。 陽が沈む前の明るい時間帯であったのと、演奏が今ひとつであったのとで、盛り上がりに欠けるやたら短いコンサートでした。 |
・ホテルでのお話 (98/10/8 Upload)
ELPと一緒のヒルトンホテルで、彼らに会えました。
ポール・ロジャースはすごく気難しい人で、ホテルの窓際で1人ずっと庭園を眺めていました。 勇気を出してサインを求めたところ、何とか応じてはくれたものの、写真を撮ろうとしたら一言「No!」と叱られました。 バッド・カンパニーや現在の様なあか抜けした所がなく、顔中髭だらけの汚いおっさんでした。きっと彼も若かったから無理してたんでしょう。 でも私は彼の歌が今も大好きです。「listen!!」 |
Midori Natsukawa 夏川 翠 |
70年代初頭、外タレ日本公演ラッシュ時、ほとんどのライヴを経験。 ミーハーを越えて、ROCKをこよなく愛し、ROCK大好き少年少女の心を励ます。 「ニュールーディーズクラブ」等のライター。元祖追っかけ姉御。 2001年より、彼女の莫大な秘蔵写真の一部を公開させていただきます。 |
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Sakitsumibaby サキツミベイビー |
当ホームページのBBSが縁で、彼が昔海外より購入したり、トレードしたレアな写真を、投稿いただきました。 |
Shiro Wakabayashi | 30年前のペンフレンドです。この方から頂いた情報や、写真が今役立っています。
音信不通ですが、70sRock情報の宝庫みたいな人なので、もし再会できたら掲載できる画像等が桁違いに増えるはずです。 |
えすか@NY | ニューヨークで翻訳、執筆活動をされている「えすか@NY」さん。
メールを頂いたのがきっかけで、無理を言って私のサイトを一部英訳していただきました。 彼女のホームページは ここをクリック! |
Masanori Onishi | Zeppelinの情報や資料を事細かく分析し、アドバイスしていただいている方です。
本当にいい人です。 彼の超有名なZEPサイトは ここをクリック! |
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