八海山(南魚沼郡六日町城内)  八海山

……………………………………………………………………………………………
☆ 「八海山」 標高1778b(南魚沼郡六日町城内) ☆
……………………………………………………………………………………………

 八海山は、駒ケ岳、中ノ岳と合わせて越後三山と呼ばれています。新潟県を代表する 名山ですが、古くから農業の神様とされて親しまれてきました。八海山にかかる雲や残 雪の形で天候を占い、農業の暦として役立てられてきたのです。
山頂の尾根は「八ッ峰」の名のとおり、鋸の歯のように連なり独特の形をしています。 地層は、今から約二千万年前の、第三紀中新世前期と呼ばれる時代にできました。その 後、この地域に激しい造山運動が起こって土地が隆起し、八海山を含む越後三山が形成 されました。尾根の部分は、非常に硬い礫岩と呼ばれる岩石でできています。
 山頂部は岩場で、薬師岳、不動岳、白河岳、釈迦岳、大日岳、そして最高峰の入道岳 などのピークが有ります。
八海山は古くから信仰の山として、また山岳宗教の修験の場として知られてきました。 8つの峰の一つ、標高1720mの大日岳には、八海大明神を祀る奥の院があり、麓の六日 町山口、大和町の大倉と大崎にはそれぞれ里宮があって、そこが登山口になっています 。山口から中腹までは八海山スキー場になっていてゴンドラで八海山遙拝場まで登るこ とができるため、多くの人々が気軽に登山できるようになりました。毎年3万人を超え る登山者の中に、白装束に身を固めた、山岳修験のための登山者の姿も少なくありませ ん。 また麓の幾つかの里宮では、毎年「火渡り」の儀式も行われています。

……………………………………………………………………………………………
☆ 八海の放れ駒の言い伝え ☆
……………………………………………………………………………………………

越後では、昔から月遅れの5月6日の後節句に、馬を入れて田かきをしてはならぬとい う固いタブーがあった。この禁を犯せば、その年は凶作になるからだという。
昔、東頚城郡松之山に、与作という怠け者で変人の男が住んでいた。与作は後節句の日 に馬を田に入れ、田かきを始めた。
ところが、与作がいくらあせっても馬の動きが鈍くて働こうとはしなかった。与作は思 うようにならない馬の態度に怒り、力任せに馬の尻をたたいた。すると馬は「ひひーん 」と一声いななき、空中へ舞い上がってしまった。
このはずみで与作は泥田の中にしりもちをついたが、
「馬なんかになめられてたまるもんか」
といって起き上がり、手綱につかまって天を駆ける馬の後を追いかけていった。そして 山を越えたにを渡り、一生懸命追っているうちに、馬は魚沼の霊峰八海山の上空まで着 てしまった。
 ここで馬は地上に舞い下り、山をめぐりはじめた。与作は手綱にすがって、馬を追い かけているうちに、とうとう力尽きて倒れ、死んでしまった。
毎年4月の融雪期になると、八海山の斜面に、馬の姿がありありと見えるという。この 地方の人々は数百年後の現在も、この馬の行き方を仰いで農耕の適期を知り、人の道を 踏み外すまいと自らを戒めている。
(新潟県伝説集成)





六日町温泉

[広告]オーバーチュア広告

万葉風のホーム