MIDORI NATSUKAWA Presents
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ななな・・なんとジェスロ・タルです! 1972年の7月 ちょうどエマーソン・レイク&パーマーの来日で、日本の洋楽界が大騒ぎになっていた同じころ、ジェスロ・タルはややひっそりと来日を果たしました。東京では1回だけ、新宿の厚生年金会館でコンサートがあり、ELPで舞い上がっている女の子たちとは、少々趣きを異にした男性ファンが客席の大半を占めていたように思い出されます。 友人たちは、S席を頼んだら、どういうわけか最前列がもらえ、私はA席でいいの、と言ってたら、なんと1階の1番後ろの席というスゴイ差でした。 でも、コンサートが始まったら(と言うか、いつの間にか始まってたのよね)、あまりの素晴らしさに、席がどうこうなんて些細なことはどうでもよくなってしまいました。彼らは2時間半、ショーをやり、でも演奏したのはたった3曲! 全員、ミュージシャンなのに、それぞれがエンターテイナーで、まるでひとつのお芝居を見ているような気にさせてくれました。 今思うと、イギリス特有のブラック・ユーモアだらけで、昨今改めて見直されてるモンティ・パイソンにも通じるものがありました。 まさに、イギリスの底力を見せつけてくれたジェスロ・タル、上手いわ、面白いわ、楽しいわ、で文句なしに素晴らしいコンサートでした。 私はA席でいい、なんて言ってたくらいで、たいして期待はしてなかったのに、帰るときには、しっかり彼らにイカレてしまったものです。 ご多分にもれず、私や友人たちは、そのころ頭がELP一色に染まっていましたが、ジェスロのあまりに華麗なライヴのおかげで、やっぱり会いに行きたいね、ということになり、少々遅ればせながら、彼らの帰国の日に羽田まで見送りに行くことにしたのです。 そして、その羽田で撮ったのが、これらの写真です。 イアンは、ステージのパフォーマーぶりがウソのように、物静かでクールで、尚かつとても知的なジェントルマンでした。夏だというのに、黒のレザーのジャケットをはおり、黒のサングラス・・・。めちゃカッコよくて、なんだか近寄りがたいオーラに包まれておりました。 白の帽子、白のジャケットの彼は、キーボードとスピーチ(!?)のジョン・エヴァン。ちょっとお腹のあたりのお肉が気になりましたが、気さくで物腰のやわらかい、女の子にとても親切、という好青年でした。 おヒゲで帽子の彼は、ドラムのバリモア・バーロー。小柄でしたが、ヒゲを剃ったらさぞやイイ男だろう・・・と思ったくらい、チャーミングで色気のあるオニイさんでした。 カラフルなジャケットを着たヒトはベースのジェフリー・ハモンド・ハモンド。ステージでは、一生懸命何かしゃべっているのに、その横に日本語の解説の紙で「たいしたことはしゃべっていないので、日本語に訳す必要はありません」なんて書かれていたっけ・・・。オフでは、とても控えめ。 ちょっとシャイな感じのヒトでした。 ギターのマーティン・バレは、どうしたのやらこの羽田にはいませんでした。1人だけ、別の便で帰ったのかもしれませんが、そのときも今も不明です。 というわけで、初めて会った私たちにも、彼らはとても感じよく、また大人というムードで、もっと早く会いに行けばよかったなぁ・・・とクヤシイ思いをした覚えがあります。 それから、2年後にも、またジェスロ・タルはやって来て、出来て間もないNHKホールでコンサートをやったようですが、そのときは残念なことに私はロンドンに行っていたので見られませんでした。 それから、また3年後、77年の9月に、イアン・アンダーソンだけが、1人で来日しました。(No, 11 ・ 12) 目的は何だったか、今となっては思い出せませんが、多分プロモーションだったのかな・・・。 私は、このとき実はイアン・ギラン・バンドの帰国の見送りに、羽田にいたのですが、そのIGBのあと、イアン・アンダーソンにも会ってしまい、こうして写真をとらせてもらいました。奥さんと一緒だったイアンは、昔(72年)に会ったときとは打って変わって、気さくでニコヤカなオジサンしてました。まるで別人でしょ? 前ほどカッコよくはないけど、感じいいヒトでした。 同じ日に会った同じイアンでも、ギランの数倍は親切だったわね。 −夏川翠− mail |
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Kimio Yokohata
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