MIDORI NATSUKAWA Presents
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ジェフの初来日は、73年の5月、ベック・ボガート&アピスの一員としてでした。 変人としてすでに有名だった彼ですが、私は友人たちと彼の部屋に押しかけるという暴挙(快挙かも!)に出て、一緒にいたバンドのスタッフを交えてのおしゃべりの場に同席させてもらいました。 あと、一緒にお茶もしましたが、その後公衆の面前で会っても、まるで 知らない人のように無視されて、どうしちゃったの? とアキレてしまいました。 まだ、そのころは私はジェフの大ファンでも何でもなかったので、たいしてガッカリもしませんでしたが、やっぱ変人だわ・・・と思ったものです。 以下、ルーディーズ・クラブ、25号の記事より抜粋。 彼らは大阪のコンサートが最終で、次の朝早く伊丹を発って羽田から国際便に乗ったのだ(まだ関空ないころよ)。 しばし搭乗を待つ間、ロビーで皆してたむろっているのを、またまた私ら三人組の女たちはそばでながめてた。そのときのジェフときたら、サングラス姿でこの上もなく気取っていた。写真も撮ったけど、撮られているの全身で意識してるくせに、絶対カメラの方を向かないんだから! ツーショットを……なんてとんでもなかった。私らには笑いかけてもくれない。 全くもう……! おまけに、友人の一人がジェフ付きのローディーくんのこと気に入ってて、ただその子をながめているだけなのに、ジェフったらその子を彼女から見えないように隠そうとするんだな。ジャマしてるとしか見えない。1回だけならまだしも何度もそれやるんで、その彼女はもちろん私まで、なんだかジェフってヘン……って思ったもんだ。女の子が自分以外に夢中になるなんてイヤだ、ってとこだったんだろうけど、まるでイジワルなガキ大将みたいですごくおかしい。私のこと無視したのだって、私が彼のファンじゃないってバレたからかも……。地方まで行った友人のことは気に入ってたらしいのに、そのときは彼女にさえやさしい言葉ひとつかけてあげないのもなぜ? テレてたのかしら。 その後、75年≪ブロー・バイ・ブロー≫の発売直後に「ワールド・ロック・フェスティバル」と銘打った日米英のバンドが競演するコンサートのためやって来たジェフを名古屋まで見に行き、そのとき初めてジェフ・ベックのファンになった私です。 それ以来、私にとっての「ザ・ギタリスト」と言えばジェフ・ベックただ一人だけです。 ポール・ロジャースがこう言ったそうです。 「世の中にギタリストは2種類しかいない。ジェフ・ベックとそれ以外だ」 −夏川 翠− |
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Kimio Yokohata
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